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第6話 打ち解けた二人②
移動中は凌駕の方が沢山話しかけてくれた。
休日には何をしているのか、とか、映画は観るのか、とか、アウトドアタイプではなさそうだな、とか。とにかく色んな話題を振ってみて、陽菜の様子を伺っていると思われた。
陽菜はなるべく会話を途切れさせたくなくて、曖昧な返事にならないよう努めたが「面接じゃないから」とまた笑われてしまった。
緊張もしているのだが、密室状態の車内には凌駕の匂いが充満している。ちょっとでも気を抜けばヒートを起こしてしまいそうで怖い。鼻呼吸をしなければいいわけではないから厄介なのだ。
フェロモンの匂いは肌で感じて本能が捉える。嗅覚も勿論大切だが、相性のいいアルファが近くにいると神経が研ぎ澄まされる。
ましてや恋人ではないとはいえ、一応、番になっている相手だ。
この匂いに当てられないわけはない。
早くマンションについて車から降りたいと祈る。
黒川の車も同じように緊張していたが、ヒートの心配がないだけに、慣れてしまえばあとは会話を楽しめた。
今はきっと陽菜の方が凌駕を意識してしまっている。固く握りしめている掌は、店でいた時よりも汗でぐっしょりと濡れていた。
移動には四十分ほどを要した。駐車場に車を停めた時は、よく我慢できたと自分を褒めたいほどだった。
マンションの中にあるコンビニでドリンクを買い足し、「明日は休みだからこのまま泊まっていけ」と言われ、下着などの最低限の着替えも調達した。
エレベーターで上階を目指している間は、もう全ての穴という穴を塞いだ。
隣にいる凌駕に異変はないか、様子を見ながらここまできたが、凌駕の方は至って落ち着いているようだ。オメガのフェロモンは出ていないと、いちいち安堵する。
マンションの最上階に着き、三つしかないドアの一番奥を開けた。
「わっ」
室内から凌駕の匂いが襲いかかるように漂ってきた。
「どうした?」
「ひっ、広くて、びっくりしました」
誤魔化しきれたかは分からないが、自分が住んでいるマンションとは格が違うのは嘘では無い。
ここに入ってしまえば後戻りは出来ない。凌駕しか生活をしていない部屋は、居酒屋のように色んな匂いが混在していない。もしもヒートを起こしてしまったら……。息を飲んでいると、上司の自宅を目の前に呆然と立ち尽くしているように見えたらしい。
「ようこそ、我が家へ」
さり気なく背中に手を添え、中へと促す。
「お邪魔します」
こっそり深呼吸をして一歩踏み入れた。いい匂いに包み込まれる。
ヒートを起こすんじゃないかと危惧していたが、実際、部屋に入ってみれば脱力してしまうほどリラックスできた。
これもアルファのフェロモンの効果なのか。アルファの部屋に入るのさえ初めての経験で、拍子抜けしてしまう。
それでもヒートを起こすよりは断然良い反応だ。
リビングのソファーに腰を下ろすと、凌駕は「適当に食べるものを作ってくるから休んでいて」ローテーブルにコンビニ袋を置くとキッチンに立った。缶ビールや缶チューハイを出しながら凌駕に目を向ける。
「料理、お好きなんですか?」
「生活に困らない程度にしかしないよ。先に言っておくけど、期待するような豪華でオシャレなのは出ないからな」
「その方が身構えなくていいので嬉しいです。何か手伝いましょうか」
「東雲は料理得意?」
「いや、節約してるので仕方なくやってるだけです」
「男の一人暮らしなんて、そんなもんだよな」
凌駕はせっかくだから一緒にしようと誘ってくれた。座ってるよりずっと良い。
綺麗に整えられたキッチンだが、鍋や調味料は普段から使われているのが垣間見れる。
手際よく作っているのは牛肉のタレ焼き、付け合せのサラダはコンビニの袋から出して盛り付けている。
皿のセンスが良いのは雑貨屋に行くのが好きだからだと話してくれた。
本当に普段の陽菜と変わらなくて、自然と笑みが零れた。
「望月先輩は好物とかあります?」
「普段は身体作りの為に食事管理をある程度してるからな……。味も調理法もシンプルなのが多い。今日の濃い味付けは東雲がいるから特別」
アルファだからと言って、怠けた分だけ身体は弛むのだと言う。
「そんな、おじさんでもないじゃないですか」
「三〇超えると、油断できないんだよ」
「えっ、望月先輩って何歳なんです?」
「三十一。因みに黒川もな。東雲は二十六だっけ?」
「はい。五歳も離れてるとは思いませんでした」
「おじさんはタイプじゃないって?」
「そんなことないです! 望月先輩はおじさんになってもカッコイイに決まってます!」
凌駕は破顔して笑う。
自分のテリトリーに入ったからか、仕事中には絶対に見られない表情にドキリとしてしまう。
態度だけではない。いつもピシッと整えられた髪型から一遍して、今は崩れてナチュラルに前髪が垂れている。終業し、乱れを気にしていない凌駕はより若く感じた。
「見詰められると、何か期待してるのかと思ってしまうけど」
「えっ? いや、何でもない、です。これ、運びますね」
「なんだ残念。東雲、米食う? 今から炊くと時間かかるから、パックご飯で良ければ」
「欲しいです。居酒屋では緊張していて、食べた気がしなくて」
「だよな。俺も」
話が弾む。
ご飯を茶碗に山盛りに盛り、タレをたっぷりと絡めた肉を食らう。
時間は深夜近くになっていたが、気にせず満腹になるまで食べた。
今日、いきなり泊まれと言われて断りきれず流されて良かったと思った。たらふく食べて飲んで、癒されている。このまま眠りにつけば、どんなに幸せだろうか。
「スーツ脱ぎたいな」
凌駕も感じていることは同じらしい。立ち上がると浴室へと移動し、湯を張ってくれた。
「楽しすぎて時間忘れてたけど、もう日付け回ってた。先に入ってきな。タオルや着替え、置いといたから」
「ありがとうございます」
「……東雲、風呂から出たら、頸見せて」
凌駕はずっと気になっていながら、言い出せなかった部分に触れた。
シャツの下にハイネックのインナーを着込み隠している噛み痕。これを見せてショックを受けられないか不安で、陽菜からも話題には出せなかった。向き合ってくれると思っただけで、顔が綻ぶ。
「はい」
しっかりと目が合った。
凌駕の表情も、柔らかかった。
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