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第29話 溢れるフェロモン①
これまで以上に凌駕からのスキンシップが増えてきた。陽菜がいつ発情期に入ってもいい時期に入っているからだ。
アルファの本能がオメガを求めているのだろうが、凌駕は決して無理矢理ヒートを起こさせようとはしなかった。
「自然に発情期に入るのが、体の負担を考えても最善だろう。それに、俺だけにしか陽菜の匂いは届かない。発情期に入れば陽菜のフェロモンを堪能できる」
そう言いながらも発情期を陽菜よりも待ち侘びている凌駕は、ソファーに座っている時も、一緒に料理をしている時も、度々陽菜の首元に鼻を擦り寄せる。
これは何日もセックスを我慢しているのも原因している。
「今、陽菜を抱けば俺はアルファのフェロモンを解放してしまう。発情期は陽菜の体力も限界を超えるだろうし、今はしっかりと体を労った方がいい」
自分に言い聞かせるように、毎日同じ台詞を口にする。煩悩を掻き消すためか、ジムに通う回数も格段に増えた。
しかし性欲を我慢しているのは凌駕だけではない。これまでは一週間のうち三〜四日は抱かれていたので、陽菜も些細な刺激に敏感になっている。
凌駕から触れられる度、匂いを嗅がれる度、このまま押し倒してくれないかと期待してしまう。
凌駕が我慢してくれているのに一人で慰めるわけにもいかず、悶々とした日々を送っていた。
いっそ早く発情期に入ればいいのにと思う時もあるが、そう都合良くもいかないからもどかしい。
(とはいえ、実際仕事はもう少し片付けておきたいし。僕のオメガ性は今も会社には秘密のままだし。問題は山積みなんだよな)
陽菜がオメガであるとは、今回の発情期を機に会社に打ち明けようと話している。凌駕に付き添ってもらうなら、そうする他ない。ギリギリまで隠してもらっているのは陽菜の希望だからだ。高槻たちに話すには何かキッカケが欲しい。それに、高槻や長谷川からしても突然陽菜のバース性を打ち明けられてもどんな反応をするのが正解なのか困ってしまうと思うのだ。
自然に、さり気なく伝えられる良い手段はないかと頭を悩ませている。
今は凌駕の意向もあり抑制剤は弱いものしか服用していないし、発情期中はいつも通り薬の服用は止める。初めてアルファと過ごす発情期、ヒートの症状がどう出るかまでは予測不可能だ。
抑制剤を服用していても凌駕の強いアルファ性には敵わない。その上、二人の相性は良い。
薬が完全に抜ければ、陽菜のヒートは症状が加速する可能性の方が高い。それでも心も本能も凌駕しか求めないだろうし、凌駕もそれに応えてくれるはずだ。
発情期が始まる前から満たされたくてたまらない。早く二人きりで過ごしたくて発情期が待ち遠しい。
♦︎♢♦︎
「陽菜鳥〜、午後から外回りだけど俺一人で行こうか?」昼間際になり、営業部で高槻に声をかけられた。
「急に、どうしてですか?」
「だって陽菜の顔赤いじゃん。また体調崩してるのに無茶してるじゃないの?」
「体調は崩してないですし、大丈夫ですよ」
「本当かなぁ?」
高槻は陽菜の額に手を当てる。ヒートでも起こさない限り、体温もそこまで急上昇しないので勿論熱はない。高槻は気のせいかと頭を傾げた。
高槻は陽菜が立て続けに会社を休んでからというもの、敏感に些細な異変に気付くようになっていた。確かにほのかに体に熱が籠っているは事実なので、今夜辺りには発情期に入りそうだと陽菜は思った。
このタイミングで高槻に打ち開けるべきだったのに、言葉が詰まって言い出せなかった。高槻がオメガに対して偏見があるとは思っていない。取引先にオメガがいないわけでもないし、どちらかといえば理解のある人だ。それでも入社して二年もベータと偽ってきた陽菜が、今になって『実はオメガ』だと打ち明ければ、騙していたと言われるのではないかと不安が先に立ってしまうのだ。
「高槻さん、ついでにランチに行きましょう」
言わなくちゃいけないという気持ちを押し込み、話題を変えたくて陽菜から食事に誘う。高槻は二つ返事で快諾し、営業部を後にした。
上機嫌の高槻がそれほど目立っているのか、妙に周りから視線を向けられているように感じる。別に高槻の様子も普段と変わらないと思っていたが、陽菜が気になるほどの視線だったので思わず高槻のスーツの裾を引っ張った。
「高槻さん、やけに見られてませんか?」
ヒソヒソと耳打ちすると、高槻も周りからの視線を感じていたようだ。
「でも……俺じゃなくて、陽菜鳥を見てるような気がするんだけど……」
高槻がそこまで言った時、前方に吸い寄せられるように視線を上げると、一人の男性社員と目が合った。
(アルファだ)
瞬時に全身が危機感を覚え、ゾクリと全身が粟立つ。
陽菜を捉えたその双眸は、明らかに興奮していた。
「なん……で」
言葉を詰まらせた瞬間、その男は高槻を突き飛ばし陽菜の目の前に立ち塞がっていた。酷く呼吸が荒く肩で息をしている。額から汗が流れ、焦点が合っているのかいないのか、混濁した眸で陽菜を見下ろしていた。行動は早かった。
「んっ!?」息を呑むと同時に、涎の滴る唇を押し当てられる。
何が起こっているのか理解が追いつかない。
両腕を強く鷲掴みにされ、勢いを付けてその場に押し倒された。思い切り腰や頭をぶつけたが、興奮した男は一層呼吸を荒らげ、陽菜のスーツを脱がそうとネクタイに手をかける。
「おいっ、やめろ!! 会社で何をやってんだ!!」
高槻の怒鳴り声が響いた。しかし引き剥がそうと男の腕を掴んだか、掴む寸前かに高槻は再び勢いをつけて弾き飛ばされた。壁に体を強打し、低く唸った高槻だったが、目の前で犯されている陽菜をどうにか引き摺り出そうと手を伸ばす。
「陽菜っ!!」叫ぶと同時に男が叫んだ。
「このオメガは俺のものだ!!」凄い剣幕で高槻を威嚇する。
男の迫力に、高槻は怯んで身を反らせた。
一階ロビーにほど近い場所で、あろう事か昼休憩に向かう人でごった返していた。
陽菜の周りには何事かと野次馬が集まり始める。
突然の出来事に誰も状況が理解できないでいるが、それはベータだけだ。アルファは陽菜のフェロモンに当てられ、自分も当事者にならないよう必死に耐えている。中には抑制剤の注射を自らの太ももに刺す人もいた。
「オメガだ。オメガがヒートを起こしている」
野次馬の中から声がし、辺りは騒然となっていった。
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