34 / 59
第33話
チャイムが鳴ったのは、夜も遅い時間だった。
(……こんな時間に?)
少し警戒しながらも、インターホン越しに様子を確認しようと扉を開ける。
途端、目に飛び込んできたのは──
見知らぬ男性ふたり。そして、その間でぐったりしている誠司の姿だった。
「……えっ、誠司さん!?」
とっさに声が漏れる。
「……ピヨちゃん……マジで……かわいい……」
片方の男性──やけに陽気な雰囲気でふらふらしている男が、美羽を見てぼんやり呟いた。
「……ぴ、ぴよ……?」
混乱する美羽の隣で、もう一人の男が慌てて制止する。
「おい熊田、それ本人に言うなって言っただろ!」
(熊田……さん?)
ふと、名前に聞き覚えがあった。
誠司がよく口にしていた、あの同期の──
「でも見ろよ……本物のピヨちゃんだぞ……。この子が、ちっさくて、ふわふわしてる卵のヒヨコ作ってんのか……! すげぇ……かわいすぎだろ……」
熊田と呼ばれたその男は、美羽をまじまじと見つめながら、明らかに酔っている様子で言葉を零す。
美羽は戸惑いながらも、
「あの……と、とにかく中へ……!」
急いでふたりに手伝ってもらい、誠司をソファへと運ぶ。
ふわりとアルコールの匂いが立ち上がった。
「…………酔ってる……」
額に手を当てると、ほんのり熱を持っている。
いつもは冷静な誠司の、こんな姿は初めてだった。
「すみません……本当に」
静かに頭を下げたのは、もう一人の男性──
「笠井です。俺も同期で。……誠司、お酒めちゃくちゃ強いんですけど、今日ばかりは、ダメでした」
「熊田さんの……異動のことで、ですか?」
「……はい。たぶん、あいつが一番こたえてました。
何も言わなかったけど、ずっと無理してたと思います」
笠井の言葉には、どこか悔しさがにじんでいた。
「今日は……いつも以上に飲んでました。止めきれなかった。すみません、奥さんにまで迷惑かけて」
「い、いえ……大丈夫です。運んでいただいて……ありがとうございます」
美羽は、軽く頭を下げながらソファの傍にしゃがみ込む。
誠司の顔には疲れがにじみ、唇がかすかに震えていた。
(……よっぽど、辛かったんだ)
その頬を、そっと撫でたくなるほどだった。
そのとき──
「……うわ……すげぇ……」
ぼそりと、呟くような声。
振り向けば、熊田がふらりと近づいてきていた。
目線が、美羽の髪に注がれている。
不安なような、酔いに浮かされたような目。
「なぁ、これ……本物の髪? 地毛……?天使の輪だっけ?」
美羽は一瞬、言葉を失った。
「え……?」
「すげぇ、きれい……マジで天使じゃん……」
熊田の手が、ふわりと伸びる。
思わず、美羽は肩を引いた。
「っ、あの……!」
「やばい……マジで……ホンモノのピヨちゃん、いい匂いする……」
玄関先でふらつきながら、熊田が酔った声を漏らした。
「……あのピヨちゃん、って……?」
不意に出た単語に戸惑う美羽に、隣の笠井が慌てて補足する。
「あー、すみません、美羽さん。熊田が勝手にそう呼んでまして……あの、ひよこの弁当から」
「そうそう……あれ、マジで反則だろ……。あんなちっちゃいヒヨコ作ってんの……誠司も夜燃えるでしょ」
次の瞬間。
熊田の口からこぼれた“ひと言”が──
この夜の空気を一変させる。
「誠司の全部、入るの?」
「おい、熊田──!」
「いやいや、だってあいつ風呂上がりとか、何回か見て……マジで、デケェ!!って、なのにピヨちゃん細いし、“あれ入んの?”って……」
その瞬間、美羽の脳内が真っ白になった。
(……え? “入る”って……何が……)
わかってしまった時には、顔が一気に熱くなっていた。
視線が、自然と、ソファに横たわる誠司の体へ向いてしまう。
(……っ、ちょ、何考えて──!)
「──いつまでも、バカ言ってんじゃねえよ!!」
笠井が即座に熊田の頭をはたき、強引に立たせる。
「すみません、ほんと、酔ってて……!もう帰ります!」
「えー……もうちょっとだけ、ピヨちゃんと喋らせ──」
「喋らなくていい! 出るぞ、熊田!」
バタバタと去っていくふたりの背中を見送りながら、美羽はまだ、自分の鼓動の速さを抑えられずにいた。
(……入る、って……)
視線を逸らしていたはずなのに、熊田の言葉が頭の中で何度も反響する。
(……誠司さんって……やっぱり、……大きいんだ)
ぼんやりとした思考の中、ブランケットを取りに戻ってきた美羽は、ソファのそばで立ち止まる。
寝息を立てる誠司は、あまりにも無防備で──優しくて。
(……だめ、そんな目で見ちゃだめ)
震える手でブランケットをかけながら、どうしても意識してしまう。
(……こんな身体じゃ、応えられないのに)
(触れられたら、すぐにバレてしまうのに……)
それでも。
ほんの一瞬だけ、心が崩れそうになる。
(……もし、女だったら)
(全部“本物”だったら、誠司さんの隣に、もっと自然にいられるのかな)
──いや、違う。
その想いを打ち消すように、首を振る。
自分は“女じゃない”。
そして、“嘘”のままで誠司に抱かれてはいけない。
だからこそ、この距離は必要で。
この想いも、隠しておかなければならない。
それでも。
誠司の寝顔を見つめながら、
胸の奥からあふれる感情だけは、どうしても抑えきれなかった。
ともだちにシェアしよう!

