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14.穏やかな帰一
背中に回っていた腕が緩んだのが分かって、クロードもまた抱き寄せていたダンテの頭を解放する。見下ろしてきたダンテは、さっきまでの苦しそうな顔は何処へやら、嬉しさで溶け出した笑みを浮かべている。
「やっと同じところまできてくれた」
その言葉は独り言のようでもあったし、同意を求めているようでもあった。肯定の言葉をもう一度告げるのは、癪で息を零すように笑ってやった。それを正しく肯定だと受け取ったらしい。ダンテが顔を近づけて来る。
あ、キスされる。
そう思ったのと同時に、頭に浮かんだのはアザミの顔。
すぐさま手のひらでダンテの唇を止める。一瞬驚いたようだがすぐにその顔は不機嫌に歪む。モゴモゴと、なんで、といっているが、片頬だけを上げて言ってやる。
「お前の気持ちは理解ったけど、その前にやることがあるだろ」
「やること? なんの話?」
クロードの手を勝手に掴んで離したダンテは、全く心当たりがないのか、ますます眉間のシワを濃くした。なんのこと、ときたかコイツ。そう思いはするが、いくら彼が言動で示そうが、彼女が納得しないなら駄目だ。嫉妬に狂った人間は本当に恐ろしいのだから、そんなことで命の危険にさらされたくない。
「俺は曖昧な関係は嫌いだ」
「……僕と体の関係もってたのに?」
「それは明確な関係だろ? お前とセックスしてたのは報酬の一部で、お前と俺は仕事関係にあった。だからお前が誰とセフレだろうが、お前がどんな人と付き合っていようが口出しはしなかった」
正確には『出来なかった』なのだが、それも正直に言うのはクロードのプライドが許さない。ずっと気になってました、なんて言ったら絶対にダンテをつけあがらせるに決まっている。優位に立ちたいわけではないけれど、あくまで対等な関係でいたいのだ。
「だが、お前は俺を本命に選んだわけだろ? だったら他の関係は精算してもらう。嫉妬に狂った人たちに殺されたくないしな。それが出来ないなら、俺はお前の手を振り払ってでもここから消える」
「ちょっと待って。他の関係ってなに? 誰のこと? 僕、クロード以外、まっっったく心当たりないんだけど」
「すっとぼける気か? いや、まあ確かにそうか。お前がその気がなくても、相手は違うもんな」
これだけ整った顔をしている上に、誰もが知っているようなホテルの裏オーナーかつ、裏社会もその手中になりつつあるのだ。知らない間に勝手にフラグを立てている可能性もある。クロード自身も彼の莫大な財産を期待して仕事をしていた。それが恋愛方面で現れても仕方のないことなのかもしれない。
「勝手に話進めないでくれる? 誰のことって聞いてるんだけど」
「ホンットにわかんないのか?」
「わかんない。覚えが全く無い」
じっとその目を見つめても、目が逸らされることはない。|疚《やま》しいことがあれば、少しは動揺するはずだ。しかしダンテは、どれだけ心を覗かれても構わないと言いたげにクロードを一心に見つめてくる。嘘は言っていないだろう。
ほっとしている自分に気付いてふっと笑いが漏れる。はーっと誤魔化すようにわざとらしい溜息をついてから、その名前を出した。
「アザミさん」
「……は? アザミ?」
「ああ。彼女が言ってたぞ。『私がダンテのこと取っちゃっても、構わない?』って」
彼女の声は茶化すような色は少しもなかった。ホントに? と聞いてきた声も随分と固かったように聞こえた。よほどクロードの心の中を探りたかったのだろうと思う。それ以上追求してこなかったところを見ると、多分心のなかに隠したモノは見破られなかった。はずだ。
「だから、あの人とちゃんと話し合って決着がついたら、」
「待って。アンタ、すごく勘違いしてる」
「あ? 勘違いってなんだよ」
「だって、アザミは僕の育ての親みたいなものだし」
「……………、はぁ!?」
そだてのおや? そだてのおやって、育ての親か!? ……いやいやいや、だってあの人、親なんて感じの見た目じゃなかったし、下手したら俺より年下くらいに見えるし……、なのに育ての親?
せっかく落ち着いたはずの思考が色んな事で混雑し始める。
いや、だって、えぇ? とすっかり混乱しているクロードを見たダンテは、合点がいったように、嗚呼なるほどね、と呟いた。
「だからアイツあんな意味深なこと言ったんだな。クロードが部屋に帰って来ないのも織り込み済みだったわけだ」
「はぁ? 何の話だよ。俺にも分かるように説明しろ」
「要するに、僕もアンタも、アザミに一杯食わされたってこと」
手を引かれて歩き出す。一杯食わされた。その言葉を頭の中で咀嚼してから、別の可能性があることに気づく。こころなしか怒りを背中に出しているダンテに、それを投げかけてみる。
「じゃあ俺のこと気に食わなくて、お前から引き離そうとしてる可能性があるんじゃないのか?」
「それは絶対に無い。有り得ない」
「わかんないだろ。それに、お前が知らないだけであの人はその気がある可能性だって、」
「万が一にも無い。断言できる。あの人が興味あるのは、人間じゃなくて人体だから。ああ、でもガチムチの体には興味あるかもね。筋肉好きだし。つまり僕は一ミリもアイツの好みじゃないってこと」
「だけど、」
「でもそれじゃあクロードは納得出来ないってことだよね。わかってる。だから、本人の口から直接聞けば良い」
え、という前に、ダンテはクロードの手を引いたまま、アザミがいる部屋へと足を踏み入れる。窓際で煙草を燻らせていたアザミは、二人が入って来るとパッと顔を輝かせた。
「やあやあご両人! その様子だと二人の想いは成就したみたいだね!」
開口一番そんな言葉を投げかけられた。ほらね、と呆れたような声がダンテから聞こえてくる。対してクロードの口からは、え、なんて声しか出てこない。そんな二人に構わずアザミは腕を組んでうんうんと頷いた。
「クロードちゃんも大変だよねぇ。この子、ぜーんぜん自分のこと話さないデショ? だから私のカマかけにも引っかかっちゃったみたいだもんね」
カマかけ。つまり、クロードとダンテの本心に気付いていてあんなことをした、ということらしい。
呆気に取られているクロードから手を離したダンテが、内心全く笑っていない様子で、腕を組んでニッコリと笑みを作った。
「ホント、いい趣味してるよね。勘違いしたままクロードがどっかに行っちゃったらどうするわけ?」
「はぁ~? もしそうなったとしても、あんたがクロードちゃんに自己開示してないことが原因なの理解ってる? 自業自得だわ」
「それとこれとは話が別。アザミが余計なカマかけしなかったらよかった話だろ」
「そうでもしなかったら、クロードちゃんとあんた、一生想い通じ合ってないと思うけど?」
売り言葉に買い言葉。否、ややアザミの方が|上手《うわて》だ。あのダンテが怒りをあらわにしてアザミのことを睨んでいる。しかしその口からは次の言葉は出てこない。心当たりがあるのだろう。
ふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らしたアザミは、クロードの傍までやってくると背中をそっと支えるようにしてベッドへと促した。
「言っただろう? 君はまだ重病人なんだ。ベッドに早く入りなさい」
「えっ、あ、はい。すみません……?」
「うんうん素直な子はかわいいねぇ。だれかさんとは大違い」
「……ふっ、はははっ」
後ろから殺気が飛んできて思わず笑ってしまった。笑い声は部屋に間延びするように満ちていく。
「うんうん、笑いは身体にとっても一級品の回復薬だよ。さあ、横になって」
言われるがままベッドに潜り込む。アザミとの間に割り込んできたダンテが、傍の椅子を引き寄せた腰をかけた。やれやれ、と首を振ったアザミだったが、咎めるつもりはないらしい。
「じゃあ私は席を外すから、ごゆっくり~。また夕方に様子見に来るよ」
ひらひらと手を振ってそのまま扉を閉めて行ってしまった。
部屋の中に、たった二人。
急に気まずくなって、ちらりとダンテを伺う。ダンテはすでに怒りを消していて、随分と締まりのない顔をしていた。目元を柔らかく細めて、少しの笑みを口元に浮かべている。目が合うと、ん? と首を傾げてくるものだから、思わず目を逸らしてしまった。
「ふっ、なんで逸らすの」
「俺の勝手だろっ」
「あははっ、うん。そうだね」
視線が。声が。空気が。甘ったるくてしかたない。
身体がむずむずして、でも嫌な感じはしなくて、どちらかと言えば気恥ずかしさが全身を巡っている。こんな感覚は初めてで、いつまでも浸っていたい反面、今すぐにでも甘さをぶち壊したくもある。どうにも言い難い感情が口元に出てしまいそうで、隠すように布団を口元まで摺り上げた。それなのに、小さく笑ったダンテに布団の裾を掴まれた。
「隠さないでよ。あんたの顔見てたいのに」
「~~~ッ、お前なんか変だぞ!」
「そう? ねえ、キスしたい。いい?」
「俺はしたくない!」
「えぇ? なんで怒ってるの、クロード」
絶対に布団をおろしてやらない、という意思で手を固定した。そうされてもなお、ダンテの纏う空気は柔らかいままで、なんというかとても甘い感じがする。ちっとも怒りをみせないし、笑みの混じった声が柔らかすぎて、こっちまで変になりそうだ。
無理矢理下げるのは止めたのか、手がゆっくり外された。ほっとしたのも束の間。ダンテが少し腰を浮かせたと思ったら、額に温かなものが触れる。ちゅ、と可愛らしい音が聞こえてやっと、額にキスされたのだと気付いた。バッと両手で額を隠す。
「お、お前ッ…!」
「ははっ。クロード、顔真っ赤」
「お前がそんなことするからだろッ」
「うん、僕のせいだね。ごめんね」
なんだコイツ、ホントにおかしくなっちまったんじゃないのか!
これ以上ダンテと話していると自分までおかしくなってしまう気がして、身体の向きを勢いよく反対にする。ぴよぴよと呑気に鳥が飛んでいくのが見えて、少しだけ頭が冷静さを取り戻した気がした。
「ねえ、クロード」
「なんだよ」
「子守唄代わりに、僕の話、していい?」
「……お前のどんな話?」
「僕の昔話。……あんたは、あんまり興味ないかもしれないけど」
身体を動かして、ダンテに向き直る。ダンテはさっきとは打って変わって、彼自身の膝に視線を向けて、眉を下げて笑っていた。少し自信なさげに見えるその顔が、頭の中で何かと重なった気がしたのに、一瞬すぎてわからない。
でも、今はそんなことはどうでもよかった。
いま大事なのは、目の前にいるダンテだ。
しっかりと息を吸って告げる。
「興味あるに決まってんだろ、ばか」
ぱっと顔を上げたダンテが目を丸くしている。そんなに驚くことかよ、と笑ってしまった。
色んな仕草も、容姿も、対応も完璧な男だと思っていた。でも、きっと完璧に見せるのが上手かっただけなのだ。取り繕うのが上手いクロードと同じ。
ダンテだって人間だ。完璧に見えるだけの、完璧じゃない人間なのだ。
それが腹の底で理解できた気がした。
「子守唄の代わりじゃなくて、ちゃんと聞かせろよ。お前の身の上話」
ダンテの顔がまた緩む。
ありがと、と言ったダンテは斜め上に視線を投げて、語りだした。
「今から一〇年以上前かな。――僕、あんたに助けてもらったんだ」
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