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第41話
煌びやかなシャンデリアの下、次々と集まってくる来賓や社員たち。
その中で、誠司と美羽は静かに立ち並んでいた。
(あ……いた)
少し離れたところから、笠井がグラス片手に近づいてくる。
その視線はまっすぐ美羽に向けられ、軽く微笑んだ。
「奥様、今日はとても綺麗ですよ。驚きました」
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
赤面してお辞儀する美羽に、笠井は柔らかい笑みを崩さないまま、
誠司の方へとひそひそ声で囁く。
「……熊田、いなくてよかったな。ここにいたら、“ピヨちゃんが俺の知ってるピヨちゃんじゃないー!”って騒ぎそうだ」
「……あいつ、絶対言うな」
苦笑しながらも、誠司の頬には安堵の色が浮かんでいた。
先ほどまでの緊張が、少しずつほどけていく。
笠井は、誠司がいかに張り詰めていたかを察していた。
だからこそ、あえて軽口で場を和ませる。
「……けど、ほんと、似合ってるな。ちゃんと並んで歩けてるぞ」
「……ありがとう」
小さく呟いて、誠司はもう一度隣に立つ美羽を見つめた。
その視線に気づいた美羽がそっと誠司を見上げる。
会長や社長のスピーチが始まり、会場が一気に静まり返る中、
照明に照らされた誠司の横顔が、いつもよりも凛々しく見えた。
(……誠司さん、髪……少しだけ、上げてるんだ)
前髪を整えて、額が少し覗くようにセットされたその姿。
見慣れたスーツ姿とはまた違った雰囲気があって、まるで別人みたいに格好良く見えた。
(……こんな人が、自分の隣に立ってくれてるんだ)
ふと感じたその事実に、美羽の胸がふわりと熱くなった。
スピーチが終わると、盛大な拍手の音が会場を包む。
誠司がちらりと美羽を見下ろし、小さく囁いた。
「……大丈夫?」
「はい」
そっと微笑み返した美羽の瞳は、緊張の中にも確かな信頼が宿っていて──
その様子に、誠司の口元も自然と緩んだ。
立食形式のパーティが始まると、緊張の糸がほんの少し緩み、会場にはワイングラスの音や静かな笑い声が広がっていった。
「何か食べませんか?」
誠司に声をかけられて、美羽は小さく頷く。
「はい……。でも、何を選べばいいのか……」
見慣れない料理の数々に目を泳がせていると、誠司が自然に隣に立ち、トングを手に取る。
「じゃあ、僕が少しずつ選びますね。食べられないものがあったら教えてください」
その言葉に、美羽はホッとしたように笑う。
「……ありがとうございます」
お皿を受け取り、誠司と並んで立つ。
気づけば美羽は、ぴったりと誠司の腕に寄り添っていた。
「……?」
「い、いえ、他の奥様方も、皆さんご主人にくっついてたので……!」
頬を染めてそう答える美羽に、誠司はほんの少し目を見開き──
「そうですね」と柔らかく微笑んだ。
(……くっついても、嫌がられなかった)
それだけのことで、胸がふわりと温かくなる。
緊張はまだ抜けきらないけれど、誠司の隣にいられるという安心感が美羽の背中をそっと支えていた。
途中、誠司が何人かの役職者に挨拶をしに行く際に、
「僕の妻です」と、自然な流れで紹介される場面もあった。
──「まあ、こんなに可愛らしい方が……!誠司さん、羨ましいわ」
──「若い奥様でいらっしゃるのね。お料理、お上手なんですって?」
笑顔を浮かべて会釈するけれど、次々と向けられる視線に少しずつ疲労が溜まっていく。
(……みんな綺麗で、大人で、堂々としていて……)
自分は場違いなんじゃないか。
そんな思いが何度も胸をよぎるたび、隣にいる誠司の横顔を見ることで心を落ち着けた。
「疲れてませんか?」
そっと耳元で囁かれたとき、美羽はハッと我に返る。
「……ちょっとだけ。でも、大丈夫です」
「無理しないでください。いつでも抜けていいように言ってありますから」
そう言って、美羽の小さな手を自分の指先で軽く包む誠司の仕草に、
美羽の心はまた、ぽっとあたたかくなった。
(誠司さんのためなら、もう少し頑張れそう……)
たとえ場に馴染めなくても、たとえ視線が痛くても──
彼の隣にいられるだけで、美羽には勇気が湧いてくるのだった。
華やかな会場に、美羽の小さな吐息が混ざった。
立ちっぱなしで数時間。
慣れないヒールが足に食い込み、知らず知らずのうちに靴擦れを起こしていた。
「……っ」
足を引くような仕草にすぐ気づいた誠司が、小声で問いかける。
「どうかしましたか?」
「い、いえ……ちょっと靴が……。靴擦れしたみたいで」
「絆創膏、あります。ここで貼りましょう」
そう言って、胸ポケットからさりげなく取り出してくれる誠司。
美羽のために持っていてくれたことすら、どこか胸に沁みた。
けれど、美羽は慌てて首を横に振る。
「だ、大丈夫です……!トイレで貼ってきます!」
その顔は真っ赤で、たじたじと後ずさるようにして誠司から離れていく。
恥ずかしさもあるし、会場の真ん中で足を出すなんて、どうしても気が引けたのだ。
「気をつけて」
背後から聞こえた優しい声に、少し背筋を伸ばして、美羽は会場の奥にあるトイレへと向かった。
バタフライ模様の壁紙が印象的な、ラグジュアリーなレストルームの個室で、そっとストッキングをたぐり寄せる。
靴擦れは思ったよりも赤く、ほんの少し血が滲んでいた。
「……っ、いた……」
誠司がくれた絆創膏を丁寧に貼って、そっと靴を履き直す。
鏡の前で身なりを整えながら、少し緊張を取り戻そうとしていたそのとき──
「……え?」
個室の外がざわざわと騒がしくなり、誰かが慌てて会場の方に駆けていく気配があった。
(なにかあったの……?)
何となく胸騒ぎがして、美羽もトイレを後にする。
ちょうど会場の入り口付近──クロークのあたりが小さな騒ぎになっていて、スタッフが対応に追われていた。
美羽は遠目からそれを見つめた。
(……あの人……)
明らかに招かれていない風貌の女性がひとり、ヒールの音も高く会場へと足を踏み入れてきていた。
その目は、何かを──いや、誰かを、探している。
(まさか……あれって……)
胸にざわめきが広がる。
数秒後、その女性の視線が誠司を見つけ、カツカツと音を立てて一直線に近づいていくのが見えた。
(誠司さん……!)
美羽は小さく息を呑みながら、動けなくなってしまっていた。
──ここから、波が押し寄せてくる。
その予感が、美羽の肌に冷たく触れた。
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