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第30話 溢れるフェロモン②

 アルファに組み敷かれ悶えている陽菜は、明らかに様子がおかしいと高槻も気付いてはいる。しかし、この男が陽菜をオメガだと言ったことに戸惑いを隠せず刹那躊躇った。  『陽菜がオメガ』の意味を、混乱する中で理解するのは無理がある。 「何が、どうなって……陽菜がオメガ? ヒート? どういうこと……」  男は高槻の隙をついて陽菜を近くの部屋へと引き摺り込んだ。完全に我を失っている。  (何故、何故他のアルファにフェロモンが……)  惑乱する意識で、陽菜の中でこの疑問だけが渦を巻く。  陽菜には番がいて、頸に凌駕から噛まれた噛み痕がある。番の証明書だってある。なのに居合わせたアルファに襲われた。    男がドアを閉めようとした既のところで、高槻が足を突っ込み阻止した。 「陽菜を離せ!! 冷静になれ!! 会社で問題を起こせばどうなるか考えろ!!」 「五月蝿い、どけっ!!」  男は食い下がろうとしない高槻の胸ぐらを掴む。 「たかつき……さ……」 「陽菜、逃げろ」男を取り押さえながら叫ぶが、体に力が入らない。シャツは破かれ、上肢が露わになっている。孔からはオメガの液が溢れ、スラックスを濡らしていた。こんな状態では逃げる場所なんてない。床にへたり込んだまま後退りをするが、獣化した男から逃れられるわけもなく壁際まで追い詰められた。  (あぁ、もうダメだ)  抵抗もできない。体格も力も全然違う。男の向こう側で倒れた高槻の姿がぼんやりと見えた。 「高槻くん!」  人ごみを掻き分け、高槻の名前を呼ぶ女の声がした。長谷川だった。  高槻に走り寄りこちらに顔を向けた。 「……東雲?」呟き、顔色を失った。ここにいるのが陽菜だとは想像もしていなかったと、表情から伝わってくる。  そりゃそうである。陽菜をベータだと思い込んでいるのは、何も高槻や長谷川だけではない。  しかし陽菜のフェロモンが届かずとも、状況を見ればアルファが欲情して襲っているのは一目瞭然だった。 「陽菜が、オメガだって……」 「そんな……今まで一度も……」 「突然襲われた。力尽くでも敵わない」体のあちこちを強打し、口の中を切っているのか喋りにくそうに高槻から長谷川に説明する。  長谷川はくっと喉を鳴らし、立ち上がった。 「私……望月先輩を呼んでくる。あんたは敵わなくてもなんでもあの男を止めなさい」  長谷川は焼肉の一件で凌駕と陽菜に関係があるのを悟っていたようだ。この男を止められるのは凌駕しかいないと判断した長谷川は走り去った。    その間にも陽菜は男から体を貪られる。分厚い舌が鎖骨や胸を舐め取っていく。  怖い、気持ち悪い、凌駕とは全く違う。 「やめ……」 「体は悦んでるけど?」不適な笑みを陽菜に向けると陽菜の下着ごとスラックスを剥ぎ取り、孔に指を差し込んだ。 「あっ、やめて。嫌だ、嫌だ」脚で蹴り飛ばそうとするも、やはり陽菜の力ではどうすることも出来ない。 「こんなに濡らして説得力もない。オメガらしく素直に欲しがれ」  中を容赦なく掻き乱され、卑猥な音が鳴る。陽菜はキツく目を瞑り、顔を背けた。  心とは裏腹にオメガの本能が疼く。アルファを欲している。体の奥から湧き上がるような熱を鎮めるにはアルファの精を体内に放ってもらうしかない。満たされたい一心でオメガはアルファにフェロモンを放つのだ。    何故、ここにいるのは凌駕ではないのか、何故、もっと早くに自分がオメガだと打ち明けなかったのか、何故、自分と凌駕が番じゃないのか、何故、何故。  ショックとヒートで意識が混濁し、さっきまで聞こえていた高槻の呼びかけも聞こえなくなった。  男は何度も高槻を突き飛ばしているらしく、度々陽菜の孔から乱暴に指が引き抜かれは、また突っ込まれる。    男の背後で折りたたみ椅子がガシャンと大きな音を立てて崩れた。高槻が動かなくなった。  陽菜はその内、痛みも感じなくなり全てを諦めた。  陽菜が脱力したのを見極めた男は自分の下肢を最低限晒し、怒張した先端を陽菜の孔に宛てがった。ズブズブと肉胴が抉られる。  会社で襲われたのは二回目だな、なんて凌駕との出会いを思い返す。あの時も確かに襲われたが、何故か黒川も凌駕も嫌だとは感じなかった。これが相性というやつなのか。腰を揺られながら、自分の体を切り刻まれているようだ。それでもオメガはアルファには敵わない。好き放題体を(まさぐ)られ、アルファの欲のまま(もてあそ)ばれる。もしここで頸を噛まれれば、この男と番になってしまうと思うと、悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。  男の律動は苛烈を極める。陽菜をうつ伏せにし、最奥まで何度も腰を打ちつけてくる。  (嫌だ。噛まれるのだけは嫌だ)  体が拒絶反応を起こし逃げようとするも、腰をがっちりと掴まれてそれすら叶わない。  男が凌駕の噛み痕を舐めとった。  (噛まれる……!!)咄嗟に手を頸に当てたが、呆気なく跳ね除けられた。  凌駕を裏切ってしまった気がして、もう彼とは会えないと唇を噛み締める。  次の瞬間、男から重く鈍い音が聞こえ、ずるりと男根が抜かれた。眸を開けるとさっきまで陽菜を襲っていた男が隣に倒れている。  何がどうなったのか、更に頭が混乱してしまった。 「陽菜」  ふわりと柔らかい布に包まれ、抱き締められた。この温もりを知っている。 「凌駕さ……」 「陽菜、陽菜、すまない。もっと早くに気付いていれば」 「僕、なんで……ヒートが……番……」  訥々と話すが要点をまとめられない。    その隣で男がむっくりと起き上がり、凌駕に襲いかかった。 「翔!! 高槻!! 陽菜をK大総合病院まで送ってくれ。ここに咲坂先生の名刺がある」  凌駕は自分の名刺入れを投げ、黒川に渡した。 「こいつを止められるのは俺しかいない。アルファ性が強いから危険だ。誰も近づけるな」  暴れる男に自分用の抑制剤の注射を取り出し迷わず太ももに刺した。 「取り出すのを忘れていて良かった」陽菜と番になり、もう必要ないと思いながらジャケットのポケットに一本だけ常備していた注射。アルファ性の強い凌駕でも効くほど強い薬だ。 「薬が効くまで数十分。それまで押さえておかなければいけない。もうこの男はラット状態に陥っている。どうか陽菜を頼む」    高槻を助けていた黒川が動けるかと確認する。 「大丈夫です。俺が陽菜を運びます」頭を押さえながらも起き上がった高槻が、よろめきながら陽菜に近付く。陽菜はもう意識の殆どを失っていた。 「車を回してくるから、気を付けて」黒川は走って駐車場に向かった。 「私も手伝う。野次馬は警備員に頼んで散らせたから。もうロビーには誰もいない」  二人がかりで陽菜を抱き上げる。華奢とはいえ力の抜けた成人男性は重い。高槻は最早、気力だけで動いている状態だった。 「東雲、もう大丈夫、大丈夫だからね」  涙ながら長谷川は絶えず呼びかけ、それは自分にも言い聞かせているようだった。  陽菜の意識はそこで途絶えた。

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