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第14話 聞きたくなかった言葉②

 ぼんやりと三人の会話を聞いていると、いつの間にか話題は陽菜の入社時の話になっていた。 「東雲は本当に可愛かったんです。本当に雛鳥そのもののように怯えていて、あぁ、俺が守ってやらないとって誓ったんですよ」 「東雲くんの同期は皆んな一年前後で辞めちゃったのもあって、余計に心細かったと思います」  高槻と長谷川は、陽菜にも言っていない入社時の話を交互に熱弁する。 「わっ、僕の話なんていいですって。同期のみんなは元々営業部を希望してなかったし、面識もないし、あまり話もしないまま去って行った人が殆どなので。正直思い出もなければ思い入れもないんですよね。それよりも高槻さんや長谷川さんの教育を独り占めできてラッキーだと思っていますよ」 「東雲〜!! 本当にお前というやつはどこまで可愛いんだ!! 俺らの教育なんてなくても、営業成績はしっかり伸びてたはずだぞ」 「そうね、私もそう思う。愛嬌もあるし何よりもクライアントの話をしっかりと聞く姿勢、それに話題も切らさないよういっぱいメモ取ってるの、知ってるよ」 「そんなに褒められると恥ずかしいので、違う話題にしてください」  凌駕に仕事中の姿勢を直接聞かされるなんて、せっかくの肉の味も分からなくなってしまう。  凌駕は微笑ましそうに話をする陽菜たちを眺め、耳を傾けていた。 「部下の話を聞く機会がなかなかないから、今日は俺にとっても有意義な時間になるよ」  四人での食事は盛り上がった。凌駕も砕けた話し方をしたり、陽菜について詳しく聞きたいと話題を広げたり、流石の気配りに陽菜はただただ感心していた。  そしてオススメの焼肉店はどれも舌鼓を打ちたくなるほど美味で、しばし旨みを噛み締める沈黙まで生まれた程だった。  時間はいつの間にか三時間ほど経っていて、陽菜以外の三人は随分な量のアルコールを飲み干していた。 「明日も仕事だからそろそろ帰ろうか」  凌駕が声をかける頃には高槻は完全に出来上がっていた。 「ひなぁ〜、今日も泊めてぇ〜」 「今日も?」  高槻の言葉に凌駕が反応した。それを見逃さなかったのは長谷川で、咄嗟に止めに入った。 「ちょっと、今夜くらいはちゃんと帰るよ。飲み会のたびに東雲頼ってたら迷惑でしょう」 「らってぇ。ひなんチ、居心地いいんだもん。朝ごはんまで出してくれるんだもん」 「はいはい、それは分かったから。憧れの望月先輩の前で恥かきたくなければ、先輩の威厳を見せなさい。って、自分のマンションに帰るだけだけど」  長谷川の方がお酒に強いため、案の定、高槻を介抱する運びとなった。 「一人で大丈夫か?」凌駕からも声をかける。 「はい、私はそこまで酔ってませんし、実は同じマンションなんです」 「そうか」と凌駕は言うと、タクシー代を長谷川に持たせた。 「送ってやれなくてすまない」 「いえ、こんな豪華な食事をご馳走して頂いて本当にありがとうございました。明日から自慢します」  長谷川はなんとか自力で歩ける高槻をタクシーに乗せ、帰って行った。二人を見送ると、凌駕は陽菜を自分の車へと誘導する。 「東雲のマンションは何処だ?」 「え、っと……」  なんとなくこの後の展開は読み取れた。けれども訳が分からない振りでは凌駕は誤魔化せない。 「今夜は東雲の部屋に泊まろう」  やっぱりだ。  飲み会のたびに陽菜のマンションに一緒に帰り寝食を共にしている話を、凌駕が聞き逃すはずはない。詳細までは話していないものの、状況は陽菜のマンションにくれば概ね想像できてしまうだろう。  夏は雑魚寝でも冬はそういうわけにもいかず、かといって発情期用の替えの布団を出すのも不自然なので予備の布団はないということにしている。要するに、自然の流れで一つのベッドで大人二人が寝ているということだ。勿論、やましい関係は一切ない。  朝ごはんは二日酔いの体に負担がかからないよう、冷凍してあるご飯で卵粥を作る程度だ。  それでも高槻の言わんとすることも分からないでもない。一人暮らしをしていると、誰かが作ってくれたご飯というだけで心に染みるものがある。  ただ、それが凌駕には誇張して伝わっている気がしてプレッシャーに感じる。  週末にもてなしてもらったようなサービスは陽菜のマンションでは提供しかねる。 「でも、僕の部屋は本当に何もないですし、ほぼワンルームで狭いですし。望月先輩には窮屈に感じると思います」 「気にしない。東雲が普段どんな生活を営んでいるのかも興味がある。それとも、高槻は良くて俺は駄目な理由でもあるのか?」 「そんなの、ありません。構わないですけど。でも望月先輩が見ると質素すぎてショックを受けるかもしれません」 「よし、心配なさそうだな」  凌駕の返事はとても噛み合っていたとは思えないが、きっと狭くて質素でもm、問題ないという意味なのだろうと解釈した。  陽菜のマンションに着くと、興味深そうに部屋を眺めた。 「本当にここだけなんだな」 「はい。僕に広い部屋は必要ないですから」  ソファーはないのでベッドに座ってくださいと促すと、凌駕は一層目を丸くする。 「他の人が来てもベッドに座らせてるのか?」 「他の人とはいっても、高槻さんくらいしか来ませんから。あとは母くらいのものです。お客様らしいお客様は望月先輩が初めてですよ」  喜んでくれると思って言った一言は逆効果だったようで、凌駕は客人扱いされたくないと反論した。 「急には無理です。まだ二人でいると緊張してしまうくらいですから。自分のテリトリーに望月先輩がいるってだけで、心臓が落ち着かないです」  凌駕は自分の部屋なのに入り口に突っ立っている陽菜に手を差し出し引き寄せると、並んでベッドに座った。 「あんなに体を重ねても、まだ距離は縮まっていないようだな」  不意に寂しそうに眉を曇らせた凌駕を見ると、気を使って裏目に出てしまったことを悔いた。 「そういうつもりではなかったのですが……」 「意地悪で言っているんじゃない。ただ俺はもう心を通わせられるくらいの立ち位置にいると思い込んでいたから反省したんだ」 「望月先輩にそんなふうに思ってもらえるなんて光栄です」 「東雲にとっての俺もそうなればいいんだがな」  今度は苦笑いをした。  狭い部屋では息遣いさえも鮮明に聞こえてしまい、無意識的に呼吸が弱くなってしまう。  目を伏せては横目でちらりと隣を覗き見る。  細くスラリと滑るような鼻梁に、薄くも整った形の唇、しっかりと存在してる喉仏。  見惚れていると、凌駕が伏せていた眸を上げ、思い出したように陽菜を捉えた。突然の流れに目を逸らし損ねてしまい、見詰めあってしまう。  凌駕は目を細めて嫣然(えんぜん)と微笑むと、シーツに突いている手を上から重ね、握りしめた。 「今朝、東雲が帰ったあと、誠の物を全て処分した」 「誠さんの物を」  声が詰まり、あからさまに動揺してしまった。凌駕から手を離したかったが、体が強張って言うことを聞かない。  次の言葉を聞きたくないと思ってしまう。次に発するのはきっと終わりを意味する。  背中に冷や汗が伝い、体温が失われていく。  凌駕は至って従容(しょうよう)とした態度で陽菜を抱きしめる。  ———嫌だ、聞きたくない……。  ぎゅっと目を閉じた陽菜の耳許で、凌駕は囁くように言った。 「病院、一緒に行こう」  頭の先からハンマーで殴られたような衝撃が走り、体がバラバラに崩れ落ちていく感覚に見舞われた。  あの時『番を解消をしてください』と言ったのを後悔しても遅い。  側にいると言ったのだって、凌駕の傷が癒えるまでという期限付きの条件の元だ。  想像以上に、この時が来るのが早すぎただけなのだ。  部屋のあちこちで存在感を放っていた、誠の私物を処分した。それは凌駕が誠への気持ちを絶った以外に意味するものはない。  これで良かったのだ。陽菜は番解消の手術を受け、それぞれの生活へと戻っていく。万事解決ではないか。  なのに渦巻く感情を抑えきれない。凌駕に惹かれ、心を奪われてしまった。彼の匂いが身体中に満ちている。———離れたくない———頭の中ではっきりと言ってしまった言葉が、口を衝いて飛び出してしまいそうだった。  しかし今更「やっぱりもっと一緒にいたい」なんて言えるはずもなく、陽菜は凌駕に包まれて声を押し殺して泣いた。  凌駕は何も聞かず、陽菜が泣き疲れて眠るまで優しく背中を撫でてくれた。

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