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第3話

「……この中から選ばないと、失格になるってことか」 静かに呟いた声が、会議室の壁に吸い込まれていく。 30歳を超えた男に、自由な選択肢など残されていない。 この制度では、システムが候補者を三人提示し、その中から一人を選ぶ。 もし誰も選ばなければ──今度はシステムが強制的に相手を決める。 選ばなければ、選ぶ権利すら奪われる。それが、この国の“平等”だった。   職員の説明はすでに終わっていた。 あとは、画面の中の誰かに“YES”を押すだけ。 たったそれだけで、未来がひとつ、決定される。 ──自分の“妻”が、決まる。   *   数週間前。 役所の福祉課は、平日の午前中にもかかわらず、人であふれていた。 待合室には高齢者と付き添いらしき人々が列をなし、 本来なら静かなはずの窓口も、ささやく声とキーボードの音でざわめいていた。 誠司は書類の束を抱えて、カウンター前に立っていた。 応対に出たのは、40代後半の女性職員。 柔らかな色のカーディガンを羽織り、事務的な笑顔を浮かべていた。 「……青木様の場合、すでに要介護認定は通っていますので、あとは入所先との調整になります」 誠司は静かに頷いた。 「ただ、最近は“家族支援体制の有無”が、入所の優先順位に関わってきまして」 「家族支援体制、ですか?」 「ええ。要は“法的な家族がいるかどうか”ですね。特に配偶者がいる方は、支援が見込まれるとして優先されやすいんです」 言葉が途切れた瞬間、誠司の中で、何かがカチリと噛み合った。 ──なるほど。 つまり、“息子が結婚している”という事実が、母を守る盾になるというわけか。   「……結婚していれば、母の入所がスムーズになるんですね?」 「制度上は“参考情報”という扱いですが……はい、実際には大きく影響します」 そう答えた職員は、少し声を落として続けた。 「……青木さん、安定した職業に就かれていますし、まだ三十七歳ですよね。 よければ、市が推進している“家庭支援型マッチング制度”をご案内できますが……お給金が高い男性を希望する女性もいらっしゃいます。登録されますか?」 パンフレットを見せられ、制度の説明をされる。 パンフレットに書かれていたのは、よくある制度説明のようでいて、思った以上に一方的だった。 三十五歳を超えた申請者は、男女ともに生殖機能の衰えを理由に希望をしても相手側から蹴られることも多いらしい。 誠司の場合、申請を出した後、結婚してもいいと女性側がOKを出し、その人数が三名を超えると、マッチング成立とされ、その三名の中から選ぶことになる。 三名以上の場合、マッチングしにくいと思われた女性の中から三名が選び抜かれ流ことになる、顔も知らない“候補者”。 選ばれてしまうと、三名の中から選ぶ必要があり、拒否権すら原則として存在しない。 ──自分は、すでに「選ぶ側」ではない。 三十五を過ぎた時点で、制度は“平等”という名の下に、選択肢を削ぎ落としてくる。 支援の名を借りた“割り当て”。 その冷たさを、あらためて実感する。 そのとき、不意に胸の奥に冷たい風が吹いた気がした。 愛でも、情でもない。 ただの「制度のかたち」としての結婚。 けれど──そうでもしなければ、母をあの寒い廊下に置き去りにすることになる。 誠司は、手に持っていたペンを無意識に握り直した。 「……登録をお願いします」   *   そして、今日。 三人の候補者の情報が届いた。 一人目:25歳、事務職。軽度の持病あり。 二人目:22歳、家政研修中。地方出身。 三人目:18歳、在学中。孤児認定あり。 どのプロフィールにも顔写真はない。 外見の有無によるバイアスを避けるため、制度上は“非公開”が原則とされている。   ──18歳か。ずいぶん若いな。 誠司は思わず、そう呟いた。 画面をタップすると、三人目の詳細が開く。 家族構成:不明。 出自:児童婚活支援施設出身。 推薦:施設長推薦。 その他:特記事項あり。 ──ハズレ枠か。そう思いかけたとき、備考欄が目に留まった。 「引っ込み思案で控えめ。言葉遣いは丁寧。見た目は可憐で品があり、若干のハスキーボイスが魅力的です」 ──……ああ。 記号だらけの画面の中で、そこだけが妙に人間臭かった。 “ハスキーボイスが魅力的”── それは、誰かが彼女自身を“見て”、そう感じた言葉だった。 誠司の中に、ほんのわずかな温度が灯る。   「……若い方が、いいかもしれないな」 思わず独りごちた。 若ければ、もしこの結婚が破綻しても、やり直せる。 もし、別れることになっても、相手の人生を壊さずに済む。 ──傷が浅くて済む。 それは、打算だった。けれど、誠司なりの“やさしさ”でもあった。   だが、なぜだろう。 “美羽”という名前が、頭から離れなかった。 顔も声も知らないのに、そこに確かに“誰か”がいる気がした。 ──この子がもし、自分との結婚を“幸運だった”と感じてくれるなら。 そのぶん、できる限り大切にしてやりたい。 そう、心の奥で静かに願った。 それが、誠司という男の持つ、唯一の誠実さだった。   ──そして彼は、まだ知らなかった。 この選択が、 “嘘のプロフィール”を生きる少年との、 決して穏やかでは済まされない未来への扉を開いたことを。 けれどこの瞬間、彼の心にはっきりと刻まれた名前があった。 ──佐倉 美羽 それが、彼の人生を変える“最初のひとつ”だった。

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