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夕陽のオアシス

 住み込み、と言うからには部屋が用意されているのだろうと思ってはいたが、こんなに立派なものだとは想定外だった。夕陽はせいぜい、貧乏学生が住む一人暮らしのアパートを想像していたが、案内された部屋は家賃の高いタワマンを彷彿させる。家賃の高いタワマンの部屋には、1回しか入ったことはないが。  ベッドはとても寝心地が良かったし、広めのユニットバスは新品同様で綺麗だ。夕陽が1番気に入ったのは、使い勝手の良さそうなシステムキッチンだ。  ただひとつ、問題があるとすれば。 「ねー……ジュースとってー」  1枚、薄い壁を挟んだ隣の部屋から、気怠げな声がする。憧れの、大容量冷蔵庫から500mlペットボトルを1本出して、声の主へ届ける。  要するに、2LDKの間取りで、24時間ゴウの1番近くで生活しなければならなかった。 「これ、最後の1本です」  うつ伏せて枕に顔を埋めたゴウが、手だけを伸ばす。そこへペットボトルを持たせてやった。 「買ってきといてね。雑用も、ケアテイカーの仕事だ」 「……そんな事いちいち言われなくても分かってる!」と、怒鳴りたい気持ちをグッとこらえ、夕陽は買い物に出かけた。  ドッグタグをかざして扉をいくつも開けると、地下へ行ける(B2のボタンしかないのだが)エレベーターに到達する。  少し長めの降下時間を経てエレベーターのドアが開くとすぐ、買い物のできるエリアが広がっている。この場所も、説明を受けたときは病院内に入っているコンビニのような所を想像していたが、いざ行ってみると、品ぞろえ豊富でセレブ御用達な感じのスーパーマーケットだった。見たことのない野菜や果物、100gの値段の「0」が1個多い肉、量り売りのスパイスなどを見ていると、まるでテーマパークに来たような感覚で、夕陽のテンションがすこぶる上がった。    店の近くにはフードコートもある。午前中の今は、白衣や作業服を着た人たちが軽食を摂りながら談笑していた。これから仕事、もしくは仕事終わりの人達だろうか。  その中を支給された物とはいえ、ジャージ(少し大きめ)で移動するのは、ホテルの朝食バイキングに備え付けのルームウェアで行く感覚に似ていて、間違いではないが場違い感が半端ない。誰も気にしていないのに、全員から見られている気がして、夕陽はそそくさとペットボトル飲料が置かれた売り場に向かう。  会計がセルフレジなのがまだ救いだな、と思った。その上決済はドッグタグをかざすだけで完了するので、一瞬でおつかいを終えることができた。  夕陽は購入したペットボトルをすべて冷蔵庫に入れて、ゴウの様子を見にいく。先程と同じ体勢だった。 「ゴウさん、飲み物補充できました」 「うん……ちょっとお腹空いたから、何か軽食買ってきて」 「……一度に言えよ!」と、怒鳴りたい気持ちをグッと堪え、夕陽は笑顔で頷いた。 「わかりました」 「今、一度に言えよって思った?」  枕に半分顔を埋めたゴウが、こちらを見ていた。笑顔を作っておいてよかったと、夕陽は自分の判断と表情筋を褒めたたえた。 「いいえ」 「ふーん。どうだか。そこの引き出しに、タグがあるからそれ使って」  ゴウの疑いの視線を華麗にスル―し、言われた引き出しの中を探す。重厚感のある金色のドッグタグが入っていた。確認のため、ゴウに見せる。 「もう何もないから、テキトーに食材とか買っといて。俺の口座から引き落とされるから。俺、金だけはあるんだよねー」  夕陽は、金が無い自分への挑発として受け取った。ご期待通り、値段を気にせず高級食材を買いまくってやる、と意気込み、再びスーパーマーケットへ向かう。 「あっ、夕陽だー!」  意気込んだものの金銭感覚を急には変えられず、いつも使っている調味料や馴染みある食材をカゴに入れていると、アリマが現れた。 「あーちゃん」  数日ぶりにアリマに会えて、夕陽はホッとし、自然と笑みがこぼれる。 「お買い物?あっ!神の恵み!」  アリマが、金色に輝くゴウのドッグタグを目ざとく見つけ、悪い顔をした。 「ゴウくん、ゴチでーす」  購入予定の商品を夕陽のカゴにどさりと入れる。ほとんどがチョコレート菓子だ。 「えっ、こんなに……怒られないかな」 「ダイジョーブ!私より給料いいんだからー。ま、自分ではほとんど使えないんだけどね」 「なんで?」  きょとんとする夕陽に、アリマが説明を加える。  ゴウは、部屋の外へ出ることができない。これもまた、秘密保持のためと押し通されるのだろうか。医務室へ行く以外の施設内の移動は、申請して許可をもらい、鹿野のような監視を付けて行うのだそうだ。その移動も限られていて、治療部屋かカウンセリングルームの往復だけだ。  もっと快くおつかいを引き受けてやればよかったなと、夕陽は少し後悔した。 「ゴウくんの調子はどう?」 「なんか、ずっと寝てる」 「寝てるだけかー。今回のは負担少なかったのかな……ま、疲れてはいるだろうから、無理しないように見張ってあげてね」  夕陽は、以前ゴウ本人も、心身ともに負担がかかると言っていたことを思い出す。 「うん。仕事だから、がんばる」  会計をすませて商品を分ける。夕陽も、冷蔵庫やキッチンを潤すために買い込んだ方だが、アリマのチョコレート菓子の袋の方が大きくなった。ほくほく笑顔で「いつでもおいでー」と手を振るアリマに、少し寂しさを感じながら手を振りかえして別れた。

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