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力の代償②
二人でたまご粥をたいらげた。夕陽は、シンクのお湯の勢いに感動しながら後片付けをしている。ゴウは薬が効いて体調が少し良くなったらしく、セルフメディカルチェックをした。心拍数を測ったり、睡眠時間や食事についてタブレットで入力し、毎日アリマに送る必要があった。
メディカルチェックの結果報告が終わり、立ち上がろうとした瞬間、頭に激痛が走る。
「うっ……」
そのまま、受け身もとれず床へ倒れ込んでしまった。音に驚いた夕陽が駆け寄る。
「えっ?ゴウさん!」
ゴウの体を支え、起こしてやる。青白い顔で、苦しそうに頭を押さえる姿に、あの日と重なって、夕陽は心臓がぞわりとした。
「あっ、医務室へ……俺、鹿野さん呼んできます!」
急いで部屋を飛び出そうとする夕陽の腕をゴウが掴んで制止する。
「……いいよ、あいつ今日非番だし」
「じゃあ、あー……アリマさんに直接来てもらいましょう!」
「いいって言ってるだろ!」
ゴウが夕陽を睨みつける。
恐怖と、その裏に隠れた怒りのこもった目が向けられた。
「ああ、まただ」と、ゴウは思った。
人に頼るのとか、誰かに弱みを見せるのとか、そういうのは得意じゃない。その瞬間は、救われるのかもしれない。気持ちが楽になるのかもしれない。でも、優しさは裏切る。裏切られた後は、耐え難い苦痛が待っている。
そうなるくらいなら、最初から誰も信じない。頼らない。優しさなんて期待しない。その結果、誰も自分に歩み寄らない。今みたいに威嚇して、近寄らせないからだ。相手は、一定の距離を保ち、当たり障りなく仕事をこなして、手に負えなくなったら、何も言わずに姿を消す。
だから、今目の前にいる男も、そのうち去っていくのだろう。
「……寝たら治る」
ゴウが、下を向いて肩を震わせている夕陽から顔をそむける。
その顔を夕陽が両手でつかみ、無理やり視線を合わさせた。
「人間には限界があるんだ!死んじゃうかもしれないんだぞ!」
恐怖と怒りと、あと、とても懐かしい感情を含んだ目で貫かれ、ゴウの思考回路が停止する。
「あ!ご、ごめんなさい!ぼ、僕、つい……ひっ!」
さっきの強引なものとは真逆の、挙動不審に動く目を見つめながら、ゴウは夕陽の手に触れる。また怒鳴られると覚悟した夕陽だったが、手から伝わるゴウの体温の低さに驚いた。
「先生……呼んで」
そう言って近くにあったタブレットを指さすのがやっとで、ゴウは意識を手放した。
「ふふ……夕陽かわいい」
せっかくのブレイクタイムなのに、医務室特有の、消毒の匂いを嗅ぎながら飲むコーヒーは、なんだか味気ない。
そういう時の対処法をアリマは心得ていた。
スマホの画面に次々と映し出されているのは、夕陽の写真だ。幼い頃の物が多いのは、大きくなってからはあまり会えなくなったのと、会っても写真を撮らせてくれなかったからだ。
「夕陽は嫌がるけど、髪はこれくらい長い方が1番似合うのにな」などと考えながら、コーヒを飲む。さっきより何十倍も美味しく感じた。
「あっ……」
ある写真の所で、いつも手が止まってしまう。10年前、夏に河原でバーベキューをした時の、集合写真だ。
「この頃は……みんな幸せだったな」
懐かしさに、目を細める。追うように睡魔が襲う。アリマは、そういえば今日は30分くらいしか寝ていない、という事実を思い出し、写真の夕陽の笑顔に見守られながら瞼を閉じた。
閉じた途端、スマホが震えだして目が覚めた。着信中の画面には"ナンバー5"と表示されている。ため息を吐きながら電話に出る。
「もう、なに?今眠りにつく寸前の、気持ちよーい感じだったんだけどっ!」
半分冗談で半分本気で怒りながら話すと、それに被せるように聞こえたのは、夕陽の声だった。
「あーちゃん、ゴウさんが!」
「ここに寝かせよう」
鹿野と夕陽が、ぐったりしたゴウを運んでくる。この状態は久しぶりだ、と呟いたアリマは、素早く点滴を施した。
しばらくすると、虚な目で痛みに耐えていたゴウの強張った顔からふっと力が抜ける。そして、規則正しい呼吸が聞こえてきた。
「おっ。寝ちゃった」
いつものつなぎの作業服ではなく、デニムにパーカー姿の鹿野が、ゴウの額の汗を拭ってやりながら言った。
「みたいだね。ゴメンね、鹿野くん。今日非番でしょ?」
「いーえー。ちょうど買い物行く途中だったんすよ。じゃ、失礼しまーす」
鹿野が右手を上げてひらひらさせながら、医務室を後にする。
夕陽がその場にへたり込んだ。
「はー……」
「夕陽、びっくりしたね。大丈夫?」
「俺は大丈夫だけど……この人、いつもこうなの?」
ゴッドブレスによるゴウへの負担は、こんなに大きいものなのだろうか。これでは身が持たないのではないか。
「うーん。万全の状態でやればここまでは……」
万全の状態、と言うのは、例えば自分がゴウの機嫌を損ねずにちゃんと対応していれば、整っていたのだろうか。管に繋がれて眉間にシワを寄せながら眠るゴウを見て、夕陽は自責の念に苛まれた。
「俺、この仕事向いてないかも」
夕陽がガックリと肩を落とす。
「いやいや、違うよ夕陽。今回の案件がたまたまキツかっただけだよ。あとゴウが余計な正義感かざすから……」
アリマのフォローは、もう夕陽の耳に届いていない。自分の親指の爪を噛んで、何かを考えている。夕陽が追い詰められているときにするくせだ。
アリマは夕陽を抱き寄せる。髪をゆっくり撫でてやった。
「大丈夫だよ。ここへ何しに来たか、思い出して。夕陽なら出来るよ」
夕陽はアリマの背中に手を回し、彼の胸に頭をぐりぐりこすり付けた。大きく深呼吸をしてから「よし」と頷く。
「そうだよね。こんな俺にだってプライドはあるもん。今こそ、経験を活かすときだよね。いてっ」
アリマが夕陽に軽くデコピンをする。
「こんな、は余計だよ。ゴウくんが目を覚ましたら連絡するから、夕陽は部屋でゆっくりしておいで」
「うん。俺、それまでに作戦考える。まだ間に合うでしょ」
目を輝かせながら、夕陽が自室に戻っていった。
自分を必要以上に蔑んだり、ふさぎ込むよりはいいと思う。けれどもアリマは、夕陽のこの明るさに、不安を覚えずにはいられない。あの子を助けてあげたい。けれど、あの子は一人で全部抱え込んでしまう。そうやって、生きてきたのだ。
「……似てるのかもね」
アリマは、さっきよりずいぶん顔色の良くなったゴウを見て呟いた。
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