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第5話 打ち解けた二人①
陽菜は思わず椅子から立ち上がり、身を乗り出していた。自分が思っていたよりも強い力でテーブルを叩きつけてしまい、皿やグラスが揺れ、キン、カチンと陶器特有の音が響く。
勢いで言ったが社交辞令ではなかった。
慰めたいだなんて烏滸がましい理由でもない。
普段、社員から憧憬の眼差しで見られている凌駕がこんな悲しい別れを経験しているなんて思わないし、そんな素振りは僅かにも見せたことはない。
でも本当は弱さを隠し持っている。
アルファなら失恋しないなんて思いがちだが、決してそうではない。アルファとオメガにしか分からない苦悩もある。それを理解してあげられるのは、現時点では陽菜しかいないと思ったのだ。
真剣に言っていると伝えたい一心で出た言動だった。
凌駕はその迫力に目を丸くし、背凭れに仰け反っている。
「東雲、一旦、落ち着こうか」
「あ……ごめんなさい」
凌駕の一言で冷静になり、静かに腰を下ろす。断られてもいいなんて思ったけど、やっぱり断られるのは怖い。ついさっきの勢いは瞬く間に鎮火し、俯いた。
「怒ってるわけじゃない」
凌駕は陽菜に腕を伸ばし、手を重ねて置いた。掌が湿っていたのは、凌駕も少なからず緊張していたからだろう。余程、誠を愛していたとも同時に伝わってきた。
陽菜は何故か胸が痛んだ。同情でもない、誠に対しての怒りでもない、理由ははっきりとしないが、凌駕の心を今も掴んで離さないその誠という人が羨ましいとも感じていた。
そんな風に、誰かから愛されてみたいと思ったのかもしれない。
部下のくせに、オメガのくせに、無謀な申し出をしてしまった。きっと凌駕を困らせている。理由を聞いたのだから、さっさと帰るべきだったと気付くのには遅過ぎた。
これはもう、キッパリと断れるよう促すしかないと腹を括る。
考え込んでいる陽菜の顔がみるみる青褪めていくのを正面から見ていた凌駕は、わざと明るい口調で話し始めた。
「東雲とちゃんと話したの、今日が初めてだったよな。いつも笑ってるイメージだったけど、こんなに感情豊かだとは意外だった」
クスクスと笑っている。迷惑ではなさそうで安堵した。
腹を割って話したのが功を奏したらしく、凌駕はこれまでよりもリラックスしているようにも見えた。
「運命の番は知識でしか知らなかったけど、実際、当事者になってみて本当に存在してるんだなって。ショックだったけど、それが東雲を抱いていい理由にはならない。ましてや、番解消と言われて逃げるんだんて子供じみた真似をしてしまった。挙げ句の果てに心配までされて……。全く、情けない上司だよな」
「そんなことないです。僕は勝手に望月先輩は完璧だと思っていました。悩みなんてなくて、仕事もプライベートも思うがままを生きているんだろうなって。僻んでいたわけではないんです。オメガとは違うって、羨ましい気持ちはありましたけど。でも、そんなことはなかった。望月先輩にも弱い部分はあるんだって思ったら、あんまり怖くなくなりました……あ、怖いっていうのは完璧すぎて近寄りがたいっていうか、その……」
吃る陽菜に、凌駕は声を上げて笑った。
「怖いか、そうだよな。東雲はまだ新人だし」
「こんなことを言うつもりじゃなかったんです」
「なんで? いいじゃないか。素直な感想を言われるのは嫌いじゃない。それに、東雲の提案も嬉しいと思ってるよ」
「本当ですか?」
「寂しいのは事実だし。一人のマンションに帰るのは結構キツい。今までは誠がしょっちゅう来てたから。仕事中は大丈夫なんだけど、自分の部屋に帰ると孤独を実感してしまうんだ。誠からは一切連絡も来ない、発情期に入ったはずの東雲はアルファを頼ろうともしない。オメガはアルファが必要じゃないのかよって、愚れるところだった」
凌駕は随分と打ち解けてくれるようになった。
「発情期に先輩を頼るなんて、いけないですよ。ただでさえ会社でヒートを起こして迷惑をかけたんですから」
「迷惑だって思ってるのは東雲だけだ。なぁ、さっきの提案って仮の恋人になるって意味で言ったのか?」
「すみません、調子に乗りました。忘れてください」
「ダメだ。忘れない。俺の傍にいてくれるんだろう?」
「……いいんですか?」
「俺だって、誰でもいいわけじゃない。東雲だからそうして欲しいって思ったんだ。寂しさを、忘れさせてくれないか」
「はい、僕でよければ」
凌駕は「よろしく」と手を差し出した。陽菜と握手を交わすと、凌駕は早速プライベートの連絡先を教えてくれた。
「軽く食べたら、俺のマンションで飲み直そう。明日は休みだし。東雲のことをちゃんと知りたい」
異論はなかった。
いきなりマンションに招待されたのは驚いたが、昼間の拒絶が嘘みたいに思えてくる。
アルファなのに、上司なのに、寂しがりやという意外すぎる一面も知ってしまった。もっと色んな凌駕を知りたいと思う。
食事を済ませると、店を後にした。
黒川に負けず劣らず、凌駕の車も高級感が漂っていた。このまま一泊くらいなら車中泊でも平気そうなくらい広々している。
助手席に座るだけでも緊張してしまうが、軽自動車とは違い、運転席との距離がしっかりと確保されている。腕や指が触れる心配もないし、鼻息も聞かれなくて済みそうだ。
それでも散り一つない磨き上げられた車に気を遣ってしまう。汚さないよう細心の注意を払っているのに、凌駕から「トイレでも行きたいのか」と勘違いをされてしまい、恥ずかしかった。
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