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クッキー
夕陽は悩んでいた。あの一件から、やけにゴウが懐いてくる。そのギャップに、ついて行けずにいるのだ。
悩み事がある時は、無心でお菓子を作るにかぎる。夕陽は、クッキー生地を均等に伸ばしてラップに包んだシートを冷凍庫から取り出した。プレーンとココアの生地が、滑らかに仕上がった。
「よしっ」
「何してんの?」
「うわあっ!」
ぐっすり寝ていたはずのゴウが、いつの間にか背後に立っていた。後ろから抱きしめられる。
「あ、お、おはようございます、ゴウさん。クッキー、作ろうと思って」
「クッキー?大きくない?」
さすが、22年間包丁を触ったことがない男。型抜きクッキーの事も知らなかった。
「これで型を抜いて、作るんですよ」
ハートや星、猫やイルカなど、様々な型が用意されていた。ばら売りがスーパーマーケットにあって、その可愛さについ夕陽がコンプリートしたものだ。
「えー、俺も最初から一緒に作りたかった」
「あ、すいません。型抜きが1番楽しいと思って……次は一緒にしましょうね」
「次……次か。いいね、次」
ゴウが自分に言い聞かせるように呟いて、何だかご機嫌になった。
「ねぇ、鳴き声つけて遊ぼ!俺からね、星はキラキラ〜」
ゴウはそう言いながら、星の形の型で生地を抜く。なかなか器用だ。「次は夕陽ね」と、ゴウは自分の目もキラキラさせた。
「えっと、猫はにゃあー」
「かわいい!」
すばやく、ゴウが夕陽の頬にキスをした。夕陽は、突然の出来事に、頭が追いつかない。
「じゃあ夕陽、これは?」
ゴウが、ハートの型を持つ。確かにハートは難しそうだ。
「えっと……ちくちく?」
「え……キュンキュンとかじゃなくて?」
「あっ!」
しくじった。他にも「ドキドキ」とか「バクバク」とかあるのに、よりにもよって何故このチョイスをしたのか。夕陽は自分を責めた。ゴウが悪い顔をする。
「そっかー。夕陽はハートが痛いのかー。慰めてあげようか?」
ゴウがまた、いつの間にか側に来て夕陽の腰を抱く。
「いえ、もう焼きましょう」
大分、あしらい方を覚えてきた。立ち上がって、オーブンへ向かう。
「これ、爆発しない?」
「普通に使えば爆発しません」
「えっ、でも、もう熱いじゃん!」
「予熱です」
夕陽は、オーブンを見ただけで騒ぐゴウを面白いやらうっとうしいやら、そんな感情でさばく。
「よし。後は待つだけです」
「簡単だー」
ソファで座り、15分待つ。それすら、今のゴウには出来ないようだ。夕陽もあきらめて、応じる。悔しいが、ゴウのキスは気持ちいい。
「んっ……」
「ふふ。かわいい。目がうるうるしてる」
突然、爆発音が響く。咄嗟に、ゴウが夕陽を庇った。
「えっ!まさか、オーブン?」
「いや、下の階からだ。先生と連絡取ろう」
部屋の周辺の様子を確認してから、アリマに電話した。回線が混み合っていて、なかなかつ
ながらない。何度か試しているうちに、アリマから着信があった。
『よかった、繋がった。なんか、エントランスが爆発して、怪我人もいるみたいなんだ。フォースが医務室で寝てるから、夕陽、様子見ててほしい』
こんなに早口なアリマを初めて見た。それだけ、切迫した状況にあるらしい。
「わかりました」
『ありがとう。ゴウくんは、念のため部屋で待機!』
ゴウが文句を言う前に、通話が切れる。
「ゴウさん、俺、行ってきます。すぐ帰りますね」
「俺も行くよ。全貌把握できてないんでしょ?危ない」
「いえ、ゴウさんに何かあったら、たくさんの人が困ります。あと、クッキー焼けたら扉開け
て、冷ましてほしいんです」
「……分かった」
ゴウは、納得はしていないが理解した。不安そうなゴウに夕陽は「行ってきます」と、ハグをしてから、別れた。
医務室では、フォースが健やかな寝息を立てていた。この寝顔から、先日の不安定さが想像できない。ゴウに向けられた怒りには、狂気を感じた。2週間、一緒に過ごしたときのフォースと、今のフォース。どちらが本当の彼なのだろうか。
フォースの寝顔を見ながら考え事をしていると、タブレットに通信が入った。鹿野からだ。
『あれ?夕陽』
「鹿野さん、今アリマさんはエントランスへ行っています。怪我人が居るらしくて」
『ああ。怪我はかすり傷程度で大したことないそうだ。爆弾も、音はでかいが殺傷能力が有る物じゃないって。誰かの悪戯だな」
鹿野の情報を聞いて、夕陽は少しだけ安堵する。
「鹿野さん、アリマさんに用があったんじゃ?」
『あー。いや、夕陽が居てくれるならいいんだ。フォース、どう?』
「気持ちよさそうに寝ています。何かあったんですか?」
『夜、眠れてないらしくてな。それがまた、メンタルに良くないという』
おそらく、睡眠導入剤か何かで眠らせているのだろう。この騒ぎでも起きないのはそれが原因だ。
「アリマさんが帰ってくるまでは、俺が見てます」
「ああ、助かる。にしても爆弾仕掛けた奴、ボコ殴りにしたいわー。余計な仕事が増えた」
物騒な台詞を残して、鹿野が通話を切った。ほどなくして、アリマが帰ってくる。
「夕陽、ありがとう。現場も、大したことなかったよー」
「あーちゃん、お帰りなさい。うん、さっき鹿野さんから電話で聞いた」
「ねー、超迷惑。爆竹だったんだよー?お祭りかっ!てねー」
明るく言っているが、かなり腹が立っているはずだ。大したことないとはいえ、怪我人が出た。アリマは、悪ふざけで他人に損害を与える奴が嫌いだ。
「夕陽、ゴウにも説明しといてくれる?ただのイタズラだったって」
「……うん、わかった」
爆竹、とアリマは言った。鹿野は誰かのいたずらで仕掛けられた爆弾だと言っていた。二人とも現場を見たはずなのに、統一されていない。そもそもエントランスにそんな悪戯を仕掛けられるなんて、ありえない。この施設のセキュリティーの高さは、ここへ連れてこられた時から夕陽が身をもって知っている。胸騒ぎがして、ゴウの部屋へ急いだ。
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