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36.未知を知る者

 偶然にも目的地が同じだったクロードを、正面玄関まで車で送り届けた時までは、最高に気分が良かった。がんばれよ、とクロードが頬にキスをしてくれたから。  億劫でしかない大口客への対応も、それなりにやれそうだ。  そんなことを思いながらダンテは、指定されたスウィートルームへスタッフと共に足を運んだ。  本当にそこまでは、良かったのだ。  呼び鈴を鳴らして部屋に入って、スタッフが出て行くまでは。 「君がダンテ=スヴェトラーノフか」  対応したほぼ全員のスタッフに大盤振る舞いをしたらしい男は、まるで検分するようにダンテを頭の先から足の先まで何度も見た後、ぽつりとそう言った。  ホテルのオーナーとしての名前は偽名を使っている。  まさか本名の方で呼ばれるとは思わなかった。  内心驚きはしたが、動揺を見せるのは尻尾を出したのと同義だ。笑みを張り付けたダンテは、口を動かす。 「すみません、お客様。そちらの名前には聞き覚えがないのですが」  オーナーらしく言えば、男はハッと鼻で笑った。 「隠さなくても良い。君が裏社会から此処を操っていることは、僕に筒抜けだからね」  ニヤリと笑った男に、ダンテは今度こそ笑みを無くした。  目の前の男の目的が全く分からない。  街並みが良く見える窓際の椅子に腰を掛けている男を、よくよく観察してみる。国外の老舗ブランドのスリーピーススーツ、少し癖のあるアッシュブラウンの髪に、同じ色の瞳。似た面影を見た気がするのに、正解は見えない。  ただこの男と面識がないのは確かだ。  ふーっと息を吐いてから、セットした髪を崩すように髪をかきあげて、男の向かい側にある一人掛けのソファに腰を掛けた。 「オレがダンテ=スヴェトラーノフと知っていて、呼び出した理由は何ですか?」  諜報の情報が正しければ、彼はたった一人でここに乗り込んできている。仲間は誰一人として連れていない。  アンリ・リヴィエール。  童顔だが、クロードよりも年上の男だ。国外の貿易会社の取締役として活躍している。裏社会に深くかかわっている身として、宿泊客の素性を出来る限り調べることを常に諜報にやらせていたのが功を奏した。実際に存在する会社であることもすでに調べがついていて、かつ、本人で間違いない事も、アンリが裏社会との直接的な関わりがない事も確認済み。  それ故に、一体何のためにアンリが己に会いに来たのか、全く分からないのが現状だ。分からないのであれば聞いてしまえ、と口を出した。  そんなダンテの態度が気に喰わなかったのか、アンリは少しだけ視線を鋭くして、ダンテを睨んでくる。数秒後、はあ、とわざとらしく溜息を吐いたアンリは言った。 「クロード・シャルルを知っているな?」  ぴくりと己の眉が動いたのが分かった。  そっちだったか。だったらこのホテルにクロードを連れてきたのは判断ミスかもしれない。  そう思った直後、アンリがさらに言葉を募らせた。   「僕の要求は一つ。クロード・シャルルに会うこと。それだけだ。早速だが、クロードはどこにいる」  絶対に従わせてやると言わんばかりの態度だ。今度はダンテが鼻で笑う番だった。 「どうしてオレが知っていると?」 「クロードが君と恋人同士だ、ととある伝手から聞いた」  怒りが腹の底に湧く。クロードの名前を気安く呼ぶな。そんな想いを口に出さずに、腹の底まで沈めた自分を褒めてやりたい。目の前の男を意識がなくなるまで殴ってやりたいのが本音だが、安い挑発に乗るのはバカのすることだ。  鼻を鳴らしてから、背もたれに体を預ける。流れるように足を組んでから、不遜な態度で言ってやる。 「それが事実だとして、貴方とクロードを会わせるとでも?」  得体の知れない男と会わせるわけがない。  裏社会で重宝されているクロードは、相当手練れの情報屋だ。表の世界でも有名であることに、特段不思議はない。だが、陽の光の下を歩けるような男に、差し出すつもりは更々ない。  クロードはこちらが心配になるほどに、人たらしだ。  少し前にも、敵方の右腕を真っ先に自分側に引き込んで、いつ泥沼化してもおかしくなかった状況を、見事にひっくり返した。その結果、余計な血を流すことなく、事態を収束させたのだ。  クロードは相手の懐にするりと入り込んで、懐柔する。まるで猫のように人の心を掴み、簡単に転がすのが本当に上手い。ダンテには出来ない芸当だ。  目の前のアンリも、転がされた内の一人かもしれない。  クロードに本気になった輩は、本人が知らないだけで意外と多い。彼の心を手に入れたくて仕方なかったのは、なにもダンテだけの話だけではないのだ。    別の人間に、クロードを掠め取られるかもしれない。  そんな危機感をいつも持っているからこそ、アンリをクロードと会わせるわけにはいかない。実際、それだけ魅力的な人だと思うから。 「誰が何と言おうと、クロードに会わせる気はない。以上だ」  ソファから立ち上がる。  これ以上留まる理由もない、と扉に足を向けた時だった。不意に笑い声がその場に響いた。肩越しに見遣ったアンリが、肩を震わせて可笑しそうにダンテを見ている。 「噂通りの男だな。ダンテ=スヴェトラーノフ」  何も答えないままのダンテに、さらにアンリは言った。 「クロードを独り占めしたくて仕方ないんだな、君は。まあ分かるよ。あの子はいい子だろう? 何でも器用に熟すし、人の感情に敏感で、人の何倍も察しが良い。君の心にさぞかし寄り添ってくれるんだろうね」  何故それを。知っているのは自分だけだと自負していたことを、目の前の男の口から告げられた。腹の底から湧いた漆黒の感情が、胸の内を染めていく。知らず知らずの内に、こめかみに筋が立ったのも認識する暇もない。  ダンテが表情を変えたことに気付いたのか、アンリがくつくつと喉で笑った。 「いい表情だ。僕にクロードが取られるんじゃないか、と君は危惧している。だから会わせたくないんだろう?」  胸の内に隠した本心を見抜かれた。だとしても、どうでもよかった。バレたのなら仕方のない事だし、隠し通せるとは思っていない。同じような感情を持つ者同士と分かっていたら、己の胸の内を口に出せば大抵のことは当たる。 「分かっているならさっさと失せろ」  強く言葉を放って、今度こそ足を動かし始める。そんなダンテの背中に、アンリの悦が混じる声がぶつけられた。 「僕と君。果たしてクロードはどちらを選ぶかな。楽しみだね、ダンテ=スヴェトラーノフ!」  苛つく声をこれ以上聞かずに済むように、扉を強く閉めた。一室しかないフロアに、派手な音が響いても気にならないくらい、胸の内が嵐のように荒れていた。  どちらを選ぶかなんてそんなの決まっているだろ。  そう思うのに、荒れたままの胸の内を治める術をダンテは知らない。  扉に背を預けて、長く大きな溜息をその場に落とす。  クロードはダンテよりも長い時を生きている。当然だ。クロードの方がダンテよりも先にこの世に生を受けて、今の今まで生きている。ダンテの知らない過去が、クロードには存在する。それを今まで悔しく思うことはあっても、嫌だと思うことはなかった。  一体アンリがクロードの何なのか、ダンテは知らない。  クロードと共に生きた時間が、あまりにも短すぎる。今まではクロードのすべてを知らなくたって良い、と思っていた。でもこんなことになるなら、もっとクロードの過去を聞いておけばよかった。  チッ、と思わず打った舌。  クロードが己に心を傾けてくれているのは知っている。それはもう十分すぎるほどに。だとしても、離れて行かないなんて保証はどこにもない。  アンリのことをクロードに聞きたい。  それと同じくらい、聞きたくない。  昔の恋人だ、とか、初恋の人だ、忘れられない人だ、と言われた時自分がどうなってしまうか、全く見当がつかない。怒りに我を忘れるのは間違いない。もしかしたら今度こそ、クロードを己だけが知る檻に閉じ込めてしまうかもしれない。  自由でいて欲しい、と思うのに、鎖で縛って己だけを見て欲しいとも思う。  相反する気持ちが抑えきれなくなった時、その力の矛先は間違いなく、クロードに向かう。 ーー裏切るなら、俺のことを殺していけ、って思う  そう言ったクロードの気持ちが今なら分かる。  クロードになら殺されてもいい。離れて行くくらいならその手で殺されたい。死に際をその目に焼き付けて、一生治ることのない傷痕として、クロードの心に居座りたいから。  ふーっ、と息を吐いてから顔を上げる。  クロードがいない所でぐちゃぐちゃと考えても無駄だ。そう結論付けて、ダンテは一歩を踏み出した。幸いにも、思ったより体は軽く動き出した。  向かうは、クロードがいるであろうラウンジだ。  一刻もアンリがいるこのホテルから、クロードを連れ去りたい。その一心だった。  

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