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第3話 文化祭練習編

 劇をすることとなった。  この歳で⁉ と思わなくもないが、茶ネコのツェイこと俺は机の上に肘を乗せ、その手のひらに顎を乗っけて黒板を眺める。茶色い毛に覆われた尻尾が苛立ちをあらわすように一度だけ揺れる。  劇など冗談ではないが、はしゃいでいる男子とノリの良い進行役がさっさと決めてしまったのだ。衣装も手づくりし、この学園は本格的な劇をやるため、女子で一番人気のカエデさんのお姫様姿を拝みたいのだろう。気持ちは分からんでもないが、劇かぁ……。  今更訂正するのも面倒臭く、俺は机の上でだらしなく伸びる。 「この時間がだるいよ~。ミョン~」  つんつんと、俺は前の席の奴に小声で話しかけ背中をつつく。  振り向いたのは分厚すぎて瞳が見えない瓶底眼鏡男子だった。  ひそひそと囁き合う。 「拙者もですぞ。文句言わないので結果だけ持ってきてほしいですな」  新雪を思わせる白い毛に覆われた三角の耳に、サラツヤな尻尾。優雅な曲線を描いているため、授業中たまに目が追ってしまう。  同じ部活仲間のミョンだ。  『眼鏡を外すと美形』という、少女漫画に出てくようなやつで水色宝石の瞳を野暮ったい眼鏡で封印してくれていなければ友達になっていなかっただろう。……友達と言うか、友達以上恋人未満、かな?  同じ思いの仲間がいることに安堵し、俺は目線を黒板に戻す。  登場人物は投票で決めることとなった。もちろん自信があるなら、主役を自分で投票することも可能だ。俺はそんな度胸皆無なので、後ろで立っているだけの『木の役B』に自分の名を書いて投票した。『木の役A』の方は果物の木なので、より目立たない方を選んだ。ミョンは裏方かその辺だろうな。  結果発表するまでもなく、お姫様役はカエデさん。クラスの男子も女子も嬉しそうに湧き上がる。カエデさんは頬を染め微笑みながらも……どこか曇った笑みに見えた。気のせいかな? そんなに、親しいわけでもないし。口きいたこともないわ。挨拶以外で。 「次。王子様役は……」  進行役が名前の下に「正」の文字を書いていく。  選ばれたのはドロテでした。知ってた。 「ドロテ君。おめでとう!」 「私も投票したのよ?」 「やっぱ、あいつかぁ……」  騒ぐ女子に落胆する男子。  俺が予知能力者なのではない。  高貴な黒髪に金の瞳。寡黙なところがあるので少し近寄りがたさはあるものの、見る者を惹きつける端正な顔立ち。背もほどほどに高く、横に並びたくないほど足が長い。  オマケに成績も上位と、天に贔屓されたイケメンネコだ。 「え? おいおい。眼鏡の名前が書いてあるぜ!」  男子の一人がそれに気づく。  王子役。ドロテの隣にミョンの名前があったのだ。しかも二票入っている。  ざわめき出す教室。一番驚いているのはミョンだった。んがっと口を開けて黒板を凝視している。  クラスの男子たちがドッと笑い出す。 「眼鏡お前! なんだ自分に投票したのかよ」 「げほげほっ。笑かすなよ! 自分のこと王子様だと思ってたんか? ナルシストじゃん」 「きっしょ! 馬鹿じゃねーの? 自惚れた?」  くすくすと笑い声も響く。言われ放題のミョンはというと、更に真っ白になって固まっている。  隣の男子がミョンを肘でつついている。 「なんとか言えよ眼鏡くーん」 「つーか誰? こいつに投票した奴」  手を叩いて大笑いしていた彼らだが、次の瞬間水を打ったように静まり返った。  ドロテが手をあげていたからだ。 「「「……」」」  男子たちは白目を剥き、女子軍は笑顔のまま石化している。隣のクラスの話声が聞こえるくらい静まり返る。これがカースト上位の力か。  その後、ぎくしゃくしながらも進行役が頑張って進め、俺は『木の役B』を獲得できた。 「どういうつもりですかな⁉」  お昼休み。持ってきたお弁当を机に叩きつけているミョン。怒りの矛先はもちろん、ドロテだ。今日も女子たちの誘いを断って、机をくっつけに来たイケメン野郎。俺たちそろそろ女子から暗殺されそうなんだけど。  ドロテはしれっと弁当箱の蓋を開けている。 「どういうことって、何が?」 「何をトチ狂って拙者に投票しとるのです!」  ドロテは弁当を傾け、彩りキレイな中身を俺に見せてくる。 「どう? 頑張って自分で作ってみたんだ」 「おお。やるじゃん。料理の才能までもらってんのか。いい加減にしろ」  のほほんと会話する俺とドロテのネコ耳をびよーんと引っ張る。 「「いででっ」」  耳触らないで! 変な声出る!  ヒヤッとしたが痛みの方が勝ったため恥ずかしいことにはならなかった。 「次シカトしたら許しませんぞ。だいたい、同士も何しとるんです。小さく手をあげているの見てましたぞ」 「お前の後ろに居るのになんで見えてんだよ。おかしいだろ」  怒り疲れたのか席について項垂れている。俺は白身フライを齧る。ネコでも「びゃっ!」とならないレモン香るタルタルソースが美味しい。  俺は当然のように言う。 「だって美人じゃん」 「俺もそう思う……。初めてミョン君の素顔見た時ビビったし」 「は~あ……」  呪詛のようなため息を吐いている。  ミョンも弁当箱の蓋を開け、中に入っていた菓子パンの袋を開封してメロンパンを食べだす。 「……弁当箱から菓子パン召喚すんなよ。米は? おかずは?」 「寝坊して弁当作りが間に合わなかったのです」  弁当箱にわざわざ詰めているくらいだ。朝のテンパり具合が想像できてしまう。  ドロテは弁当箱をミョンに差し出す。 「黒豆とか、ブロッコリーとか食べる?」 「なんですかその嫌そうな顔は。無理せずともよろしいですぞ」  渋々といった顔のドロテと青筋を浮かべるミョン。こいつら相性は良くないらしい。 「じゃあ、俺の弁当の具、やるよ。かーちゃんが作ってくれたんだぜ?」 「はいはい。あの小柄なお母様ですよね」  何気なく言ったミョンの肩に手を置くドロテ。みしっと音がした。 「はあ? なんでミョン君がツェイのお母さんのこと知ってるの? 家に行ったの? 二人っきりで⁉」 「嫉妬もいい加減になされよ! お宅らが付き合ってること暴露しますぞ」 「それ俺が射殺されるだけじゃん! やめて!」  このきりりとした黒ネコは俺の彼氏でもある。……クラスの連中には絶対に教えられない。嫉妬の業火で焼かれてしまう、俺だけ。  ドロテの弁当からひょいとブロッコリーを頂戴する。 「うめー……。ミョンはなんの役にしたんだっけ?」  ミョンはバシッとイケメンの手を払う。 「拙者は裏方にて。小道具制作などを頑張りますぞ」 「ツェイはなんで木なわけ? 俺、木に求婚する王子になるじゃん」  そんな王子様は嫌だ。  俺はどんと机を叩く。 「ちゃんと台本通りにやれよ⁉ お前。暴走すんなよ?」 「んーーー不安ですなぁ。ドロテ氏は、同士以外は苔むした岩くらいにしか見えていないのでしょう?」 「流石に生き物には見えてるよ。流石に」 「王子がドロテでお姫様役はカエデさんかぁ~。きれいなんだろうなぁ」  俺はドレスを身に纏ったクラス一の美少女・カエデさんの姿を想像する。いい気分だ。  良い妄想に浸っていると、ちょいちょいと肩をつつかれる。  目を開けるとミョンが右を指差していた。俺からすれば左なのでそちらに目を動かすと…… 「……」  すっごい笑顔で圧をかけてくるクロネコがいた。俺の全身の血が一気に足元まで下がる。 「ど、ドロテ……?」 「……」  すごくいい笑顔だ。イケメンなだけあり破壊力が、物理的な破壊力がありそう(俺にだけ)。 「こ、これは! 一般的な男子の感想で。別にカエデさんがどうとかは」  滝汗を流す俺を見ながらミョンがしみじみと「阿呆ですなぁ」とメロンパンを齧っている。ちょ、助けろよ!  ドロテは他のクラスメイトには見えない絶妙な位置で、俺の手に手のひらを重ねる。 「帰ったら楽しみだよ」 「ミョン! 今から入れる保険ってあるか⁉」 「ないです」  にゃぎゃああああ~っと、教室に面白い悲鳴が響いた。  ミョン宅。  三匹で劇の練習をすることとなった。ドロテはセリフを覚えるために台本を。俺とミョンは小道具を作る。ドロテは兄貴が天才過ぎて兄弟仲は気まずいらしく、家にあまりいたくないらしい。俺は部屋が散らかっているので作った小道具が片っ端から紛れていきそう。  広くて片付いているミョン家は都合が良いのだ。家主はあきれ顔でオーケーしてくれた。 「百万回生きたバレエシューズを履いた猫かぁ~」  なんでもうすでに台本があるんだよと思ったが、ドロテが王子様になったことで燃え上がった女子が一日で書ききったらしい。情熱は力になる。  台本を覗かせてもらった。 「うえぇ~。主役なだけあってすげえ台詞量じゃん」 「同士では一年かかりますな」 「ばっきゃろう! 半年あれば十分だわ」 「終わってますぞ。文化祭」  俺とミョンの間にドロテが身体をねじ込んでくる。 「俺は一週間あれば覚えられるから。あとは振り付け、だな」 「すげー邪魔なんですが?」 「お客さんがきたんだからお茶くらい出してよ。ミョン君。気が利かないな」 「なんですかこのふってぶてしい客は」  半ギレのミョンが、でも素直に部屋から出ていく。 「でもおかげで当分授業ないのは楽でいいよな?」  にゃふふ~んとのんきに話しかけると、真顔になったドロテが首だけでこっちを見た。ちょちょちょ! 何? 怖い! イケメンの真顔怖い。うっすら目が光ってるのも怖い!  半泣きになり、耳が頼りなく垂れる。 「なに⁉」 「俺がいるのに、違うネコのこと考えてたね?」  カエデさんのことか。忘れてくれたと思ったのに。 「うぐっ! いやあれは違ぇじゃん⁉ と、お、思ったこと言っただけで……んう」  顎を掴まれ、口づけされる。  ざらつく舌が俺の唇をめろりと舐める。飴玉のように何度も。味わうように。  くすぐったい。 「ん、んん……。お、おい。ここミョンの」 「またミョン君の名前? ツェイの一番は俺じゃないの?」  ぎらっとドロテの瞳が光る。ミョンも言っていたがこいつめちゃくちゃ嫉妬深いな。  以前までなら勢いに押され流されていただろうが、いまは結構強めにドロテの頭にチョップを落とす。 「いで」 「アホ! 俺はお前と……けっ、付き合ってるのは、お前だろうが! お前、イケメンの癖に。もっと自信持てよばーーーか」 「……」  ちょっと自分でも言葉詰まりすぎだと思ったが、ドロテの感情は鎮まった様子。すっかり覇気がしぼんでいる。  黒耳がピコピコ動き、照れたように尾の先をいじる。 「そ、そう? ツェイはあんまり好き好き言ってくれないから。その……」 「はあ? 恥ずかしくて言えねぇよそんなこと」  わりとショックを受けたような顔をする彼氏。 「す、好きな相手に、好きって言ってもらえないのは、悲しいよ」  顔を赤くしているこいつは素直に可愛いと思える。 「うーん。でも恥ずかしいし。そうだ」  すちゃっとスニャートフォン(スニャホ)を取り出す。 「メールで好きって送り合おうぜ」 「い、いやだ! そんな味気ないこと!」 「ええ~?」 「何そのめんどくさそうな! ツェイは俺のこと大事じゃないの?」  ドアをチラチラ見ながら口の前で人差し指を立てる。 「大声出すなよ。ネコん家だぞ」 「ツェイ‼」  あまりの大声に全身の毛が逆立つ。声を出した本人も、声の大きさに驚いている。  目を見開いて見つめあう。  先に逸らしたのはドロテだった。 「……ご、ごめん」 「いや。びっくりした。どうしたんだ?」 「俺……ツェイが欲しくて、取られたくなくて強引だったから。ツェイはまだ俺のこと好きじゃないのかなって。思ったら。あ、焦っちゃった」 「……?」  茶耳が片方だけ不可解そうに倒れる。 「どういう意味だ?」 「え?」  ガチャっとドアが開く。トレイに三人分の飲み物とお菓子を乗せたミョンが戻ってくる。 「うるさいですぞ」 「ミョン。わりぃわりぃ」  俺の前にミルク。自分の前にもミルク。ドロテの前には水を、ドンッと零れないぎりぎりの力加減で置いた。 「……俺のだけ水に見えるんだけど?」 「嫌なら泥水でも啜ってればどうですかな?」  はんっと笑うミョン。ドロテの額にビキィと血管が浮かぶ。  ぷりぷり怒りながらもコップを口につける。 「せっかくいい気分で、ツェイの低品質さに浸ってたのに」 「ドロテ氏も趣味悪いですなぁ~」 「悪口言われているのは分かるぞ?」  なんだこいつら。口に含んだミルクを吹きつけてやろうか。  乱闘をしてもいいが勝てない気がするので、俺は学園の鞄をごそごそと漁る。  取り出したものをバーンと突きつけた。良い笑顔で。 「喧嘩は良くないから。これで勝負だ!」  出てきたのはテレビ繋いで楽しむゲーム機だった。 「「……ッッ」」  学園の鞄からゲーム機が出てきたことに、二匹は白目剥いて硬直する。  ミョンはめっちゃ震える手で眼鏡の位置を調整し、ドロテは感激したように手を合わせている。 「ああ……。今日もツェイがアホで可愛い……」 「あんだとテメー!」 「あったま痛いですな……」  ずっと細かい作業や台本記憶をするのも疲れるので、息抜きにゲームをするのは悪くないと思う。それを学園の鞄から出すな。と言われた。二人に。 「あ! 誰だよレッド甲羅投げてきた奴! せっかく上位走ってたのにー」 「上位でゴールする同士とか解釈違いなのでいいじゃないですか」 「何がだ⁉」 「ね、ねえ。なんか俺だけ変じゃない?」 「ドロテお前! お前だけ逆走してるぞ」 「なんか前方から来た車とすれ違った気がしましたが、貴殿でしたか……」  やはり学生。ゲームしている時に一番熱が入る。 「画面に逆走してます矢印が出てるだろ?」 「これ、なんのマークなのかと思って」 「同士。前!」 「え? あああああ。落ちぁああ」  レースゲームの順位はツェイ七位・ミョン九位・ドロテ最下位となった。 「久しぶりに三位以上行けると思ったのに」  ガックシと肩を落とすゲームを持参したネコ。ミョンは「レースゲームは久しぶりですなぁ」と気持ちよさそうに伸びをして、ドロテは終始頭に「?」を浮かべたままだった。 「はい。お終い」  ミョンがテレビの電源を落とす。 「もう⁉ あと二十勝負は出来るって!」 「息抜きで全力を使ってどうするのですかな? それにドロテ氏があまり楽しめていないようですし……」  ドロテを見ると確かに目を点にして画面を眺めていた。楽しい楽しくない以前に、こいつはルールもよく分かってなかった気がする。  コントローラーを置いて四つん這いで近寄り、ドロテの腕をちょんちょんと前足でつつく。 「なんだ? ドロテ、楽しくなかったか?」 「ううん。ツェイと同じ空間にいるだけで楽しいよ」  目を細めてすりすりと頬ずりしてくる。  俺も気持ちよくなってすり返していると、 「あーよっこいしょ」  俺の顔を押しのけてミョンが間に割り込んできた。 「ミョン君邪魔ぁ!」 「貴殿と同じことしただけですぞ?」 「喧嘩の代わりにゲームで勝負! を提案したのに、ゲーム終わった途端険悪になるなよ。あと顔押すな」  猫団子たちはむぎゅむぎゅと押し合いの喧嘩未満に発展したが、くっついているせいかあったかくなり、やがてすやすやと眠っていた。

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