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第47話

『君が女性じゃないと分かっていたら、マッチングに応じてなかった。』 ──それは、当たり前のことだ。 この国のマッチング制度は、男女のためのもの。 結婚とは、「誰とするか」ではなく、「誰に選ばれるか」── 少子化が進んだこの時代、自由に恋愛することは夢になった。 枠からはみ出た恋愛なんて、許される余裕なんてなかった。 幼い頃から既に競争は始まっていて、親の財力や本人の資質が求められた。 僕には、そのどっちもがなかった。 後ろ盾も、僕を守ってくれる両親もいなかった。 体が小さく細かったから、男性としての魅力もなかった。 ──生きてる価値はない。 そう言われてるみたいだった。 誠司さんと違って、僕は── 望んでも、誰にも必要とされなかったんだ。 女性と偽った時、僕は初めて 人間として、“妻”として君を迎え入れたいと、存在を必要とされた。 馬鹿みたいだ。 そんな嘘、隠し続けられるわけがない。 そう思った。 だけど、震える私に、“無理には触れない“そう言ってくれた。 ひと筋の光が見えたみたいだった。 それは──誠司さんを騙し続けることができるから。 性別がバレなければ、きっと、ずっと隣にいられるって、本気でそう思ったから。 だけど、今度は触れて欲しくて苦しくなった。 嘘で塗り固められた“美羽”の本当の姿を知っても── 愛して欲しいって、願うようになってしまった。 嘘と罪の上に咲いた、本気の恋だったんだ。 「誠司さんが……もっと酷い人だったら良かったのに……」 ぽつりと、美羽の声が震える。 「もっと、傲慢で、理不尽で、軽蔑できるような人だったら…… ずっと、嫌いでいられたのに……」 でも、そうじゃなかった。 「あなたの声も、言葉も、仕草も、優しさも……全部、嬉しくて…… なのに、触れてほしいって思うたびに、自分の嘘が、罪が、苦しくて……! どうして、私は“本物の女の子”じゃないんだろうって…… 何度も、何度も、思った……!」 喉を裂くような嗚咽が、込み上げる。 「最初は、制度を抜け出したくて……誰でもよかったはずだったのに…… どうしても、誠司さんじゃなきゃ、駄目になってしまった…… 優しさが、ぬくもりが……欲しかった…… 隣にいたくて…… 触れてほしくて…… 手を、繋ぎたくて──」   誠司の拳がわずかに震える。 怒りか、失望か、あるいは── まだ残っている情なのか。 その表情は読み取れなかった。 けれど、彼は静かに言った。   「……君も、そして施設も、両方訴えます」   その言葉は、無慈悲な裁きではなく── 誠司の中で、なにかが決定的に壊れてしまった証だった。   美羽は、震える唇を噛みしめながら、それでも、真っ直ぐに答えた。   「……承知しました」   どこまでも静かな、終わりの返事だった。   沈黙が、重く降り積もる。 そして誠司は背を向ける。   「忘れ物を取りに戻っただけです。 このあと、すぐ仕事へ行きます」   「……はい」   「その間に、出ていってください。 ここにあるものはすべて“俺の妻”に贈ったものです。 施設に持ち帰ることは許しません」   美羽は黙って、ただ頷いた。 何も言えなかった。 これ以上、何を言っても── “誠司の心”は、もう二度とこちらを向かない気がした。   ──終わったんだ。 信頼も、ぬくもりも、絆も。 全部、僕が壊した。   涙が、止まらなかった。 それでも、美羽は、最後の力を振り絞って言った。   「……あの……」 声が震える。 「最初に買っていただいた……おもちゃの指輪だけ…… 持っていっても、いいですか」   それは、心の底から出た、ひとつだけの願いだった。 高価なネックレスも、指輪も── 今は、どうでもよかった。 最初に、誠司さんが買ってくれた、あの安っぽくて、小さな指輪だけが。 どうしても、欲しかった。 それは、“はじまり”の記憶だった。   ふと、視線を落とすと── リビングの隅。 水谷に触れられる前に、美羽が守りきった、小さな宝石箱。 その中で、ミルクラウンの指輪が、朝の光を静かに受けていた。 ダイヤは、声も持たずにただ光り── 誰の言葉も必要としないまま、美羽の“本当の想い”だけを肯定しているように、そっと輝いていた。 でも── 「──そうやって、可愛いふりをするのが君のテクニックですか?」 低く落ちたその声に、美羽の肩がぴくりと揺れる。 冷たくて、鋭くて、刃物で切り裂かれるようだった。

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