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45.囚われたもの

 男は屋敷の奥へ奥へと進んでいく。  その間に、肉体だけに頼っていそうなガラの悪い男たち数人とすれ違った。銃口を男に突きつけているクロードに驚く様子はなく、品定めのように舌なめずりする者や、ニタニタと下品な笑い方をしている者もいた。  記憶が正しければ、どの男もこの街のギャングではない。ギャングかぶれ、もしくは、末端の末端といったところか。  彼らが新興勢力である可能性を除けば、見たことがない顔揃いだ。  この街の主要のギャングとは仕事の関係で、ほぼ顔を合わせているし、この街のギャングたちは、大部分が街の人間に溶け込んでいる。ボスであるダンテですら、ホテルの支配人という表の顔を持っているのだ。  だいたい、悪人です、という態度で相手を威嚇するなんて馬鹿のすることだ、と思う。  無駄な火種を生むことになるし、街の人間の警戒心を無駄に刺激することになる。交渉するにも不利だ。武力ばかりに頼っては、組織の発展は見込めない。  まあだからこそ下っ端っぽく見えるのかもな、なんてろくでもないことを考えていたら、やっと男が足を止めた。  目の前には、光沢を持った両開きの扉があった。振り返った男が、ぽつりと言う。 「一度銃を下ろしてもらえるか、クロード・リヴィエール」  鼻で笑った。 「銃口を下ろして、狙われない保証が出来るなら考えるけどな」 「依頼主は、敵意がないならこちらも手を出すことはない、と言っていた。あくまで私が聞いた話では、だが」  なるほど、とつぶやく。  彼はあくまで雇われているだけらしい。命令されたことを忠実に守っているのだろう。  彼の雇い主を妙に刺激して、屋敷ごと爆破されては困る。ここは条件を飲むしかないか。溜まった二酸化炭素を鼻から吐き出して、不本意ながら拳銃を胸元のホルダーへと戻す。  見せつけるように両手をあげてみせると、男は扉に向き直って、三つノックをした。 「入って良い」  しゃがれた男の声が部屋の中から返ってくる。  失礼します、と中に入っていく男に続く。  扉の真正面にあるのは、大きな窓だ。 「よく来てくれたね、クロード・リヴィエール」  声が左手から飛んでくる。視線を向ければ、大きな一人掛けのソファに座っている男がいた。  どんな豚男がいるのかと思っていたが、実際に座っていたのは随分と痩せこけた白髪の男だった。 「連れてこられたって方が正確だけどな」 「言葉の綾というものさ。こうでもしないと君には会えないと思ったからね」  掛けてくれ、と向かいに置いてあるソファを手で指された。部屋の中をぐるりと見渡してみたが、彼と案内役以外は誰もいない。  とりあえず座っても大丈夫そうだな。  一秒に満たない時間でその結論に辿り着いて、ソファに腰を下ろす。目元を緩ませた男が言った。 「はじめましてだね、クロード・リヴィエール。私はカール・ライアンだ」 「どうも」  本当に初対面で間違いないか、脳内の人物図鑑で照合する。名前に聞き覚えはないし、彼のような顔は記憶にない。まあ偽名の可能性もあるよな。そんな事を思いながら、にこりと笑みを浮かべた。 「俺に何の用があって、こんな場所まで連れてきたんだ?」 「すまない。きみに一目会ってみたくてね」  にこにことそう言っているカールに、感情の籠っていない笑みを返す。  この爺さん、随分のらりくらりとしてやがる。舐めてかかると痛い目見そうだな。  クロードの経験上、すぐ怒鳴り散らすような人間よりも、カールのような人間のほうが要注意人物のことが多い。態度が急変する、というよりも、とぐろを巻く蛇のように外堀を埋められて、いつのまにか退路を絶たれている可能性があるのだ。  やりにくい相手だな、と思いつつも、言葉を放つ。 「アンタが言う通り、俺たちは初対面だ。なのに会ってみたいだけの理由はどこに?」 「会いたいのに理由が必要かな?」 「理由はなくとも、何かしらのきっかけがあるはずだ。それのことを俺は聞いてる」  ふふふ、とカールは笑みを深くした。明らかに何かを企んでいる顔だ。 「さすがはオリバー・リヴィエールの息子と言うべきか、頭も口も回るようだね」  やっぱりか、と思いつつ鼻で笑い飛ばす。 「これでも父さんには拙いって言われたけどな。……で? 父さんの知り合いであるアンタが、俺に何の用だ?」  父であるオリバー・リヴィエールは、業界では有名だ。  当然恨みを買っている事も多い。やり手であったのに加えて、手段を選ばないところがある。論理と効率を重視する彼に、感情論や泣き落としは無意味。意図的ではないにしろ、商売敵を何社か潰している。  商売敵からしてみれば、父は悪魔のような存在。だが父を敵にするのはリスクが高すぎるが故に、こうしてクロードへと矛先が向いた、と考えるべきだろう。  そんな考えを、カールは肯定した。 「君の父であるオリバーには、散々醜悪な事をされたんだ。何をされたかって? 大事な家業を潰された上に、最愛の人に逃げられてしまった。私は努力をしていたのに、あの男が全てを無き物にしたんだ」 「へえ? それの何処に俺と関係があるんだ?」  悪いが、ただの八つ当たりにしか聞こえない。業績の悪化のことは気の毒だと思うが、最愛の人間に逃げられたのは、何も家業が潰れたからばかりではないだろう。根本的に性格が合わない可能性だってあるし、カールが家族にどんな態度を取ってきたかにも因る。  それなのに逃げられたことを他責にしている。  俺とは何の関係もない。  そう思ったのに。  カールは口の端を鋭利に吊り上げて言った。 「関係あるさ。なんたって逃げた最愛の人はマリーなのだから」  目を見開く。その名前に聞き覚えがあった。クロードの母の名前と、まるで同じだったから。  満足気に笑ったカールは、更に言い募る。 「彼女と私はね、心のそこから愛し合っていたんだ。でもある日突然、オリバーに彼女を奪われてしまった。クロード、君を身ごもっていたのに」  口の中が急速に乾いて言葉が出てこない。どういうことか分からない、否、理解を脳が拒んでいるのをクロードは知っていた。  カールはこう言いたいのだ。   ――お前は、オリバーの実の息子ではない。  でも、そう考えれば全てに辻褄が合う。父がやけにクロードに冷たい態度だったことも、何の期待もしていない態度だったのも、母が何度も謝ったのも。  全部全部、それが証明している。  はっ、と笑いが漏れた。  じゃあ本当に文字通り、父さんにとって俺はいらない子だったわけだ。  笑い出したクロードに、カールはやっと言葉を止めた。彼がどんな顔をしているかは分からない。顔を下げて、片手で目元を覆っているから。  嗚呼、なんだそうだったのか。なあんだ。  ひとしきり笑った後、顔を上げた。笑みを浮かべていたカールは目が合った途端、わずかに目を見開いた。でもクロードにとって、自分が今どんな顔をしているかなんてどうでも良かった。 「それで? それを俺に伝えて、アンタは何がしたいんだ?」 「決まっているじゃないか。君を虐げたオリバー・リヴィエールに復讐するんだ」 「実の父のアンタと?」 「そうだよ」 「アハハハッ! 傑作だな! ハハッ!」  また笑い出したクロードに、カールは僅かに体を引いた。それを見逃すクロードではない。足をゆっくり組んで、肘置きに頬杖をついて、鬱蒼と笑う。 「復讐はアンタ一人でやってくれ。父親がアンタだろうが、オリバーだろうが、俺にとってはどうでもいいことだ」  そうだ、どうでもいい。  この男が言っていることが真実だったとして、だからなんだというのか。父親が誰であろうが、クロードが一番辛かった時期に、どちらも何もしてくれなかった。愛してほしいと思ったときに、傍にいなかった。だったら、どちらも赤の他人で、どうでもいい人間だ。  クロードの人生には不必要な、ただあるだけの風景と同じ他人。  この先の人生にも必要ない。利用されるだけの生活なんて、家を飛び出したときに捨てた。クロードは今やりたいようにやっている。満足している。復讐なんてしても、過去に欲しかったものは手に入らないし、いらない。  なのに、カールは焦った顔をして食い下がる。 「なぜだ! 君もオリバーが憎いだろう!? 幼い君を追い出して、のうのうと生きてるんだぞ!?」  嗚呼、と思う。  カールはまだ囚われているのだ。過去に失ったもの、手に入らなかったものに固執して、それをオリバーのせいだと子どものように喚いている。  まるで小さい頃の自分を見ているようだった。  クロードは小さく笑って静かに言った。 「もう少し前の俺だったら、その泣き落としも通じてたかもな」  オリバーが死ねばいいと思ったことはない。でも愛されてみたかった。それが叶わないと知って、家を飛び出した。恨んでない、憎くない、といえば嘘になる。その時に付いた傷は、ずっと付いて回っていた。要らないと言われるのが怖かったのも、飽きられるのが怖かったのも、全てその傷に起因していた。  けれど、今は。 「でも今は心底どうでもいい。あの人に割いてる時間なんてない」  自分の全てを見せても良いと思える、ダンテがいる。彼から、身に余るほどの想いを受け取っている。それだけで十分すぎるほど満たされている。オリバーに時間を割くくらいだったら、明日をも知れないダンテにその時間を使いたい。そうして、ダンテが己に飽きたら、彼自身の手で地獄に送ってもらいたい。  だから。 「復讐したいなら、ひとりでやれよ。俺を巻き込むな」  復讐をしたいと言うなら止めないし、オリバーがどうなろうが、クロードの知ったことじゃない。オリバーの生死にも興味がない。気がかりなのは、母のマリーと兄のアンリだけ。なるべく二人が悲しまなければ良い。その程度のことだ。  クロードの返答に、カールは奥歯を噛み締める。一度下を向いてから顔を上げた彼には、不気味な笑みが浮かんでいた。 「気骨があると思っていたのにとんだ腑抜けだったね、クロード。私の話を飲めば君も幸せになれたのに」  鼻で笑い飛ばす。煽りは効かない。 「ハハッ、復讐が幸せ? バカ言えよ。ずっとあの人に執着してる証左だろ。振り向いてもらえなくて駄々捏ねてるだけの人生が幸せなんて、随分ちっぽけだな」  逆に煽り返してやったら、カールの笑みが消えた。 「……私があの男に受けた屈辱と苦痛が、君に分かるか? 私にそれを与えたあの男はそれだけで死に値する」 「へえ? それは大層な屈辱と苦痛だったんだな。でも生憎、アンタの人生がどんなもんかなんて考えてるほど暇もないし興味もない。俺にとってアンタの人生なんてそのへんに落ちてる石ころ程度の価値だ」  カールもまた、クロードにとってはどうでも良い存在だ。自分が本当の父親です、と今更言われたところで、はぁそうですか、以外の感情が出てこない。  カールはわざとらしく大きなため息を吐いた。 「残念だよ、クロード・リヴィエール。出来ればこの手は使いたくなかったんだけどね」  言い終わるか否か。壁だと思っていた場所は、どうやら仕掛け壁だったらしい。ガラの悪い男たちがニタニタと部屋に入ってきた。さっき廊下ですれ違った連中だ。全員で五人。彼らの手には得物やスタンガンが握られていた。  チッと舌を打つ。抵抗するには少し数が多いな。思考を回しながら周りを取り囲んだ男たちから目を離して、カールを見遣る。仄暗い笑みを浮かべた彼と目が合った。 「一応聞くけど、俺をどうするつもりだ?」 「君の尊厳を奪って、それをリークして、リバー社の評判を落とすのさ。喜ばしいことに、オリバー・リヴィエールの息子というだけで、君を色んな意味でぐちゃぐちゃにしたい人間は山程いるからね」  ぐちゃぐちゃ、というのはさしずめ、性奴隷もしくは実験体だろう。またそのパターンかよ。内心笑いつつも、口を動かす。 「さっきと言ってることが矛盾してるように聞こえるのは俺の気のせいか? 俺はアンタの息子なんだろ?」 「既成事実が大事だからね。君が私の息子であろうが、戸籍上オリバー・リヴィエールの息子、という方が重要なのさ」  確かにそれは一理あるな、と思う。情報屋としてはその精度では三流だが、多くの人にとっては、真実よりも今ある事実の方が大概重要だ。だからこそ、今カールが言うことは正しく、そうしたい人間が山程いるというのも本当なのだろう。  斜め後ろにいた男の手が肩に伸びてくる。それをはたき落とした。 「気安く触らないでもらえるか? 触らせると怒るヤツがいるんだ」  青筋を立てている男には悪いが事実だ。ダンテにキレ散らかされて痛い目を見るのはお互い様だし、死を免れるだけ幸せだと思ったほうが良いぞ、と心では思うが口には出さない。 「抵抗しないほうが君のためだよ。痛い目に遭いたくないだろう?」  優位の笑みを浮かべている彼らは、やはりクロードのバックに居るダンテを知らないのだろう。まあそれはそれでいい。ちらりとみた時計はもう二時間以上が経っている。尾行を嫌ったのか、車で大回りしてきたからこそのこの時間だ。これ以上時間を稼ぐ必要もない。これからクロードが考えるべきは、どうやってこの連中から逃げ出すかだ。  はあ、と溜息を吐いてから、笑った。 「オモチャにされそうになってんのに、抵抗しないわけないだろッ!」  言い終わる前に、一番近くに立っていたスタンガン持ちの男の脛に、思い切り踵を叩きつけた。  

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