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鹿野とフォース③
鉄格子の向こうに、車椅子に縛られた初老の男性が居た。目は一点を見つめ、起きているのかどころか生きているのかすらわからない。
スーツの男が鹿野に紙を渡し、それを読み上げろと言う。
「地上の天使を地に堕とし、その純潔を汚したものよ。裁きを受けその罪を償え」
手錠を外され、白衣を着たフォースが、初老の男に近寄る。柏手を打つようにフォースが手を叩くと、初老の男の目にひかりが戻った。
「なに、君、かわいい顔してるね」
「治療中は口を開かぬように」
スーツの男に嗜められたが、フォースを見た初老の男が下卑た笑みを浮かべる。それに動じず、フォースは真っ直ぐ男の目を見て、左手をその額にかざした。
鹿野は初めてゴッドブレスを見た。見た、と言っても目に見えるものではない。ただ、フォースが初老の男の額に手をかざしてから、みるみる男の人相が変わって行った。まったくの別人であると錯覚するほどだ。
「終わりましたよ」
手をかざし終えたフォースが、初老の男にほほえむ。初老の男の目から、涙が溢れてきた。
「ああ、俺はなんてことを‥‥」
「これからが大変です。がんばってくださいね」
初老の男を乗せた車椅子を作業服の女が押し、去っていく。「ありがどうございます」と何度も呟きながら、男は部屋を後にした。
その様子を狐につままれたように見ていると、フォースが抱きついてきた。
「鹿野、すっごくうまくできた!今までで一番だよ!ありがとう!」
鹿野は「この笑顔を守り抜こう」と心に決めた。
鹿野がフォースの天使いを始めて1年が過ぎた頃、それは突然やってきた。
今日は治療の日だ。いつものようにハグをして、フォースを褒めちぎってから部屋を出る。
「はい」
フォースが右手を出す。鹿野が「はいはーい」と、フォースと手を繋いだ。これも、いつもと同じだ。毎回真面目に治療を続けて、良い結果を残してきたフォースにもう手錠は必要ないと、鹿野がスーツの男と数回バトルを繰り広げ勝利し、手錠の代わりに手を繋いで部屋を移動することを許された。
鉄格子の部屋につき、鹿野が罪状を読み上げる。この頃には文章の意味がだいぶ理解できるようになっていた。今回の患者の治療は、難しくなさそうだ。
フォースが、いつものように治療を始める。
終わって手をどけたフォースが「えっ……」っと、戸惑った声をあげそのまま倒れ込んだ。
「フォース!?」
鹿野が急いで駆け寄る。フォースは気を失っているようだ。患者を見ると、ここへ来た時と同じ状態に戻っていた。起きているのか死んでいるのかわからず、目の焦点が合っていない。
「……珍しいな」
スーツの男がつぶやく。鹿野はそれを他所目に、フォースを抱えて医務室へ向かった。
「脳貧血だね。しばらく休んでれば治るよ」
シルバーフレームの眼鏡が似合う、ガタイの良い白衣の男が穏やかに言う。ゴッドブレスの専属医だそうだ。この男の話を鹿野は以前、フォースに聞いた事がある。メディカルチェックの度に、紅茶を出してハグして褒めてくれる、アリマだ。
「いつも通りケアしたんですが。状態もいつも通りでした」
フォース自身も、何故失敗したのか分からない、と言う様子だった。フォースの目が覚めた時、とても悲しむだろうと思った。誰よりも患者の回復を願っているのは、紛れもなくフォースだ。
「そうだねー。でも普通、こーいう事故は珍しくないんだよ?今まで失敗した事ないフォースが特別なだけ。ゴッドブレスはすごく精神の状態に左右されるから……」
鹿野は、アリマが何か原因を掴んでいそうに見えた。
「あの、教えてください。フォースが失敗した原因。俺にできる事があれば何でもします」
若いって、愛って素晴らしいね!と、アリマが身体をくねらせ呟いてから、鹿野に向き直った。「これはあくまで私の仮説なんだけど」と、前置きをする。
「フォースは、小さい頃に施設からここへ来て、外の世界をほとんど知らないんだ。だからね、君との毎日は、彼に取ってとてもかけがえのない日々だった。証拠に、メディカルチェックに来る度に君の話をしていたよ。とても嬉しそうにね。フォースのあんな顔、初めて見たよ」
アリマが、自分のことのように嬉しそうな顔で話す。鹿野はフォースの思いを初めて知った。心がポカポカする。
「それでね、いつの日か、思い描くようになったんだ。外の世界での自分の姿をね。でもこれは、フォースの深層心理の話。フォースにとってはこの場所がすべてで、自分の使命を受け入れて誇りを持っていたからね」
鹿野は、ひとつの答えに辿り着く。自分との生活が、フォースの精神状態を乱すきっかけとなったのだ。鹿野の表情が曇っていくのに気づき、アリマが慌てて付け加える。
「勘違いしちゃいけないのが!それはごく自然な反応だという事。というか、本来はこっちの方が正しいって事!」
アリマの言う通りだ。こんな場所に、幽閉まがいな事をされて、それを誇りに思うなんて自然じゃない。ここに長くいるせいで、感覚が麻痺してしまったのだ。鹿野が一瞬、自責の念に駆られたように。
「だって君たちは!まだ青春の最中なんだから!」
拳を振り上げて熱弁するアリマを鹿野が口を開けたまま見ていると、フォースがベッドから起き上がった。
「フォース!」
鹿野がアリマを押し退けて、フォースの元へ駆け寄る。
「鹿野……あっ、ぼ、ぼく……」
フォースの顔から血の気が引く。一瞬で土色になった。
「フォース?」
「失敗した……失敗?僕にはこれしかないのに……僕のせいであの人は……あの人は!」
フォースが自分の頭を掻きむしり始めた。爪の間に血の付いた皮膚が付着する。鹿野が止めようとしたが、その細い腕からは想像できない程の力で抵抗され、太刀打ちできなかった。
「いけない!」
アリマがフォースに鎮静剤を吸わせる。しばらくしてベッドに沈み込んだ。目に溜まった涙が、頬を伝う。
「……うん。思ったよりも深そうだね」
「先生。でも俺、フォースをこのままにしたくないです」
「ありがとう、鹿野くん。ただ、フォースにはもう少し時間が必要だと思う。それまで待っててあげて欲しい」
鹿野は静かに頷いた。
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