99 / 99

第99話

 カイゼルの姿を見た途端、ノアリスの張り詰めていたものがぷつり、と切れた。  視界が滲む。頬が濡れるのを慌てて手の甲で拭った。  ふと視線が交わる。  その瞬間、彼は安心させるように柔らかく笑みを浮かべた。  たったそれだけで、胸がじんわりと温かくなり呼吸が楽になる。    カイゼルの後ろにはイリエントの姿もあり、さらにその背後には騎士たちが控えていた。  全身から力が抜ける。 「……っ、」  足元が揺らぎ倒れそうになったのを、ブラッドリーに支えられ、同時にロルフが擦り寄り心配するように鼻先を押し当ててくる。  ノアリスは小さく息を吐きながら、その頭を優しく撫でた。 「──さて、皇太子。俺は戦場に戻るように伝えたはずだが」 「……弟に会いに来ただけです。血を分けた兄弟なんですから、会うくらい構わないでしょう。それに陛下は『会うな』とは仰らなかった」 「は……屁理屈ばかりだな」  呆れたように吐き捨てながらも、その声音は低く沈んでいる。  一歩、カイゼルが室内へ踏み込む。  それだけで、空気の支配権が塗り替えられた。ルーヴェンの背後に控えていた騎士たちが、無意識に息を呑む。 「許可なく私室に踏み込み、威圧し、怯えさせる。それを会いに来ただけと言うのなら、随分と都合のいい解釈だ」 「威圧?」  ルーヴェンが心底不思議そうな表情をした。 「おいでと、言っただけだ」 「……何?」 「ノアリスが共に来ると言うのなら、陛下の許可は要らぬでしょう。本人の意志を尊重しなければ」  しかし今度はカイゼルが首を傾げる番だった。 「そうか。それで──ノアリス、返事は」 「っ!」  カイゼルに名前を呼ばれ、驚いて顔を上げたノアリスは、優しい瞳に見つめられ上がった肩から力を抜いた。  冷たくない、それどころか包み込むように温かい温度のある瞳。  胸の前でキュッと手を握り、意を決して口を開く。 「私は……ここに、います。兄のところには、行きません……っ」  はっきりと口にした言葉を、カイゼルはしっかりと聞いてくれた。  口角をあげ、目を細める。 「──だ、そうだ。残念だったな、皇太子。ノアリスはフェルカリアには戻らない。そなたの隣に並ぶことは無い」  ルーヴェンの表情が、ぴたりと止まった。表情が消える。しかしその瞳の奥だけが、じわりと濁っている。 「……そうか」  静かな声。それがかえって、不気味だった。 「お前はそれを選ぶんだな」  一歩、ルーヴェンが踏み出す。  その瞬間── 「それ以上は、踏み込むな」  低く、鋭いカイゼルの声が静かに響いた。

ともだちにシェアしよう!