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第45話 元恋人の存在②

 在宅の一週間、凌駕にメッセージを送っていたが、既読になるのも陽菜が眠りについた後だった。寝落ちをしているのか、返事がくる回数も疎らだ。  体調を心配しても陽菜は何もできない。やはり離れているのは苦しいことの方が多いと実感する度、寂しくなってしまう。  在宅で完全に一人の時間が長いため、余計に気分が沈んでしまう。会社に行ける明日が待ち遠しいと思ってしまう。  悪阻がないとはいえ、常に眠気が払えずぼんやりとしてしまう。  黒川はやはり今週も在宅にした方がいいと、啓介に見せる過保護ぶりを陽菜にも発揮する。 「大丈夫です。家でできることって限られてますし、僕はやっぱり出社する方が性に合ってると思います」 「でも陽菜ちゃんに何かあったら凌駕になんて説明するか……」 「大丈夫ですよ。何もないように自分でも気をつけますので」  説得してなんとか早退は免れた。  そんな矢先、会社から出たところで見知らぬ男性から声をかけられた。黒川と別れ、陽菜が一人になるタイミングを伺っていたようだ。見た目には陽菜よりも若く、きっとこの人もオメガだろうと何となく肌で感じた。 「あなた、凌くんの新しい番なの?」  可愛らしい見た目に反し、鋭く突き刺さるような口調でいきなり詰問される。『凌くん』とは、凌駕のことを言っているのだろう。陽菜はこの人が誰なのか一言で理解できた。 「言い訳とか説明とか要らないから、ぼくの質問にだけ答えて」  捲し立てるように早口でしゃべる。しかしこれから間もなく他の社員が大勢会社から出てくる。これ以上目立つ行為はしたくないが、カフェに入って対面するのも憚られた。  目立たない場所に移動して欲しいと伝えると、意外にも素直に従ってくれた。   「あの、失礼ですが、貴方はどなたでしょうか」  予想はついていても一応確認する。目の前の男性は強気な態度を崩さす「永瀬誠。凌くんの番だった。今は過去形だけど、また進行形に戻る予定なんだ」自信たっぷりに胸を張る。 「進行形……とは?」 「そのままの意味だよ、分からない? また恋人に戻るってこと!!」  誠は凌駕の番だった大学生だ。陽菜も世間的には若い部類に入るが、それでも現役大学生を目の前にすると(今時だな)と関心してしまう。  誠は、凌駕と陽菜が街で買い物をしているのを偶然見かけたらしい。  運命の番と出会い、幸せになる選択を取ったと思っていたが、実際には凌駕からのエスコートに慣れてしまうと、若い同年代の男は例えアルファでも常に物足りなさが募る。結局は運命よりも凌駕と一緒になるのが正しかったのだと、気付いたのだと雄弁に話す。 「と言うわけで、あなたの出番はもうないから。凌くんのマンションに出入りするの、やめてもらえる?」 「っ!? 僕の後を付けていたの?」 「そりゃ偵察くらいするでしょ。邪魔者の情報も少しは集めないとね」 「なぜそこまでする必要があるの?」 「ぼくね、この会社に内定もらえたんだ。あ、だから凌くんと仲直りしたいって思ったんじゃないからね。まぁ、社内恋愛っていうのも憧れるけどさ、凌くんへの想いは本物だから」 「本物の想いを一度捨てたんだよね」 「嫌な言い方するね。お兄さん、運命の番と出会ったことないからそんな風に言えるんだよ。あの衝撃は、言葉では言い表せられない」 「その衝撃も簡単に捨てられるんだ」  お互い、ああ言えばこう言う。誠とはどれだけ話しても和解できないと感じる。    早く帰りたい。  誠を情報としてもっと知りたい気はする。しかしこんな短時間でもストレスを感じている。本能が避けろと警戒心を煽る。  誠も陽菜との会話が堂々巡りになるのを予感し、大袈裟にため息を吐いた。 「あなたと話すより、白瀬さんに相談した方が良さそうかも」  うんざりだと言いたげにお手上げポーズをして見せる。  陽菜はその名前を聞いて全身が凍りついたように動けなくなった。  誠は確かに白瀬の名前を口にした。 「そ……の人とは、どういった関係で?」  声が上擦る。誠は陽菜の様子に益々態度を悪くした。 「あぁ、そうそう。白瀬さんもインターン中に出会ったんだ。彼、叔父様がここの専務だって言ってたかな。インターンが終わってからは連絡とってなかったんだけど、久しぶりに電話してみようかな。貴方と話しているよりも、充実しそうだしね」  誠は白瀬が専務からお咎めを喰らっているのを知らない様子だった。もう後ろ盾などないも同然だということも。それで陽菜に向けて、『お前一人くらい、白瀬を頼ればどうだってしてやれる』と遠回しに脅してきているのだ。  胃がキリキリと痛み出す。これ以上、関わりたくなかった。  この場から逃げ出したい。  誠は勝利を確信し、さらに陽菜に詰め寄った。 「そろそろ丁寧に話すのも飽きてきたんだけど。凌くんと別れてくれるの? くれないの? 答えによっちゃ、ぼくにも考えがあるんだけど」  これ以上、後退りも出来ない。  冷や汗が背中を伝う。しかし誠を瞬時に宥めるのも不可能に近い。その上、人気のない場所に移動してしまった。殆ど通行人もいない、会社のビルの裏側だ。  走って逃げて、もし転びでもすればお腹の子に悪影響が出るかもしれない。  絶体絶命の危機に言葉を失い、どうするべきなのか、目まぐるしく脳だけが猛スピードで回転していた。

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