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鹿野とフォース②

 鹿野がフォースの部屋に住み始めてから、2週間が経過した。驚いたことに、フォースの生活力はかなり高く、掃除に洗濯、料理など、家事全般を1人でこなしていた。天使いの仕事には、ゴッドブレスの身の回りの世話も含まれているはずだが、どう見ても世話をされているのは鹿野の方だ。  今も、フォースが作った肉じゃがを口いっぱいに詰め込んでいる。 「おいしい?」 「へっはふはい」  頷きながらそう答えると、何とか伝わったようだ。フォースが嬉しそうに笑った。 「誰かとご飯食べるのって、楽しいね」  そう言ってフォースも、お手製の肉じゃがをぱくりと食べる。納得のいく味だったようで、にこりと微笑んだ。食べ方もそうだが、フォースの仕草はとても上品で、今まで周りには全くいなかったタイプだった。ずっと見ていたくなる、と鹿野は思った。  鹿野がフォースに見惚れていると、ノックの音が聞こえ、間髪入れずに扉が開き、スーツの男が入って来た。 「治療の依頼です」  フォースがスーツの男から封筒を受け取る。ナンバー何、だったかは思い出せないが、ここへ来て1年が経過した頃に、今のスーツの男と同じような仕事を2度ほどした事があった。封筒の中には、患者の罪状やプロフィールが書かれた紙が入っている。そう言えば、ナンバー何君は元気だろうか。と、鹿野が回想に耽った。  患者の情報を確認したフォースが、ぽそりとつぶやいた。 「ちょっと大変そうだな」  鹿野がフォースの天使いになってから、初めての治療依頼だ。鹿野は自分の使命を思い出した。とはいえ、この2週間の間、鹿野はフォースに対し同じ歳の友人として接していた。フォースも同じはずだ。「今から友達と、エロい事をするのか」と、一度想像してみてから、「距離感を間違えたな」と反省した。  スーツの男が去ってから、フォースの表情を確認する。どうやら同じ事を考えていたらしい。顔が真っ赤だ。 「フォース、俺は、仕事って割り切れるよ」  フォースがはっ、と我に帰り、鹿野の言葉に傷ついた顔をする。 「僕は、鹿野と……でき、ない、です」  最後は尻すぼみで、ほぼ聞き取れなかったが、フォースが下を向いてこちらを見なくなってしまった。拒否したと受け取る。 「さっき、この患者の事、大変そうって言ったでしょ。万全の状態で臨むべきだと思う」  鹿野がフォースの手を取る。緊張しているのか、フォースの手が冷たかった。  2週間のうちに、フォースがいわゆる自慰行為をしている場面を見た事がない。そういった物的証拠を見かけることもなかった。一方、部屋の出入りが自由な鹿野は、フォースをメディカルチェックに送ったあと、自室でしっかり済ませていた。こればかりは生理現象なので仕方ない。フォースも、幼く見えるが自分と同じ年齢の男だ。きっとフラストレーションが溜まっているに違いない。  仕事の為に腹を括るべきだ、と、手を握って説得するように見つめていると、フォースの目から大粒の涙が流れ出した。 「ええっ!そんなに嫌ぁ?」 「ち、違くて……」  何かを伝えようとして、言葉に詰まって押し黙る。しくしくと泣き続けるフォースの背中をさすってやる事しかできなかった。    30分は経っただろうか。ようやくフォースが落ち着き、ぽつりともらし始めた。 「僕、そういうのした事ないから」 「はい?」 「知識はあるよ。でも、全然ムラムラ?しないし。さ、触ってみたけど反応もない」  鹿野が、男なら1番の悩みになるであろうフォースの内情を知る。 「それでも、ゴッドブレスで治療は出来てたの?」 「うん。でも、最近ちょっと治療の後倒れちゃう事が多くなって」  それで、組織が対策を講じるべく、研究結果を基にした「天使い」が誕生した、という流れか。なんとも身勝手な。興味があるのはフォースの持つ力だけで、フォース自身のことを何ひとつ見ていないのだな、と鹿野は憤慨する。 「状況は分かった。ただ、治療の後倒れるっていうのは、放って置けないな」 「あの、その事なんだけど、僕なりに分かってきた対処法があって……」  それは朗報だ。鹿野が自分にできる事なら何でもする、と言いたそうな目でフォースの言葉を待った。 「医務室でね、メディカルチェックの後、アリマ先生が紅茶を出してくれたんだ。それで、いつもがんばって偉いねって、ハグしてくれて……僕、すごくほっとした気持ちになってね」  その時のことを思い出したのだろうか、フォースが目を閉じて、大事な宝物を思い描いているような表情をした。 「その時は治療しても、倒れなかった。だからね、その……」  フォースが鹿野の方を見る。目が合って、すぐに下を向く。 「あの……治療の前に、鹿野がハグしてくれないかな?」  なんでこんな何でもないことを、この子は申し訳なさそうに頼むのだろうか。鹿野はフォースが育ってきた環境を垣間見た気がした。 「ほい」  鹿野が大きく腕を開き、フォースを受け入れる準備をする。それでもフォースが戸惑っていたので、自分から抱きしめに行った。 「偉い。いつもがんばってて偉い。文句も言わずに偉い」  フォースも腕をおずおずと伸ばし、応えたので、次は頭を撫でながらさらに続ける。 「辛かったのに人のためにがんばって偉い。上品な所も偉い。特に笑い方、すごく上品で好き。家事もできて偉い。今日の肉じゃがも……」 「鹿野、も、もういい……」  下を見ると、耳まで真っ赤にしたフォースが、オロオロしていた。その様子が可愛くて、もう一度抱きしめる。 「安心、した?」 「うん。がんばれそう。ありがとう」 「時間です」と、スーツの男が入ってくる。フォースが笑顔で立ち上がり、男の方へ向かう。  男がフォースの細い腕に、厳つい手錠をかけた。 「え?それ、必要?ちゃんと治療行くじゃん」  鹿野が疑問を口にすると、スーツの男と、フォースまでもが不思議そうな顔をした。 「決まりだから」  本人がそう言うなら、とその場は飲み込んだが、鹿野は納得いかなかった。

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