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第25話 休日デート①

 朝はゆっくりと支度をしてマンションを出た。凌駕は時間に余裕があるからと、陽菜をマンションまで送り届けてくれた。 「また迎えにくるから、それまでゆっくりすればいい」言いながら、陽菜を引き寄せ頬にキスをする。  頭を撫でながら「行ってきます」にっこりと微笑む。夜とは打って変わってへ彼に「行ってらっしゃい」と辿々しく応え、車を降りる。  凌駕を見送ると自室へ入り、金曜日に着ていたスーツのままベッドにダイブした。   「はぁ……夢みたいだ」  一人になった途端、魔法が解けて現実世界に帰ってきたような感覚に囚われる。  確かに凌駕のマンションは異空間だと言われると納得するほど豪華……というより、インテリアなどはどれもシンプルなデザインと落ち着いた色味であるが、だからこそ質の高さが際立っている。ガラストップのテーブルも、無垢の床も、照明に至るまで拘りとセンスの良さが光っていた。  それに引き換え、1Kの自宅マンションは陽菜そのものを表している。地味な無地のカーテンも、ホームセンターで買い揃えた家具も、年季の入った食器や衣類も、どれを見ても現実味を感じる。  この差に愕然としそうだが、やはりリラックスできるのは自宅だから自分は生粋の庶民なのだ。  手の届くような相手ではないからと凌駕への気持ちを自制してきたが、もう気持ちを誤魔化すのは無理だった。 「……凌駕さん」———好きです。  一人でいるのに声に出すのは憚れる。  それでも自分の気持ちを認めてしまえば、心から溢れる感情でいっぱいになる。  さっき別れたばかりなのにもう会いたい。  ここは凌駕の匂いがしない。何か私物を借りておけば良かったと思ったが、ほんの数時間離れるだけなのに執着しすぎと思われそうだ。  番になったのだから、少しくらいの我儘も許してくれそうな気はするけれど……。  目を閉じると瞼の裏で凌駕の整った顔が映る。 「陽菜」番証明をしてくれた時から、名前で呼んでくれたのが嬉しかった。 「凌駕さん」と呼ぶのはまだ気恥ずかしい。名前で呼ぶのが当たり前になる日が来るのは、今のところ想像もできない。  一方的な別れを押し付けても、親しみを込めて名前を呼んでもらえる誠を羨ましいと思っていた。名前と名字では天と地ほどの差があるは陽菜自身が身に染みている。たったこれだけの進歩が大きな一歩だと思えるくらい、特別だった  凌駕が陽菜にとって特別な存在であると示すためにも、名前呼びは重要ポイントだと自分に言い聞かせた。    仰向けに寝転び、今度は天井を見詰める。 「凌駕さん……」名前で呼ぶ練習をしようかと試みたが、声に出すほど会いたくなってしまい直ぐにやめてしまった。  ベッドからはみ出た足をぶらぶらさせながら、病院から今朝までを振り返って過ごした。  番証明書は基本、提出した病院で保管される。破棄されない限り二人の番関係は守られる。 「こうでもしないと陽菜は安心できない」と言った凌駕は正しい。紙切一枚の威力は凄まじい効力がある。いくら凌駕が好きと言ってくれたとしても、番証明書にサインをしてくれていなければ、きっと心底信じるのは無理だったと断言できる。  逃げてばかりいた陽菜を、それでも離さないでいてくれた凌駕には頭が上がらない。  凌駕の部屋に持ち運ぶ荷物を準備しないといけないのに、考え事をしているうちに気が抜けて、一気に疲労が押し寄せてきた。仕事が忙しかった上、このところは感情の浮き沈みが激しかった。その上、昨日は一晩中セックスに溺れた。体力的にも精神的にも限界を超えている。ぷつりと思考が止まったのも気付かないくらい深い眠りについた。 「わっ!! 今、何時!?」  爆睡してしまった。飛び起きると、凌駕が仕事を終える予定時刻を五分ほど過ぎていた。 「やばい。何も準備してないじゃないか」  慌ててスマホを確認すると、幸いまだ凌駕からの連絡はない。  しかし陽菜は着替えてもいなければ、寝起きの髪には寝癖がしっかりとついている。  準備を整えてスーツを近所のクリーニングに出しておこうとまで計画していたのに、何一つ出来ていない。  あたふたしているうちに、凌駕からの電話が鳴ってしまった。 「先輩、お疲れ様です。……いえ、急に着信音が鳴ったからびっくりしただけです。お気を付けくださいね。……はい、待っています」  電話を切るとクローゼットの扉を勢いよく開けた。  会社を出て、ここまで車ならどのくらいかかるだろうか。以前、一度送ってもらったとはいえ深夜だったし出発した場所も違う。普段、電車通勤の陽菜には車移動の基準が分からなかった。 「とにかく急いで服を着替えて、カバンは……どうしよう、コインランドリー用のしか大きなのがない」  それも、凌駕に見られたくないくらい使い込んでいる。スーツケースだと大袈裟過ぎるか、それでもビニール製のくたびれた袋よりはマシ気がした。  下着類に最低限の普段着と部屋着、元々持っている服が少なくて、思いの外準備はすぐに終わった。  今着ているスーツを脱ぎ、適当な紙袋に詰め込む。着替えを済ませ、髪を梳かし、マンションを飛び出し二軒隣のクリーニング店にスーツを出した。  走って戻ると、まだ凌駕からの着信はなかった。  しかしホッとしてベッドに腰を下ろすと同時にスマホが鳴った。びっくりして飛び上がり、スマホを落としそうになってしまったが、その画面に写し出された名前は『御影啓介』だった。

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