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第36話 気まずい面会①

 力なく、ベッドに上体を起こしているだけの陽菜に黒川も高槻も驚き過ぎて入室を躊躇った。 「陽菜……」  高槻に呼ばれたが、虚な眸を向けるので精一杯だった。  会えて嬉しいはずなのに、感情を失った陽菜は二人の存在を黙認するにとどまった。  咲坂は仲の良い人と話して気分転換をしろというが、とてもそんな気分になれない。凌駕との接点がなくなり、自分の存在意義さえ失ったと思ってしまう。  せっかく会いに来てくれたのだから、嘘でも笑顔を向けるべきなのだろうが、今の陽菜にはそんな余力も残っていなかった。    黒川と高槻が恐る恐るといった様子で入室する。  緊張を孕む強張った表情のままベッドサイドに二人並んで座ると、黒川が凌駕から預かったというパジャマを手渡してくれた。色違いで着ていたものだ。入院した時に、凌駕のマンションに置いてある陽菜の着替えなどを届けてくれたが、せっかく染み込んでいた凌駕の匂いは、ヒートが酷くて自分の精液や汗で直ぐに消えてしまった。  今回は大切にしたい。無言で受け取り、凌駕の匂いがするパジャマを抱きしめる。それだけで身体が喜んでじんわりと体温を取り戻していく感覚を覚えた。 「陽菜ちゃん、退院まではまだかかるんだって?」黒川に訊かれる。陽菜は頷き、リハビリをしないと歩けない旨を、掠れた声でゆっくり時間をかけて説明した。  黒川は「そっか」と柔らかく目を細める。 「焦らないで、陽菜ちゃんのペースでね」 「ありがとう……ございます」  黒川たちが咲坂から診断結果の説明を受けたかは聞けない。  黒川も高槻も、その話題には触れなかったが、きっと診断結果を聞いたから避けてくれているのだろう。  会社がどうなっているのかも気になるが、それについても陽菜から聞かない限り言わないつもりなのか、どちらからも言い出さない。 「発情期、お疲れ様」とか、「少しは食欲出た?」とか、陽菜の体調を労うばかりだ。 「後でスウィーツでも買ってくるよ」  高槻の言葉に陽菜はゆっくりと頷く。微笑んだつもりだが、上手く出来ているかは分からない。  沈黙の時間の方が長かった。  何か話題を見つけては話かけてくれるが、陽菜は期待されているようには答えられない。  ただ今日は、凌駕の匂いがするだけでストレスが軽減されていると感じる。ベッドに体を預け、パジャマに頬擦りをする。  黒川はそんな陽菜の様子を見て、少しくらいは安堵して、ふっと息を吐いた。 「俺たちに構わず、眠くなったら寝ていいからね。今日は陽菜ちゃんと過ごすって決めたから、俺らもゆっくりしていくし」 「そうだよ、陽菜。早く会いたくて、発情期が明けるのを心待ちにしてた。とにかく今日は陽菜の顔が見られただけでも安心してる」 「……僕も……会いたかっ……た」  なんとかお礼と共に伝えられた。高槻は感極まって腕で目を擦り、「お礼なんか言うなよ」潤んだ眸で笑って見せる。  言葉にはならないが、二人がいてくれるだけで殺伐とした心の棘が丸くなった気がする。  咲坂が一人になるなと言ったわけがやっと分かった気がした。信頼している人が付き添ってくれるだけで、こんなにも安心できるものなのか。陽菜は少しずつ自分の呼吸が深くなっていくのを感じた。  陽菜は凌駕の匂いを嗅ぎながら寝たり起きたりを繰り返す。  黒川たちも病室で穏やかに過ごしてくれている。眠った陽菜の髪を撫でたり、持ってきた追加の服を、汚れが取れなくなってしまった服と取り替えたりしてくれた。  何度か寝落ちをした後、陽菜が目を覚ますと病室には黒川しかいなかった。 「高槻くん、近くのケーキ屋さんまで行ってる」 「そう……ですか」 「車出すよって言ったんだけど、陽菜ちゃんの近くにいてあげてくださいだって。彼、本当に陽菜ちゃんが大切なんだね」  陽菜は頷く。高槻は誰よりも陽菜を想ってくれていた。車内で高槻から謝られたのが忘れられないでいる。  高槻はいつだって全力で陽菜を守ってくれていた。今回も怪我をしてまで助けようと奮起してくれた。それに対して自分は何も返せていない。  きっと今でも高槻は責任を感じている。陽菜はそう思って欲しくはなかった。 「高槻さんには……いつも感謝、して、います」  体力的に弱っていて喋るのも辛いが、高槻への気持ちを黒川に伝えたかった。  黒川は頷くと、そっと陽菜の手を握る。 「あのさ、陽菜ちゃん……」意を決して話し始めた。  高槻が席を外し、二人きりのタイミングを測っていたのかもしれない。 「今の陽菜ちゃんに話すべきじゃないと思うんだけど、凌駕のこと、気になるでしょ?」  凌駕の名前に素早く反応する。黒川をじっと見詰め、些細なことでも教えてほしいと視線で訴えた。   「陽菜ちゃんがオメガだって会社に知られて、結構な騒動になってね。人事に陽菜ちゃんのデータを求めて、ベータだって偽って入社したのもバレちゃった。それで、凌駕は自ら陽菜ちゃんの番だと名乗り出たんだけど、余計に混乱した重役たちが『そもそも何故オメガだと知ってて隠していたんだ』って責め始めてね。凌駕も今回の発情期で打ち明けようと話し合っていたって伝えたんだけど、陽菜を襲ったアルファが……ちょっと相手が悪かったっていうか……」  黒川がそこで口を濁した。  陽菜は視線を逸らさず次の言葉を待った。

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