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第46話 脅し①

 完全に誠のペースに巻き込まれてしまった。手に汗を握っている陽菜とは正反対に、微笑を浮かべる誠。勝利の女神は、完全に誠の見方だ。  但し、誠は凌駕がこの地を離れていることも、白瀬が既に専務から見放されていることも、本当は陽菜は番にはなれなかったことも、何一つ真実を突き止めてはない。そして凌駕に直接連絡を取ったわけではないとも、彼の口振りから理解できた。  もしかすると凌駕は誠の私物を処分したタイミングで、連絡を取れる手段の一切もブロックしたのかもしれない。陽菜を安心させるためだとすれば、凌駕の性格を考えればあり得る話だ。    きっと誠はこれまでに何度か陽菜の後を付け、凌駕のマンションへ出入りしているのだけは確かめたのだろう。しかしそれ以上の情報までは得られなかったと思われた。今日、会社に押しかけたのは賭けもあるような気がする。詰め寄って陽菜が僅かでも情報を漏らせばラッキーで、凌駕との関係を断ち切ると言わせられればもっとラッキー。陽菜さえ凌駕の前から消えれば、また誠の許へと戻ってくると確信しているとも推測できる。  もしも今、陽菜が口を滑らせて凌駕が九州支所にいると言えば、誠はどうするのだろうか。呆然と立ち尽くすか、驚愕してさらに理由を問い詰めるかもしれない。それよりも一番可能性が高いと考えられるのは、凌駕を求めて会いに行くことだ。  それだけはあってはならない。できれば凌駕には、今日誠が会社で待ち伏せしていた事実すら教えたくない。    誠がまだ大学生でよかった。この約五ヶ月ほどの出来事を知られないで済んで良かったと安堵した。しかし、それでこの状況から逃げられるわけではない。このまま何一つの情報も与えず、誠に帰ってもらわなければならない。  陽菜はどんな言葉をかけるべきなのか必死に考えたが、元番と自分が対峙しているこの状況でさえイレギュラーだ。事前準備なんて出来るわけもないし、退院してからは自分の環境を整えるだけで精一杯だった。  じっとりと浴びせられる誠の視線からなんとか目を逸らさずにいるものの、何も言い返せない自分が情けない。 「大人のくせに、会話もできないの? それでどんな手を使って凌くんに取り入ったんだろう。っていうか、もしかして貴方だけが付き合ってるって思い込んでるパターンないよね? 思い込みオメガなんてイタイよ?」 「そんなんじゃ……ありません」  声が震える。穏便に済ませたいが、誠は陽菜を煽る姿勢を崩さない。凌駕のいないところで争っても仕方のないことだと言いたいが、それだと今すぐ凌駕を呼び出せと言い出しかねない。誠の挑発に乗ってはいけない。  陽菜は誤魔化さずに正々堂々と向き合うのが最善だと自分に言い聞かせ、口を開いた。 「永瀬さんには申し訳ありませんが、僕は望月先輩を慕っていて、確実にお付き合いをしています。望月先輩が永瀬さんとの別れを悲しんでいたのも存じておりますが、今ではすっかり吹っ切れていますよ。僕たちの今後は僕と永瀬さんで決めることではありませんので介入して欲しくないです。これ以上、僕からお伝えできる話もありませんので、これで失礼しますね」  商談でもここまで緊張したことはない。口内が乾いて何度も咽せそうになりながら、なんとか言い切った。  かなり強引ではあるのは承知の上だ。誠がこんな言葉で納得などしないとも。  案の定、誠は顔を真っ赤にして大口を開けた。罵声が飛んでくる前に陽菜は誠の脇をすり抜け、歩き始める。 「待ちなよ! 人の話くらい聞けないの!?」 「すみません。体調が良くなくて、帰って休みたいのでこれで失礼します」  顔だけ振り返り軽く会釈をし、今度は振り返らずに駅へと向かう。 「ふざけるな」叫ぶ声は無視した。  陽菜は凌駕のマンションへ向かう電車ではなく、自分のマンションへ向かう電車に乗り込んだ。今、凌駕のマンションへ出入りするのは危険な気がする。  今回は会社だったからまだ良かったが、次はマンションまで押しかけられる可能性もある。  凌駕の不在中に近隣の人への迷惑となるような真似はしたくないし、それこそ他の住人に紛れてマンション内に侵入し、部屋に上がられでもすれば、最悪の事態を迎えてしまう。  電車の空いている席に腰を下ろすと、深く息を吐き出し、水を一口飲み込んだ。まだ心臓が早鐘を打っている。意識的にゆっくりと呼吸を繰り返し、隣の駅に到着する頃ようやく気持ちが落ち着いた。  カバンからスマホを取り出し黒川にメッセージを送る。 『今日は自分のマンションに用事があって、そっちに帰るので、食事の準備は不要です』  既読は直ぐに付き、『了解、また明日ね』と、お疲れ様のスタンプが立て続けに届く。  久しぶりに自分の部屋へ帰ると、換気のために窓を開ける。こっそりと周辺を見渡したが誠の姿は見えなかった。  安心と共にどっと疲労が押し寄せる。  ベッドにどっさりと倒れ込んだ。  凌駕の服に埋もれたいが生憎お守り代わりのハンカチしか持っていない。  鼻に当て、目を閉じる。  誠はこれで諦めてくれるのだろうかと考えてみたが、到底そうなるとは思えない。むしろ本当に白瀬に連絡を取っていそうで怖い。  白瀬とは襲われた日以来、顔を合わせていない。あの時はヒートを起こしていたため、顔立ちすらもぼんやりとしか覚えていない。白瀬はどうだろうか。陽菜の顔を覚えているのだろうか。 「忘れてたらいいのにな」  ポツリと願望を呟いてみたが、これが無謀だったとは翌日直ぐに証明されてしまう。

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