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アフターケア②

「どうしたの?夕陽」  おふとんのなかでふるえてたら、兄ちゃんがてをにぎってくれた。 「そう。怖い夢を見ちゃったんだ。そしたら兄ちゃんが、いい事教えてやる」  兄ちゃんがマネをして、というのでマネする。ぼくはひざをかかえてすわる。 うしろから兄ちゃんが、だきしめてくれた。ぽかぽかで、とてもあたたかくて、あんしんする。 「こうすれば、夕陽専用のシェルターだよ」  ぼくは、ゆっくりめをとじた。  苦しくなって、目を開ける。隣で母さんがうずくまって泣いていた。声をかけようとしたけど、全然体が言うことを聞かない。 「お前らさえいなければ」  顔をあげると、兄ちゃんが血の付いたガラスの破片を握っていた。兄ちゃんの手から、血が流れている。とても痛そうだ。血が流れる手よりも、心がとても痛そうだった。  そうだ。にいちゃんに、シェルターをしてあげよう。  そう思って手を伸ばしたけれど、振り払われた。兄ちゃんの背中がどんどん遠くなっていく。 「はっ!……はあっ、はっ……」  夕陽が目を覚ますと、作業服を着た女性が心配そうにこちらを見ていた。寝起きはいい方なので、自分の身に何が起こっていたかをすぐに思い出した。 「大丈夫ですか?」 「あ、ごめんなさい。これ、ほどいてくれると嬉しいです」  作業服の女性が、夕陽の手を縛っていたフェイスタオルを取る。夕陽は晴れて自由になり、一旦、胸をなでおろす。 「あの……着替えも、もってきましょうか」  作業服の女性が、視線を外しながらそう言った。夕陽は、自分の体が今どんな状態なのかも思い出した。 「ご、ごめんなさい!もう大丈夫です!」  自由になった両手が、さっそく出番を迎えた。    ゴウは自室のドアの前でたたずんでいた。どう入ればいいんだろう。初めから謝罪をするのか。何事も無かったかのように振る舞い、流れで謝罪を述べるのか。 そんな事をぐるぐる考えながら、結構な時間が経過した。多分、いくらここで考えても答えは出ない。そもそも謝り方を知らないからだ。 「くそ、めんどくさい!」  思い切ってドアを開けると、食欲をそそる香りが広がった。その香りを辿っていくと、キッチンにたどり着く。 「あ……お疲れ様でした」  お玉で鍋の中を混ぜていた夕陽が、ゴウの顔色を伺いながら遠慮がちに会釈する。 「……うん」  夕陽は、ゴウの小さな反応をとても嬉しそうに受け取った。 「お腹、空いてませんか?」  言われてみれば、朝から何も口にしていない。急に、腹の虫が主張し始めた。 「空いてる」 「すぐ用意しますね……あの、僕も一緒に食べて良いですか?」 「別にいいけど」  ゴウは「そうじゃないだろ、俺!」と自分でツッコミを入れながらも、特に何も言えないままダイニングテーブルで夕陽を待った。  しばらくすると、ずっと嗅いでいたい香りと共にカレーが運ばれてきた。見た目も美味しそうで、ご飯とルウの割合が黄金比だ。 「冷蔵庫の中とか、調味料がまだ潤ってなくて。カレー、嫌いじゃないですか?」 「嫌いじゃないけど。シチューの方が好き」 「はは……すいません。次はシチューにしますね」  この口はまた、余計なことを言う。ゴウは自分に苛立った。それを誤魔化すように、スプーンを両手に挟んで首を垂れた。 「いただきます」  一口含むと、胃が早々に次を求める。コクがあって、深い味わいだ。人参やジャガイモの大きさがちょうどいい。スジ肉はほろほろと解けていく。  次々とカレーを口に運び、頬を膨らませるゴウを見て、夕陽は微笑んだ。食べっぷりに安心し、夕陽もカレーに手をつけた。  夕陽がおかわりをよそって差し出した時、手首が赤くなっているのをゴウが見つけた。 「それ……」  ゴウの鼓動が少し早まる。夕陽の華奢な手首にくっきりと残っているのは、自分が縛ったタオルの跡だ。 「あっ、これ、監視の人が来て外してくれました。女の人だったので、来てくれた時、下履い てなくて……ちょっと恥ずかしかったです」  夕陽が手首をさすりながら、笑顔で答える。その笑顔に促され、ゴウが下を向いてボソリと呟いた。 「……ごめん」  予想外の単語に、夕陽が驚く。 「い、いえ、大丈夫です。仕事だし、それにゴウさんが宣言してくれた通り、痛くは無かったので」 「……そう」  夕陽の「仕事」という言葉に、ゴウは、怒りのような寂しさのような、形容し難い感情を覚えた。それごと、咀嚼したカレーを飲み込む。 「男なら見られてもいいんだ」 「えっ?あ!いえ!まだ男の人の方が慣れてると言うか、あっ違う、慣れてるって言うほど慣れてないって言うか!」  夕陽が慌て、どんどん墓穴を掘っていく。ゴウはその様子を面白がり、助け舟は出さずにただ眺めていた。 「そう言うことね」  ゴウは、アリマが言っていた事の意味を今、理解できた。  満腹の胃を落ち着かせようとソファでくつろいでいる内に、少し眠ってしまったようだ。消化するために血液が胃腸に集まっているのだろう、頭がぼーっとする。  少し離れたキッチンで、食器を洗う音が聞こえる。 「……ねぇ」 「あっ、すいません、うるさかったですよね」  夕陽が急いで水を止めた。 「いや、違うけど……でも、早く終わらせてコーヒーちょうだい」 「はい、わかりました」  さっきより少なめに水を出し、食器洗いを再開する。水が流れる音と、食器が微かに触れ合う音が、心地よい。 「……殺人の為の殺人って、知ってる?」  その心地よさの中で、わざわざ物騒なワードを出したのは、聞いてみたかったからだ。ゴウは、夕陽の考えを知りたいと思った。 「殺人の為……すいません、知らないです」 「人が人を殺すのには、理由があるんだよ。金の為とか、性欲を満たす為とか、恨みを晴らす為とか。でもさ、たまにあるじゃん?」  ただ、殺してみたかった。それだけで、人の命を奪う者が、一定数存在している。 「俺さ、わかんないんだよね。そんなの思った事無いし。そーいうの、どう思う?」  食器洗いを終えた夕陽が、淹れたてのコーヒーをゴウの前に置いた。ちゃっかり、自分の分も用意しているところが、彼の強みだ。 「そうですね。僕もよく分かりませんが……」  夕陽はコーヒーを一口すする。香ばしい香りが鼻を突き、やっと、少しリラックスできた。 「前提として、罪のない人は理不尽に死んじゃダメです」  ゴウの背筋に冷たいものが走る。考え方は同じはずだ。けれど、当たり前のことを当たり前に言うのは、こんなにも残酷なのか。夕陽の真っ直ぐな眼差しは、ならば罪のある人はどうなるべきかを疑うことなく語っている。 「今日は疲れましたね。お風呂、沸かしてきます」  コーヒーを飲み終え、パタパタとバスルームへ向かう夕陽に、ゴウは何の反応も示せなかった。どれだけ動揺していたかというと、少し落ち着こうとコーヒーを口にするも、味を全く感じないほどであった。ゴウは確信した。 「お……怒らせたらダメなタイプだ」

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