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第39話

誠司が選んだ指輪を、店員に預けたとき。 美羽の視線は、ふと店内の端――小さなショーケースの片隅に向いていた。   (……あれは……) そこに並んでいたのは、小さなガラスのジュエリーボックスだった。 まるで透明な宝石のように、光を反射してきらきらと瞬いている。 シンプルだけれど、品があって、可愛らしい。 「何か気になるもの、ありました?」 誠司が気づいて問いかけると、美羽ははっとして顔を上げる。   「……あ、いえ、ただ……」 目を伏せると、誠司はその視線の先に気づいたらしい。   「ジュエリーボックスですね。指輪を入れる場所……持ってなかったですもんね?」 「……はい。頂いた指輪、ちゃんと大事にしたくて」 その声があまりに慎ましくて、誠司は思わず笑みを浮かべた。   「じゃあ、それも一緒に包んでもらいましょうか」 「えっ、でも、それは──!」 「だって、指輪が一人じゃ寂しそうでしょう?」 美羽が慌てて首を振るのを見て、誠司は軽くウィンクしてみせた。 そのやりとりに気づいた店員が、ほほえましそうに微笑みながら言う。   「お優しい旦那様ですね。こちらのボックス、指輪とのセットにもぴったりです」   美羽は小さく頷き、手を重ねたまま、胸の奥にこみ上げてくる温かさをじっと抱きしめた。   (……ありがとう、誠司さん) (こんなに大切にしてもらってばかりで、私──)   自分から何かを贈ったことなんて、なかった。 でも、この人に、何かを“贈りたい”と思ったのは初めてだった。 ただ感謝を伝えたい。それだけだった。   ──◇──   数日後、美羽はこっそりあの指輪を買ったジュエリーショップにいた。 対応してくれたのは、あの時の店員と同じ女性。   「まぁ……前にいらした奥様ですね。今日はお一人で?」 「はい……ちょっと、主人への贈り物を探しに来ていて」 「まあ、それは素敵ですね。旦那様への……何か特別な記念日ですか?」 「いえ……そういうのじゃないんですけど……今度会社のパーティがあって、そこでつけていけるようなものがあったら、って……指輪のお返しができないかと思っていて」 少し恥ずかしそうに微笑む美羽に、店員はやわらかく頷いた。   「でしたら、お返しに……男性用のカフリンクスなどはいかがでしょう?」   案内されたケースの中には、繊細なカットの入ったシルバーや、紺色の石を埋め込んだカフスボタンが並んでいた。 美羽は、そっとその中のひとつに手を伸ばした。   ――それは、落ち着いた艶のあるデザインで、誠司のスーツにもきっと似合う。   お小遣い帳に書き込んでいた金額を思い出しながら、美羽はそっと財布を開いた。 2ヶ月前、誠司に渡された家族カードと一緒に入っていた、初めてのお小遣い。 結局何も買えずに大事に取ってあったのだ。 だけど、この日のために、自然と“使えなかった”それを、ようやく使う時が来たのだと思えた。   (ちゃんと自分のお金で、誠司さんに……)   「こちらを……包んでもらえますか」   店員は美羽の顔を見て、微笑んだ。   「はい。きっと、旦那様、喜ばれますよ」   ──◇──   その夜、美羽は食後に、緊張した面持ちで小さな包みを差し出した。   「えっと……これ、いつもありがとうございますの、お返しです……」   「ん?」 誠司は首をかしげながら、丁寧に包まれた紙を開け──そして、息を呑んだ。   中から現れたのは、落ち着いたシルバーのカフスボタン。   「これ……」 「この前、私に指輪とボックスをくださったじゃないですか。  そのお礼が、ちゃんとしたくて……あ、ちゃんといただいたお小遣いから買ったので、カードは使ってませんから」   誠司はしばらく何も言わなかった。 その手の中にあるカフスが、ただの装飾品じゃないことを、きっと彼はすぐに理解したのだろう。   「……嬉しいな。ありがとう、美羽さん」 そう言って、美羽の髪をそっと撫でる。 「じゃあ、次のパーティには、これを僕も着けていきますね」   「……ほんとですか?」 「ええ。僕にとって、初めて“もらった”贈り物ですから」   その言葉に、美羽は胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。 ジュエリーケースの中で輝く指輪と、誠司の袖に光るカフスボタン。 それは、まるでふたりの距離が少しずつ確かに近づいている証のように。 “本当の夫婦”に少しだけ、近づけたような気がしていた。

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