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不穏
鹿野から患者の情報が届けられた。夕陽は受け取って、ペーパーナイフと一緒にゴウに渡す。
「ゴウさん、どうぞ」
刃の方を自分で持ち、柄をゴウに向ける。
「……キミさ、色々ひどいことしてきたのに、全然ビビらないね。俺の事ナメてるの?」
今度は夕陽の手を切らないように、慎重に受け取った。
「な、ナメてなんかいません!ただ……慣れてはいます」
「ふーん……」
ゴウが、書類に目を通す。その間、夕陽は命令を待つ犬のように待機した。
「……フォースに出来て、俺に出来ないわけがない」
読み終えたゴウが、ブツブツ呟いた。聞き取れなかった夕陽が、ゴウに近づいて行く。目があった瞬間、腕を掴まれた。
「わっ!」
ゴウが夕陽を引き寄せ、強く抱きしめた。
「あいつにやったみたいに、して」
「えっ、あ、はい」
夕陽は、ゴウの頭を撫でようと試みたが、身長差が邪魔をしてうまくいかない。
「ゴウさん、ベッド行きません?」
明らかに、ゴウが後ずさる。
「え、話聞いてた?まさか、俺を襲う気?」
「違います!フォースさんと同じようにするんですよね?ゴウさんがデカ過ぎて届かないんです!」
ベッドに寝転がり、位置を調整する。ここなら、手が届く。夕陽はゴウの背中に手を回し、
同時に頭を撫でた。
「ああ……確かに。落ち着くかも」
ゴウは夕陽の胸に顔をうずめて、深呼吸する。身体がふっと軽くなるような、安心感が広がった。
「あ、やば……寝そう」
「ふふっ。小っちゃい子みたいですね」
そういう夕陽にも、睡魔が襲ってきた。
「あと5分」を繰り返し、惰眠を貪っているところに、鹿野がやって来る。
「おーい、時間だぞー」
鹿野は、ゴウと夕陽から、謂われ無き冷たい視線を浴びた。
「なに?なんなの?」
今回の患者は、女性だった。ひどく怯えている。あまりに興奮しているため、治療に支障が出てくると考えた鹿野が声をかける。
「大丈夫です。罪から解放され、楽になれますよ」
マニュアル通りのセリフだったが、引きつった笑顔から胡散臭さが滲み出し、逆に彼女を怖がらせた。
夕陽が罪状を読み上げると、彼女の犯した罪がわかる。何度も窃盗を繰り返す、クレプトマニアだ。
「今から、治療を始める」
「やめて!」
ゴウが手をかざすと、女性が大声をあげた。ゴウの動きが止まる。
「お願い……やめて?私が私じゃなくなる……」
女性の目から、次から次へと大粒の涙がこぼれた。何か、辛いことがあったのかもしれない。よく見ると、身体中痣だらけだ。彼女にとって盗むことが、安定剤みたいになっていたのだ。
「ナンバー5。早く治療を始めてください」
女性を連れてきた作業服の女が、ゴウに指示する。
分かっている。自分の存在価値は、言われた通りに、患者をゴッドブレスで治療する事だ。その人がなんであるかとか、なぜ罪を犯したのかなどは、微塵も考える必要はない。何も考えず、何も感じずに力が使えたらどれほど楽だろうか。
ゴウは目を閉じて、集中する。いつもの黒い煙は、一部がコールタール状になって女性にべったりとく貼りついていた。傷つけないように、慎重に吸い取る。
「あ……いや……」
女性の涙がピタリと止まり、笑顔になる。ただその笑顔は、先ほどの鹿野のそれよりもひどい。何の感情もこもっていない笑顔だった。
「ご苦労様でした」
後味の悪さを感じながら、でもこれを誰かにぶつける事も出来ないのも分かっていて、3人は無言で部屋に戻っていた。その沈黙を破ったのは、夕陽だ。
「なんか……患者さんが、僕が見てきたのと違うタイプでした」
数回しか見てませんが、と付け加える。ゴウが「確かに」と反応してくれたので、安心した。
「あの人さー、超お金持ちの御令嬢なんだって」
鹿野がさらりと患者の情報を漏らす。
「……なるほど、ゴッドブレスも金で買える時代になったか」
少し気持ちが楽になって、話題をこの前のお茶会に変えた。鹿野が夕陽のチョコレートケーキの腕前を褒め、店を出してはどうかという提案までし始めた。
「フォースさんも器用で、いっぱい手伝ってもらいました。あっ」
噂をすればなんとやら。角を曲がってきたのは、そのフォースだった。
「フォースさん!」
「夕陽!」
2人は、しかと抱き合う。それから、手を合わせてぴょんぴょん跳ねた。
「夕陽、寂しいよ。僕専用の天使いになって?」
フォースが上目づかいで、舐めるように夕陽を見る。
「え?でも……」
何か、様子がおかしい。そう感じたのは、夕陽だけではなかった。
「フォース……」
「やあ、ナンバー5。さっきの治療、見てたよ。相変わらず、センスがないね」
フォースが、見せつける様に夕陽と体を密着させ、ゴウを挑発する。
「……ああ、そうだな」
ゴウは手馴れているようで、そんな挑発には乗らなかった。それがフォースを刺激する。
「余裕ぶるなよ?お前なんか、本当はいらないんだ。証拠にさ、誰からも、先生からも必要と
されてないじゃん」
お互いに、視線を逸らさない。気まずい空気が流れる。夕陽は、自分が知っているフォースと全く違う一面を見せる彼に、ついていけずに居た。
「鹿野、何でそこに居るの?僕を裏切る気?」
フォースが夕陽から離れて、今度は鹿野に詰め寄った。目にいっぱい涙をためて、縋るように鹿野を見る。
「お前が離れたんだろう……」
鹿野がぼそりと呟いた瞬間、鈍い音が響いた。鹿野の頬が、赤くなっている。
「うるさい!僕の事だけ考えてよ!僕を裏切るな!全部……全部お前のせいだ!ナンバー5!お前のせいだ!いらない、いらないいらない!」
鹿野が、暴れ出したフォースを抑え込む。しばらく「はなせ!」と抵抗していたフォース
が、今度は急に泣き始めた。まるで子供みたいに、肩を震わせて泣いている。鹿野が、フォー
スの背中を抱えて「勘弁してくれ」とぼやいた。
「夕陽。俺、こいつを部屋に送ってくわ。ゴウを頼む」
夕陽は無言で頷いて、鹿野とフォースを見送った。
「ゴウさん……」
「んー。ま、あんな感じでね。情緒大乱闘だから、俺と交代したってわけさ。帰ろう」
ゴウが、何事もなかったかのように歩き出す。夕陽もその後ろに続いた。
「ナンバー5、まだ居たのかい?」
ゴウの足が、止まる。黒縁の眼鏡をかけた、ベストスーツの男が立っていた。
「……復讐ですか」
「人聞きの悪い。あれは事故だった。そうだろ?よくあることじゃないか……ああ、君が夕陽君かい?フォースがとても気に入っていたよ。また彼と話してやってほしい」
ベストスーツの男が、夕陽に名刺を渡す。名刺によると、男の名は三嶋悟。肩書は心理カウンセラーだ。
「あの、三嶋さん、フォースさんは……」
「ああ、びっくりさせてしまったね。大丈夫。今、彼は過去の自分と対峙しているんだよ。誰もが、乗り越えなくちゃいけないんだ。そしたら彼は、本物になれる」
夕陽の目を見て、穏やかにそう言う。三嶋には不思議な説得力があった。そしてその眼差しは、すべてを受け入れてくれるに違いないと、そんな気分にさせてくれた。
そんな三嶋の表情が一変する。
「ナンバー5。神を気取った弱者。君もいい加減、乗り越えなくてはね」
ゴウが、三嶋を見る。夕陽はこの目を知っていた。かつて自分が兄に向けていた目と同じだ。怒りと絶望、そしてその中に、無意識に宿る希望の眼差し。何度裏切られても「次」や「もしかしたら」を期待してしまう。その分、傷が深くなるだけなのに。
ゴウの顔から、血の気が失せる。ゴウが三嶋に負っているのは、恐怖と懺悔。一刻も早く、ここから離してやらなくては。夕陽はゴウの手を掴んだ。
「ゴウさん、行きましょう。失礼します」
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