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第37話 気まずい面会②

「あのアルファの社員、白瀬隆臣っていうんだけど、実は白瀬専務の甥っ子だったんだよね。俺もたまに名前は耳にしてたんだけど、本人には会ったことなくて。かなり素行が悪いって噂は知ってたんだ。でも何をしても専務が揉み消してて、本人は反省する様子もない。むしろ、オメガを襲わせたのは誰かの陰謀だとか、名誉を傷つけられたとか言ってて。陽菜ちゃんを解雇にするって話しが進んでしまった。でも……」  黒川の説明に真剣に耳を傾ける。  あの時、他にもアルファは集まっていたが、誰もが自身で携帯している抑制剤の注射を打つなどして対処していた。本能のまま動いたのは、白瀬だけだった。それでも『オメガがフェロモンを放ったのが悪い』というのは、悲しいが世間ではまだ通用してしまう言い訳だ。だから白瀬は構わず陽菜を襲ったというわけか。本能に抗いもせず、遊び感覚で。  とても専務の身内とは思えない。しかし白瀬専務の評価は社内でも高く、温厚な印象を持っていた。実は違ったのか、それとも手の付けられない甥を手元に置いているだけなのか。  平社員の陽菜には到底知りようもないが、黒川の話しの続きで白瀬が個人的に凌駕を目の敵にしていたと知る。 「若くして本部長まで上り詰めた凌駕を妬んでいた。噂では聞いてたけど、凌駕は相手にしていなかった。でも白瀬は凌駕の立ち位置を前々から狙っていたらしい。今回の事件で凌駕の番だと知った途端、態度が一変した。どうも番を約束しているが、まだそうなってはいないと勘違いをしている様子だった。白瀬は陽菜ちゃんの解雇を避けたいなら、陽菜ちゃんを自分の番にさせろと言い出した」 「そんなっ……」 「勿論、だたの嫌がらせ。最初は身も知らないオメガの番にさせられるところだったって、言い張ってたみたいだし。でも凌駕の番ともなれば話は別。白瀬はどんな手を使っても凌駕を追い詰めたいし、立場が逆転したこの好機を逃すはずはない。陽菜ちゃんを差し出すか、凌駕が責任を背負えと交渉してきた」 「酷い……凌駕さんは、何も悪くないのに」 「誰からも評価されてる凌駕が気に入らないんだよ。専務だって凌駕には絶対的な信頼を寄せてるし。そもそもの発端は、専務が凌駕を褒めちぎってるのを聞いたからみたいだしね」  要するに、白瀬専務もこの甥っ子に手を焼いているのかと陽菜は思った。 「凌駕は陽菜ちゃんに手を出されないために、『全ての責任は自分にあるから、処罰は自分だけにして欲しい』って願い出たんだ。重役も一先ず白瀬の怒りを鎮めるためもあって、結論が出るまでの一週間の間、凌駕に自宅待機を要請した」  陽菜がオメガであるのを隠して欲しいと言ったのを、後悔しても遅い。信頼している高槻にさえ告白出来ず、全ての責任を凌駕に押し付けるなどあってはならない。けれど陽菜は凌駕が自宅待機をしている間は発情期に魘されいる真っ只中だった。  しかし陽菜は黒川の説明の中に一点違和感を感じていた。白瀬はまだ凌駕と陽菜は番にはなってないと勘違いをしているようだと。陽菜のフェロモンが凌駕以外のアルファ全員に届いたから、白瀬は番になっていないと勘違いするのは当然だ。陽菜がオメガと知らなかった高槻も同様だろう。  凌駕はまだこの時点では診断結果を知らなかったのは頷ける。咲坂から番の相手である凌駕に連絡を入れたのは、自宅待機になってからかもしれない。  今日、診断結果に関して話題にしないのは陽菜を気遣ってのことかと思っていたが、咲坂は知人にまで自分の口から説明するのを避けたのか。彼なら有り得る。 「黒川さん、僕……凌駕さんとの番が無効化されていました」 「っ!? なん……で……どういうこと……」  やはり知らない。  個人情報になるから当たり前か、でも咲坂のことだから、陽菜の落ち込みようを見て、自己判断で勝手に話すものでもないと感じているのは確かだろう。  陽菜は咲坂から説明された全てを黒川にも話した。 「それで、白瀬に匂いが」 「噛み痕も、数ヶ月もすれば消えるみたいです」  黒川のことだから、また次の機会に番になればいいと言ってくれると期待していた。  でも凌駕には予想できない処罰が下されていたのだった。   「陽菜ちゃん。凌駕ね、九州支所に飛ばされたんだ」 「え……いつ……?」 「実はもう、引っ越してる。白瀬がそうしないと陽菜ちゃんを訴えるって言い出して……。ベータと偽って入社して、会社でフェロモンを撒き散らしてアルファの社員を誑かした。きっとこのオメガの社員は最初からアルファを狙うために入社したんだろうって。もしかすると事件をわざと起こしてアルファに慰謝料でも欲求しようとしてた可能性もあるって暴れ出したみたいで。もし凌駕と陽菜ちゃんを引き離すのならば、今回の件は目を瞑ると言った。で、凌駕はそれに応じた」 「そんな意見が曲がり通るんですか」 「悲しいけどね。でも会社にとっては凌駕の方が大事だし、白瀬もそろそろ愛想尽かされるとは思うけど。とりあえず、会社がその意見を承諾したのは凌駕を守るためでもあるんじゃないかな。期間は三年。その間に、これ以上白瀬が調子に乗るようなら専務も容赦しないだろうね」 「……三年」  絶句してしまった。  本当に、相手が悪かったとしか言いようがない。  白瀬は陽菜の存在など知らなかったし、まさか凌駕を妬んでいる人がいるのも初めて知った。 「それで、陽菜ちゃんなんだけど」黒川は陽菜に話を向けた。 「営業部では居づらいだろうって話になってね。高槻くんは自分が全力でサポートしますって説得してくれたんだけど、在宅も可能な俺のところが安心じゃないかってことで纏まったんだ。それだと凌駕も安心だしさ」 「解雇じゃないんですか」 「そんなの凌駕が絶対にさせない。自分が帰ってくるまで、待ってて欲しいって伝言頼まれてる」  ドアの向こうでガタンと音がした。高槻が帰ってきたようだ。しかし手には何も持っていない。 「あ、あのさ……人気店で、ケーキ……残ってなくて……それで……」  泣き腫らした眸を見れば、病室で居た堪れなくなって退室したと読み取れる。真っ赤になった瞼は誤魔化しきれないほどだ。  きっと人目の届かない場所で、気持ちを落ち着かせていたのだろう。  陽菜と黒川が微笑むと、唇を震わせ不甲斐なさを謝罪した。 「陽菜、ごめん。ごめんな」  本当に、どこまでも優しい人だ。高槻はフラフラした足取りで陽菜に近寄る。 「僕の方が、ごめんなさい。もっと、一緒に仕事がしたかったです」  抱きしめ合って一緒に泣いた。  高槻の優しさも、凌駕の決断も、黒川の気遣いも、全て感謝しかない。  黒川と高槻はいつでも面会できると許可をもらったから、時間を見つけては通うと言って帰って行った。    二人と話せて良かった。  でも退院しても凌駕には会えない。帰り際に黒川から「退院したら、凌駕のマンションで住んでて欲しいって」と伝えられた。  陽菜に連絡を取ろうしたが、繋がらなかったと話していたようだ。そういえばスマホを見る余裕がなかった。  二人が帰ったあと、カバンから取り出してみたが充電が切れていた。モバイルバッテリーも持っていない。 「ついてないな……」ため息を零す。  独りぼっちになった病室は、差し込む夕日も暗くなりかけている。  人肌恋しくて、凌駕のパジャマに顔を埋めた。  

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