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第33話

チャイムが鳴ったのは、夜も遅い時間だった。 (……こんな時間に?) 少し警戒しながらも、インターホン越しに様子を確認しようと扉を開ける。 途端、目に飛び込んできたのは── 見知らぬ男性ふたり。そして、その間でぐったりしている誠司の姿だった。   「……えっ、誠司さん!?」   とっさに声が漏れる。 「……ピヨちゃん……マジで……かわいい……」 片方の男性──やけに陽気な雰囲気でふらふらしている男が、美羽を見てぼんやり呟いた。 「……ぴ、ぴよ……?」 混乱する美羽の隣で、もう一人の男が慌てて制止する。 「おい熊田、それ本人に言うなって言っただろ!」   (熊田……さん?)   ふと、名前に聞き覚えがあった。 誠司がよく口にしていた、あの同期の── 「でも見ろよ……本物のピヨちゃんだぞ……。この子が、ちっさくて、ふわふわしてる卵のヒヨコ作ってんのか……! すげぇ……かわいすぎだろ……」 熊田と呼ばれたその男は、美羽をまじまじと見つめながら、明らかに酔っている様子で言葉を零す。 美羽は戸惑いながらも、 「あの……と、とにかく中へ……!」 急いでふたりに手伝ってもらい、誠司をソファへと運ぶ。 ふわりとアルコールの匂いが立ち上がった。   「…………酔ってる……」 額に手を当てると、ほんのり熱を持っている。 いつもは冷静な誠司の、こんな姿は初めてだった。   「すみません……本当に」 静かに頭を下げたのは、もう一人の男性── 「笠井です。俺も同期で。……誠司、お酒めちゃくちゃ強いんですけど、今日ばかりは、ダメでした」 「熊田さんの……異動のことで、ですか?」 「……はい。たぶん、あいつが一番こたえてました。  何も言わなかったけど、ずっと無理してたと思います」 笠井の言葉には、どこか悔しさがにじんでいた。 「今日は……いつも以上に飲んでました。止めきれなかった。すみません、奥さんにまで迷惑かけて」 「い、いえ……大丈夫です。運んでいただいて……ありがとうございます」 美羽は、軽く頭を下げながらソファの傍にしゃがみ込む。 誠司の顔には疲れがにじみ、唇がかすかに震えていた。   (……よっぽど、辛かったんだ) その頬を、そっと撫でたくなるほどだった。   そのとき──   「……うわ……すげぇ……」 ぼそりと、呟くような声。 振り向けば、熊田がふらりと近づいてきていた。 目線が、美羽の髪に注がれている。 不安なような、酔いに浮かされたような目。 「なぁ、これ……本物の髪? 地毛……?天使の輪だっけ?」 美羽は一瞬、言葉を失った。 「え……?」 「すげぇ、きれい……マジで天使じゃん……」 熊田の手が、ふわりと伸びる。 思わず、美羽は肩を引いた。   「っ、あの……!」 「やばい……マジで……ホンモノのピヨちゃん、いい匂いする……」 玄関先でふらつきながら、熊田が酔った声を漏らした。 「……あのピヨちゃん、って……?」 不意に出た単語に戸惑う美羽に、隣の笠井が慌てて補足する。 「あー、すみません、美羽さん。熊田が勝手にそう呼んでまして……あの、ひよこの弁当から」 「そうそう……あれ、マジで反則だろ……。あんなちっちゃいヒヨコ作ってんの……誠司も夜燃えるでしょ」 次の瞬間。 熊田の口からこぼれた“ひと言”が── この夜の空気を一変させる。 「誠司の全部、入るの?」 「おい、熊田──!」 「いやいや、だってあいつ風呂上がりとか、何回か見て……マジで、デケェ!!って、なのにピヨちゃん細いし、“あれ入んの?”って……」 その瞬間、美羽の脳内が真っ白になった。 (……え? “入る”って……何が……) わかってしまった時には、顔が一気に熱くなっていた。 視線が、自然と、ソファに横たわる誠司の体へ向いてしまう。 (……っ、ちょ、何考えて──!) 「──いつまでも、バカ言ってんじゃねえよ!!」 笠井が即座に熊田の頭をはたき、強引に立たせる。 「すみません、ほんと、酔ってて……!もう帰ります!」 「えー……もうちょっとだけ、ピヨちゃんと喋らせ──」 「喋らなくていい! 出るぞ、熊田!」 バタバタと去っていくふたりの背中を見送りながら、美羽はまだ、自分の鼓動の速さを抑えられずにいた。 (……入る、って……) 視線を逸らしていたはずなのに、熊田の言葉が頭の中で何度も反響する。 (……誠司さんって……やっぱり、……大きいんだ) ぼんやりとした思考の中、ブランケットを取りに戻ってきた美羽は、ソファのそばで立ち止まる。 寝息を立てる誠司は、あまりにも無防備で──優しくて。 (……だめ、そんな目で見ちゃだめ) 震える手でブランケットをかけながら、どうしても意識してしまう。 (……こんな身体じゃ、応えられないのに) (触れられたら、すぐにバレてしまうのに……) それでも。 ほんの一瞬だけ、心が崩れそうになる。 (……もし、女だったら) (全部“本物”だったら、誠司さんの隣に、もっと自然にいられるのかな) ──いや、違う。 その想いを打ち消すように、首を振る。 自分は“女じゃない”。 そして、“嘘”のままで誠司に抱かれてはいけない。 だからこそ、この距離は必要で。 この想いも、隠しておかなければならない。 それでも。 誠司の寝顔を見つめながら、 胸の奥からあふれる感情だけは、どうしても抑えきれなかった。

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