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第17話 黒川の気遣い①

 病院については金曜日で大丈夫ですと、凌駕に返信しておいた。  主治医とも連絡がつき、アルファを連れて来るなら隔離病棟へ来てくれとのことだった。  それも全てメッセージで伝えると、一言『了解』とだけ返って来た。  素っ気ない返事は、陽菜を現実の世界へと引き戻そうとしているように感じる。  気分が落ちてしまいそうなので、スマホをポケットにしまった。  凌駕の存在は忘れようとすればするほど膨張する。なので無理に排除しようと試みるのは諦めた。それよりも仕事で失敗しないよう、細心の注意を払わなければならない。いつも以上に明るく振る舞う陽菜に、高槻が違和感を覚えるかもしれないと懸念していたが、それは杞憂に終わった。 「今日は元気いっぱいだな、陽菜! お昼ご飯までに、いっぱいお腹を空かせる作戦だな?」  冗談を言いながらも、自分も負けじと仕事に打ち込む。  高槻がただ明るくて優しいだけの人なら、こんなにも懐いていなかっただろうし、陽菜自身も成長出来ていなかったと思う。  やる時はやる。後輩に憧れてもらえる背中を見せる。それがモットーの高槻だからこそ、この人の許で頑張りたいと思えるのだ。  いつもに増してやる気に漲った二人は、定時には今日の仕事をしっかりと完了させていた。 「陽菜鳥、今日は夜も一緒に食べない?」  お昼ご飯に、最近見つけたという定食屋に連れて行ってくれた高槻から、夕食も奢ると声をかけられた。  高槻とならどれだけ長時間一緒にいても苦にならない。しかし今日に限っては、朝の黒川の誘いが本気なのかどうか悩ましくて、返事に困ってしまう。 「確認したいことがあるので、ちょっと待ってください」とスマホを取り出し黒川に連絡をしようとすると、丁度のタイミングで電話がかかってきた。 『陽菜ちゃん、仕事終わった?』 「お疲れ様です、今終わりました」 『じゃあ駐車場まで来られる?』 「承知しました。直ぐに向かいます」  高槻に疑われないよう、事務的に返事をする。 「今日は予定があるのでまた、別日でいいですか」と言うと、特に混み入って聞かれることもなく高槻とはここで別れた。  駐車場へ急ぐと、黒川は既に待っていてくれた。 「陽菜ちゃ〜ん、今日は朝から距離を感じて寂しいんだけど」  陽菜の肩を抱き、頭に頬を擦り寄せる。黒川の飼い犬にでもなった気分だ。 「さっきは営業部の先輩といたので。相手が黒川さんだとバレても困りますし、怪しまれないように対応しただけです」 「俺は陽菜ちゃんとの関係がバレてもいいけどね」 「揶揄わないでください。怒りますよ」 「え、怒られてみたいかも」  黒川はパッと表情を輝かせて陽菜を見る。怒られたいなんて返されるとは思ってもいない陽菜は唖然としまった。 「……冗談、です」 「なんだ、残念。でも陽菜ちゃんならいつでも怒っていいからね。可愛すぎて襲っちゃうかもだけど。じゃあ出発しよう」  そこまで言っておいて「ごめん、襲うなんて俺が言うとシャレにならないやつだった」言いながら、助手席に座るようエスコートされる。  陽菜はどこか肩透かしを喰らった気持ちになる。黒川が気にかけてくれるのは嬉しいが、今ひとつ掴みどころのない性格ゆえ、彼の話す内容のどこまでが本気なのか、冗談なのか、陽菜がどこまで踏み込んでいいのか測れない。    最初は高槻とよく似ていると思ったが、また少し違う。開けているようでいて、深入りさせない線引きがあると感じる。    黒川にとって陽菜は大勢いる知り合いの一人に過ぎないはずなのに、本当にスーツ一式をプレゼントするつもりなのか、これからどこに向かおうとしているのか何も見当がつかない。  隣で鼻歌を歌っている黒川は、朝と変わらず上機嫌だ。    車で数十分走ると、目の前に一際目を引くブティックがある。 「え、まさか本当にスーツを買いに来たんですか?」鞄を抱きかかえて黒川を見る。 「そうだよ。約束したじゃん。もう、予約してるから。行こうか」 「む、無理ですよ。あんな上品なお店。僕では場違いすぎます」 「大丈夫だって。陽菜ちゃんの可愛い顔ならどこでも通用する」 「いい加減すぎます」  走って帰りたくなる。陽菜が今来てるスーツは、大学を卒業するときに購入した安物の既製品だ。黒川の行きつけの店とは格が違いすぎる。  鼻白み顔面蒼白になっている陽菜を見て、黒川は楽しそうに腕を組んで引きずる要領で連れて行った。 「いらっしゃいませ。……って、翔ちゃんか」 「うん、さっき話してた子、連れてきたよ」 「今日は。私、黒川の幼馴染で御影啓介(みかげけいすけ)と言います。今日はよろしくお願いします」 「東雲陽菜です。よろしくお願いします」 「と言っても、まだスーツは作らせてもらえないんですけどね。修行中の身なので。早速ですが採寸させてくださいね」  もっと年配の厳格そうな人がいると思っていたら、意外にも若い男性で驚いた。同年代のスタッフというだけでも緊張が和らぐ。  それに御影は喋り方も物腰も柔らかく、黒川よりも喋りやすい印象を受けた。    鏡の前に立つと、御影が手際よくメジャーを使い体のあちこちを測ってはカルテに数字を記入していく。黒川は陽菜のサイズを横から覗き見していた。 「陽菜ちゃん、本当に細いよね。よく既製品で見つけたね」 「こら、翔ちゃん。お客様のプライバシーだから見ちゃだめでしょ」 「俺はいいの。陽菜ちゃんの特別だから」 「まぁ、確かに翔ちゃんがスーツをプレゼントするなんて初めてだよね。電話で聞いてびっくりしたもん」 「まぁね」  二人の会話を聞いていると、益々黒川が分からなくなる。でも居心地が悪いわけでもなく、いや、それどころか、ここはかなり居心地がいいと言える。  黒川の奔放さに振り回されながらも嫌悪感を抱かないのは、根底に上品さを持ち合わせているからなのかもしれない。それとも幼馴染の御影がいることで、黒川自身もリラックスしているとも考えられる。  どちらにせよ、身構えていたよりも楽しい時間であるのは間違いなかった。

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