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第3話 心の傷①
「オシャレなお店ですね」
居酒屋とは言っても内装も凝っていて、いかにもSNS映えしそうだ。ところどころに間接照明を置いただけの決して明るくない店内は、むしろホッとする落ち着きがある。店の真ん中がオープンキッチンになっているようだ。それを円で囲うようにカウンター席が設けられていて、テーブル席は全てが個室で設けられていた。通路を歩いても声が僅かに漏れる程度で会話は聞き取れない。人の気配を感じながらも、他人を気にしなくていい絶妙な空間だ。
いかにも黒川が好きそうだと思った。インテリな彼を際立たせてくれるだろう。
実際この店をよく使っているのか、黒川は店員とも顔見知りのようだった。
案内された部屋はどんな話でも安心して喋れそうな、他の客席とも少し離れた一角にあった。
「身内の店なんだ。兄が二人いて、ここは次男がいくつか持ってる飲食店の一つ」
「そうなんですね。凄いです」
「俺の家はアルファ一家でね。最後に生まれた俺だけがベータなんだ」
隠しもせず、いっそ爽やかなまでに黒川は言った。
「バース性が診断された時は気まずくて、俺だけが凡人だったって相当落ち込んだ。しばらくの間は誰にも言えなくてさ、家に居場所がないって思い込んで逃げてた。学校や仕事について五月蝿く言われたことはないけど、せめて家の恥にならないようにって必死だったなぁ」
「意外ですね」思わず口を衝いてしまったが、黒川はあははと声を出して笑った。
「でしょ。黒歴史って自分でも思ってる。今は全然、自分らしく生きてるけどね。別に家族の仲が悪いわけでもないし。実際、気まずいと思ってたのは俺だけで、両親も兄も第二次性なんて気にしてなかったんだよね。気遣い損!」
そこまで話して、黒川は急に真顔になった。
落ち着いたトーンで振り返るように話し始める。
「話を蒸し返してごめんだけど、あの時さ……東雲くんとセックスした時。凌駕の反応を見て君がオメガだって分かった。俺は家族と和解してから第二次性については考えないようにしてたんだけど、頭のどっかではアルファとの違いに興味があったんだろうね。凌駕にはすぐに届いたフェロモンを、俺は微塵も感じなかったのはショックだったよ。それでもヒートを起こしたオメガとセックスしてみたかった」
「それで、どうだったんですか」
「普通に気持ち良かった。本当に女の子みたいに、いや、それ以上かな。びしょ濡れになるんだって興奮した。ヒートを起こした東雲君は可愛かったしね。……でも、それだけだった。凌駕と交代して、アルファがどうなるのかを見てたんだ。鳥肌が立った。何かに取り憑かれたように腰を振るラット状態の凌駕は、まるで獣みたいだった。怖かった、足が竦んで動けなくなるくらいに。ここにはアルファとオメガしかいちゃいけないって、俺を睨む凌駕の視線で殴られてるみたいだった。やっぱり自分はベータだって思い知らされた。悔しかったよ。家族はみんなアルファなのに俺は違うって、鋭利な刃物で刺されたくらいショックだった。拘っても仕方ないのにね。どんなに足掻いてもアルファにはなれないもんね」
自分がアルファだったら東雲君を噛めたのになと冗談混じりに言ったが、黒川は寂しそうに目を伏せていた。
ベータは平和に暮らしていると思っていた陽菜は面食らってしまった。結局、どんなバース性であっても悩みの一つや二つはあるのだと、一つ勉強になった。
「暗い雰囲気は得意じゃないんだ。謝罪ってわけじゃないけど、俺の弱みも話しておこうと思ってね」
「いえ、ありがとうございます。僕、本当に抱かれたことは怒っていません。あの時、他の社員が来なかったのは、黒川さんのおかげなんじゃないですか?」
「まぁ、ね。相手が凌駕だったってのが大きかったけど」
「僕が発情期で休んでいる間に、言いふらされてるかもってちょっと思ってたんです。でも、復帰してみたら誰も知らなくて。言わないでいてくれて、ありがとうございました。今日、ちゃんとお礼を言えて良かったです」
「東雲くんさ、本当に良い人すぎて心配しちゃうんだけど」
困ったように笑いながら「好きなもの頼んでいいよ」とメニューを手渡し、自分の話はここでお終いだと切り上げた。
黒川の方が余程良い人だと思った。
男のオメガだとずっと隠し通してきたが、高校生の頃は発情期ペースも不定期で、たった一回のヒートで噂は瞬く間に広まってしまった。二年生の冬だった。残りの一年は周りの生徒から好奇な目で見られ、肩身の狭い思いを抱えながら過ごした。あからさまな虐めがなかったのだけは救いだったが、特に男子生徒からは一定の距離は取られていた。
思い出す過去に明るいものはない。バース性を発症してからは特に。
なのでオメガだと知っても、優しくしてくれただけで陽菜は充分嬉しかった。
凌駕ともちゃんと話をしなければいけないのだが……とそこまで考えて陽菜は顔を上げた。
「あの、今日言ってた望月先輩の件ですが」
「あぁ、ちょっと待って。電話だ」
「はい」
話しかけたタイミングで黒川のスマホが着信を知らせた。
席を立ち個室を出ると、陽菜は大きくため息を吐く。
一先ず、黒川とだけでも和解できて安心した。初めて喋ったが、見た目や噂よりずっと話しやすく、穏やかな雰囲気の人だった。
ノンアルコールのカクテルを一口飲んで口内を潤し、黒川の帰りを待った。
「お待たせ。さ、凌駕も入って」
「え?」
黒川はどうやら凌駕を呼び出していたらしい。
「どういうことだ」と通路から凌駕の声が聞こえる。どうやら黒川がサプライズで仕掛けたようだ。
「凌駕だって、自分のことを俺に話されるのは嫌だろう? 他人の主観が入ると話がややこしくなるし。ちゃんと話し合え。俺は、ちゃんと話たぞ」
「……」
黒川から説得され、最後には覚悟を決めたように口を一文字に結び、凌駕が入室した。
「じゃあ、陽菜ちゃん。俺は帰るね。今日の食事代は俺に請求するよう兄に言ってるから。本当に好きなだけ食べてね」
急に名前で呼んだのは、自分たちは和解したというアピールだろうか。黒川は凌駕を半ば無理矢理座らせると帰ってしまった。
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