145 / 165

第145話

 やることを済ませたカイゼルは、執務室で椅子に座り俯いていた。  ノアリスが最後、リリーに伝えた『大丈夫』が嘘であることなんて分かりきっている。それなのに、自分は何も気づくこともできず、簡単に奪われてしまった。  あの時の、家族が死んでいった時のように、心が痛む。普段のように息がしたいのに、怒りと悲しみと寂しさのせいで、上手く呼吸ができない。 「っは、はぁ……はぁー……っ」  苦しい。あの苦しさが、また自分の手のうちから命が溢れてしまいうなそんな苦しさが、大きくなっていく。  そんな時、コンコンとノック音がした。  しかしカイゼルの耳には届かず。「失礼しますよ」とイリエントが無遠慮に入ってくる。 「陛下──陛下! いかがなさいました!」  駆け寄り、背中を撫でてくる手が温かい。  幼馴染で、昔から軽口を言い合う関係の彼は、今もカイゼルが心配でやってきたのだが、それは正解だったらしい。 「大丈夫です、陛下。ゆっくりと呼吸を。呼吸を整えながら、私の話を聞いてください」 「っは、」 「戦の準備は、明日には終わりそうです。ブラッドリーが今か今かと待っています」 「う、それ、では……」 「ええ。明朝には出陣いたしましょう。しかし、だからこそ、今日はこのままお休み下さい」  イリエントはそう言うと大きな声でコンラッドを呼んだ。  コンラッドもカイゼルの様子を見て心配げに顔をゆがめる。 「お心を鎮める薬を。それから、ゆっくりと湯浴みをなさっていただき、夕食もしっかり召し上がるように見張っていなさい」 「承知しました」  コンラッドも、昔から仕える者だ。  カイゼルとイリエントの関係は熟知しているし、カイゼルが無理をしがちなのもよくよく理解している。 「お薬をお持ちします。イリエント様は暫くこちらにいらっしゃいますか?」 「そうですね……。陛下が薬を飲むまでは見届けましょう」 「わかりました」  今だ、背中を撫で続ける手。  いつも彼に助けられている。  彼と、コンラッド、それからブラッドリー。 「わふっ!」 「……ろるふ」  ノアリスの消えたあの日から、ロルフはカイゼルの部屋にいる。  カイゼルはそっとロルフの頭を撫でると、やわい笑みを浮かべたのだった。  イリエントの指示のせいで、薬を飲み終えたカイゼルは、少し落ち着くとコンラッドに湯浴みを連れられ、丁寧に世話をされたあと、暖かいベッドに寝かされていた。  傍らにはロルフがいて、まるで『一緒に寝よう』と言っているように身を寄せてくる。 「ロルフ」 「くぅ〜ん」  頬を撫でると顔を上げた彼を、優しく抱きしめる。  フスーッと、息を吐いた彼は『やれやれ』とでも言いたげだ。 「ノアリスを連れ戻す。しばらく、待っていてくれ」 「わふっ」 「ありがとう。……さあ、寝ようか」  柔らかい毛並みに指を通し、目を閉じる。  しかし、ノアリスの泣いている声が聞こえてきて眠れない。  薬はとっくに効いていいはずなのに。  もう少しで朝日が昇る。  カイゼルは体を起こし、閉ざされたカーテンを開けた。 「迎えに行くぞ」  すぐに、助けるから。  

ともだちにシェアしよう!