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第37話
「お待たせしました。……どう、ですか?」
カーテンが静かに開いて、裾を少し持ち上げながら、美羽が姿を現した。
淡いミントグリーンのドレス。
柔らかく揺れる布が、華奢な肩と細い腕をすっと引き立たせている。
首元から胸元にかけては、主張しすぎないデザインで――誠司の中にある「見てほしい」より、「守りたい」が、静かに疼いた。
「……きれいです」
搾り出すように、それだけを口にする。
たった一言なのに、そこには多くの感情が詰まっていた。
美羽は、少し照れたように目を伏せながら、それでもふんわりと微笑む。
「本当に……似合ってますか?」
「……似合ってます。すごく」
その声に、柔らかな安堵が美羽の瞳に広がった。
誠司はふと思い出す。
さっき店の棚に、もう一着──気になっていたドレスがあった。
「……もしよければ、もう一着だけ、試してもらえませんか?」
「え?」
不思議そうに首をかしげる美羽に、誠司はそっと店員に目配せを送った。
差し出されたのは、淡いシャンパンベージュのドレス。
ほのかな光沢のある生地に、肩からレースが繊細に施され、胸元は控えめなVライン。
レースのフレンチスリーブに、流れるようなライン。
体のラインを拾いすぎず、それでいて、凛とした女性らしさを際立たせる一着だった。
「……これ、わたしに……似合うかな……」
不安げな声に、誠司は迷いなく言う。
「きっと、すごく似合います。……見てみたいです」
その一言に、ほんの少し頬を染めながら、美羽はうなずいて再び試着室へ。
誠司はその間に、店員と並んでアクセサリーを見繕っていた。
「このドレスなら、シンプルなパールのネックレスが上品です。イヤリングとセットで揃いますよ」
「……お願いします。ドレスも含めて――すべて購入させてください」
「かしこまりました。……奥さま、あまりこういったものをねだったりなさらないご様子ですね」
「ええ。だからこそ……今、渡しておきたいんです。いつかじゃなく、“今”」
店員はその言葉に、小さく笑みを浮かべ、小箱にアクセサリーを丁寧に収めていく。
やがて、もう一度カーテンが開いた。
「……」
言葉を失った。
さっきよりも、ぐっと大人びた印象。
けれどどこか、儚くて。
まるで光の中から歩いてきたようだった。
「……似合いますか?」
少し不安げに問いかける声に、誠司は息を呑む。
「……すごく、綺麗です。――本当に」
その言葉に、美羽の頬がほんのり色づく。
「ネックレス……つけてみてもいいですか?」
「もちろん」
美羽はうなずき、誠司の方へ背を向けると、そっと髪を持ち上げた。
「……お願いします」
細く、白いうなじがあらわになる。
その無防備な肌に、誠司の視線が自然と落ちた。
手元が慎重になる。
指先が触れそうで、触れない距離。
カチリ――と、小さな金具が音を立てた。
ネックレスが、鎖骨の上にふわりと落ちる。
「……きれいです」
不意に漏れた声に、美羽の肩がわずかに揺れた。
誠司の手は、そのままネックレスの留め具の余韻に触れるように、そっと美羽の肩に添えられる。
「……ありがとうございます」
振り返ったその瞳には、嬉しさと照れ、そしてそれ以上に――
“彼の隣に、ちゃんと立ちたい”という決意が宿っていた。
「……どっちが、好きでしたか?」
静かに落ちた問いかけに、美羽は一瞬、きょとんとした。
気づけば、誠司は試着室の鏡越しにすぐ後ろに立っていた。
あと数センチで、肩越しにその顔が見えそうな距離。
(ち、近い……)
胸が、どくん、と跳ねる。
(もし振り返ったら、ほんとに……)
唇が触れてしまいそう。
その想像だけで、顔が熱くなった。
でも、美羽はそっと瞳を伏せ、静かに息を整える。
逃げるんじゃなくて、自分の気持ちにちゃんと向き合うように――
「……今、着ている方が、好きです」
それは、誠司が選んだドレス。
「どうしてですか?」
問いかけはやさしい。追い詰めるような圧は、どこにもない。
「……誠司さんが、私に似合うと思って、選んでくれたからです。
……すごく、嬉しかったんです」
誠司の唇が、静かにほころぶ。
「……ありがとう。僕も、すごく嬉しい」
美羽が顔を上げると、誠司の瞳がまっすぐ自分を見つめていて、胸の奥がまた少し、きゅっと音を立てた。
一歩、誠司が前に出る。
そっと、美羽の左手を取る。
「……それなら、このドレスに合う指輪も、買わせてもらえませんか?」
「え……でも、高いものは……」
言いかけた美羽の言葉を、誠司はやさしく遮った。
「この前の指輪も、大事にしてくれたの、知ってます。
だけど今度は――僕が、“今の美羽”に似合うものを贈れたら、って」
その言葉に、美羽の胸がまた静かに、温かく満たされていく。
「……はい」
会計を終えたドレスは、専用のカバーに包まれ、後日配送の手配が済んだ。
誠司がすべて段取りしてくれていて、美羽はただ、小さな声で「ありがとうございます」と頭を下げるしかなかった。
(あれを着て、人前に立つんだ……)
じわじわと広がる実感。
嬉しさと緊張がまざりあって、心がふわりと膨らむ。
ふたりは並んで、店をあとにした。
午後の光が、ゆるやかに、春の空に滲んでいた。
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