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第三部 35.よるべの日常

 腕から抜けていくぬくもりを認知して、浮上した意識。  逃がさない。腕に力を込めて掴まえ直せば、ふっと笑ったような吐息が落ちてきた。ゆるゆると瞼を上げる。  陽光が輪郭を撫でる愛おしい人が笑っていた。もう一度逃がさないと思って、彼の腰に巻き付けた腕にもう少し力を入れる。喉で笑った声がする。 「起きてんのかよ、ダンテ」  穏やかな声に次いで、頭を撫でられる感覚。ふわりふわりと髪を撫でる彼に、生返事を返しながら腰の辺りに顔を埋める。 「まだはやいだろ、もうちょっとねようよ」 「何言ってんだ。もう昼近くだぞ? 組織ほったらかしで大丈夫かよ」 「だいじょうぶだよ。ぼくがいてもいなくても、おんなじだし」 「同じではねーだろ。ジオスさん、大変だろうなぁ」  呆れた声に混じる他の男の名前に、一気に意識が覚醒していく。否、他の男と言ってもジオスと言う名前は自分の部下であり、万が一にも自分の命よりも大事な人を取るような人間ではないのは百も承知している。だが、二人だけの空間で二人だけの時間なのに、他の人間の名前が出ることを許せるほど、ダンテは出来た人間ではなかった。  じろりと眼光を向けると、大事な人――クロードが栗色の瞳をぱちりと瞬いた。 「ベッドで他の奴の名前呼ばないでよ」  恨み言を言うように低い声を出せば、ぶはっ、と噴き出したクロードが笑う。宥めるような手のひらが、頭を撫でてくれるのは嬉しいが、誤魔化されているような気がしてならない。 「労っただけだろ。ジオスさんはお前に心酔してんだから、妬くとしたら俺なんだが」 「え? 妬いてくれたってこと?」 「いや? 妬きはしない」  ぶすっと頬を膨らませる。  妬いてくれる方が嬉しいのに、いつだってクロードは余裕を持っている。ただの年の功だ、と彼は良く言うが、ダンテとしては全くもって面白くない。それでもやはりクロードは笑って言った。 「あの人から聞くお前の話が好きなんだよ。信頼されてんだなって思うし、お前のことなのに、俺が勝手に誇らしくなる」  瞳に宿る光は、やわく温かい。それが愛おしい、と言われているような気がして、たまらない気持ちになる。その瞳の温かさが移ったように、心臓がじんわりと温かくなった。襲い来る衝動に突き動かされるように、体を起こしてクロードの唇を奪う。  ふっと息だけで笑ったクロードは、そのままキスを受け入れてくれる。これ以上したらまた欲しくなってしまうのが分かっているから、大人しく唇を離そうとした時だ。  離れ際、ぺろりと下唇を舐められた。  固まったダンテをよそに、至近距離でクロードが悪童のように笑う。ざまあみろ、とでも言いたげだ。にんまりと笑って、手際よくベッドに押し倒す。真っ白なシーツの中で、クロードが自分と同じ顔をして笑っていた。 「襲っていいってこと?」  答えは分かり切っている。  だが、一応お伺いを立てたダンテに、クロードは楽しそうに笑う。 「昼間っからホント元気だな、お前」  それは嬉しそうな響きで鼓膜を揺らした。もしかしたら都合の良い解釈かもしれない、と思ったところで、するりとクロードの両腕に首を優しく抱き寄せられる。  ああ僕だけじゃないんだ。  栗色の瞳に映る己の獰猛さを帯びた表情に内心呆れながらも、愛おしくてたまらない唇に噛み付いた。  刹那。  けたたましい着信音がその場に響き渡る。当然聞こえないふりだ。抗議しようとして口を開いたクロードの舌を、己のそれで絡めとって強く吸い上げる。尚も鳴り響く着信音。目の前の栗色が、険を帯びる。強く舌を噛まれない内に、そっと離して体を起こした。 「早く出てやれ。緊急事態かもしれないだろ」  さっきまでの甘さはもうすでに霧散している。ジト目を向けてくるクロードに促されるように、渋々枕元にあった通信端末を手に取った。 「……オレだ」 「ボス、取り込み中すみません」  不機嫌な低い声が出る。それでも電話口のジオスは少しも怯んだ様子はない。それどころか、少し笑ったような声に聞こえる。はぁ、と大袈裟に溜息を吐いても、どこ吹く風だ。 「どうした」  ちらりとクロードの方を見れば、すでに下肢の檻から抜け出していていて一糸まとわぬ姿でベッドから降り立っている。 「ボスが支配人のホテルから緊急の要請が来ていまして」 「どんな要請だ」 「何でも客の一人が、ボスに会いたい、と言っているらしいんです」 「……ただの客じゃないってことか」  ホテル側がこんなことを要請してきたことはない。しかし、かなりの危険人物、もしくは、ホテルのお得意様であるのなら話は別だ。金は何かと入用で、大口の客を逃すのはバカのやる事だ、とクロードも良く言っている。無論、自分の信条に反しない場合に限る、とも言っていた。  その客がVIPに成り得るなら、会わない手はない。  その考えに辿り着いたダンテに、さすがボス、とジオスは嬉しそうに言った。念のためどんな客か聞けば、一晩で大金を落とし、その上対応したスタッフにもチップを大盤振る舞いしたという。  面倒だがこれは会う必要があるな、と判断して、ジオスに再度確認を入れる。 「時間の指定はないんだな?」 「ええ。会えるまで待つ、と言っているそうです」 「分かった。一時間程で行く、と伝えておけ」 「御意に。同伴は必要ですか?」 「オレ一人でいい」  了承したジオスの声を聴いてから、通話を切る。はぁ、と息を吐いて通信端末をベッドの上に放って顔を上げると、そこにはすでに着替えを終えたクロードが立っていた。今日も皺ひとつないスーツを着込んでいる彼は、世界一といっても過言ではないくらいスマートだ。  その耳にパパラチアサファイアのピアスが輝いているのを見るだけで、少しだけ気分が晴れる。 「出掛けるんだろ?」 「…………うん」 「ははっ、すげー不本意そう」  両腕に閉じ込める前にぱっと離れたクロードが、襟元を正しながら言った。 「お前が出るなら丁度いいや。俺も出かけてくる」 「危ない事じゃないよね?」 「心配しすぎ。アーノルドに会うだけだって」  その名前を聞いた途端、顔を顰める。  アーノルド、とは先日ダンテ率いる組織に所属することになったガタイの良い男だ。元々別の組織――ファヴェーロにボスの右腕として属していたが、色々あって一時期その組織のボスの座にクロードが座っていたため、今でも彼らは結構な頻度で連絡を取り合っている。  アーノルド本人に直接聞いたことはないが、多分、否、絶対にアーノルドはクロードに心酔している。地獄のような日々を終わらせてくれた救世主とでも思っているのか、はたまた別の感情があるのかは定かではないが、ダンテとしては面白くない。 「……僕も行く」 「別の用事を放って? そんな責任感のない奴だったのかお前は」  からかうような声が聞こえてきても、嫌なものは嫌なのだ。ジオスならまだしも、アーノルドと二人きりなんて彼がクロードに『もう一度ボスになる気はありませんか』なんて聞いてきた暁には、アーノルドを排除してしまうかもしれない。  そんなダンテの心配を見透かしたのか、クロードは笑った。 「イザベラとサナの近況報告の手紙が来たって教えてくれたんだよ。二人のことは俺も気になってたから、今日お前んとこのホテルのラウンジで会うんだよ。だからそんな心配そうな顔すんな」  年の離れた兄弟にやるように乱暴に髪を掻き混ぜられる。嬉しいような悔しいような、複雑そのものの顔をしていたダンテに、他人事のように笑いながら、クロードが顔を寄せてくる。  目の前の栗色が笑む。キスをしようとしたら避けるように、彼の口元が耳に寄せられた。 「さっきの続きは、帰ってきたら、な?」  背筋がぞくぞくするような掠れた声が鼓膜と脳髄を揺さぶる。己の体は大変素直で、下腹部が沈むように重くなった。  本当になんなんだこの人。色気ありすぎだろ。日を追うごとにエロくなってる気がする。  そんなバカな言葉が口から出ないように、声にならない呻き声を上げたダンテに、またクロードは笑ったのだった。

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