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第47 脅し②
会社のエントランスに入った陽菜は、いきなり背後からアルファの圧をかけられた。
「おい、お前。俺を無視して行くなんて、流石は本部長様を手玉に取ってるだけのことはあるな」
白瀬だ。
わざとドスの利いた低い声で陽菜を脅してきた。やはり、誠は昨日のことを納得していなかった。きっとあの後、白瀬に連絡をしたのだろう。
陽菜を睨む白瀬の表情は活き活きしている。きっと専務からのお咎めを受け、イライラして過ごしてきたはずだ。インターンで声をかけた大学生から連絡が来たと思いきや、自分が襲ったオメガの名前がメッセージに記されていると気付き、これは鬱憤を晴らすチャンスだと思ったに違いない。
白瀬は陽菜の手首を握ると無理矢理ソファーが設置されている方へと引きずって行った。
「離してください」
「五月蝿ぇぇよ!!」
投げ飛ばす勢いでソファに陽菜を座らせ、その隣に白瀬も腰を下ろした。
「お前が臭ぇフェロモンで俺に多大なる迷惑をかけてから一ヶ月以上が経ってるっていうのに、いまだに謝罪の一つもないのは何でだろうなぁ?」
陽菜の肩を抱き、顔を寄せ、逃げられなくされる。
白瀬は凌駕が九州支所へ行く代わりに、これ以上問題を起こさないことを専務から言い渡されているはずだ。しかし今まで好き勝手生きてきた白瀬は、今回もどうせ見逃されると確信していると思われた。なので人目のつくこんな場所でもお構いなしに陽菜を責める。
「誰かさんのせいで俺はクソみたいな部署に飛ばされて、可哀想だとは思わないわけ? 自分の不注意で、未来あるアルファ様の人生をめちゃくちゃにしたっていう自覚はある?」
目を合わせろと言わんばかりに陽菜の頬を大きな手で掴み、自分と向き合わせようとする。
「い、痛いです。離してください……」
「生意気な態度だな。バックに本部長様がいると謝罪もしなくていいなんて、おかしいと思わねぇの?」
白瀬はドスを利かせて威圧する。相手の弱いところに刃を立てるのが愉しくて仕方ない様子だ。それを証拠に、苛立ちを表現するために貧乏ゆすりをして荒い口調で怒鳴っているのに、ローテーブルの上ではピアノ演奏でもしているように指を踊らせている。
陽菜が抵抗しないと判断したらしく、自分の要求を聞けば許してやると言い出した。
それは白瀬を元の総務に戻すよう、凌駕伝いに専務に交渉しろというものだった。
「僕にそんな権限はありません」
「は? お前に断る選択肢なんてねぇだろ」
白瀬を押し除けようとした陽菜の手を再び鷲塚みにした。指先に軽い痺れを感じるほどの痛みが走る。
力で勝てるはずもない。
少しずつ、他の社員が入ってき始めた。誰もが白瀬と陽菜に視線を送る。それでも誰一人として声をかけようとはしなかった。自ら厄介ごとに首を突っ込むなんて真似はしなくて当然だ。
そんな中、「陽菜!!」知っている声が響いた。
「……高槻さん」
高槻は大股で陽菜たちも許へと近付き、白瀬の腕を掴んだ。
「この手を離してください。白瀬さん」
「誰だ、テメェ」
「営業部の高槻です。東雲の元上司です」
「あぁ」白瀬は高槻を睨みあげ、「上司がこれだから部下がこんな礼儀も知らん奴になるわけだ」わざと大声で言う。
「東雲は優秀な営業マンでした。悪く言わないでください」
いつも陽気な高槻が無表情で白瀬に詰め寄る。陽菜でさえ、こんな顔を見るのは初めてだった。
白瀬はさらに興奮し、高槻にまで怒鳴りつけようと口を開いたが、そのタイミングでエントランスに黒川が入ってきた。
黒川は陽菜たちを見るや否や駆け寄った。
「何をしているんだ。白瀬さん。まだ問題を起こすおつもりで?」
白瀬は陽菜に放っていた圧を黒川へと標的を変えた。黒川はベータであるにも関わらず、動じなかった。
「無駄ですよ。その程度の圧は俺には利かない。そんなことよりも、次に問題を起こせば会社ではいられなくなると忘れたわけではないでしょう?」
「問題? これのどこが問題なんだ」
「あなたの言動の全てだ。先ず、その手を離せ」
今度は黒川が白瀬を睨みつける。黒川の顔も高槻同様、冷酷で慈悲を持たない表情であった。
白瀬はゆっくりと陽菜を掴む手の力を抜く。
「この事が専務の耳に入らないとは思わないで頂きたい。俺が白瀬さんを庇う理由など何一つないからね。調子に乗った自分を恨むといい。ただでさえ、自分の我儘で望月を九州に飛ばしたんだ。それがどれほどのことか、いまだに理解できていないなんて精神年齢が幼児以下だな」
白瀬は完全に言葉を失った。ここまで自分を卑下する言葉を面と向かって投げつけられたのは初めてだったようだ。黒川はお構いなしに陽菜を連れ、高槻も一緒にエレベーターへと乗り込んだ。
掴まれていた手首がじんと痛む。
「大丈夫か、陽菜」
「ありがとうございます、高槻さんと黒川さんが来てくれて助かりました」
「何を言われたの?」黒川から訊かれ、謝罪をしろと迫られたこと、凌駕から専務に口利きをしろと頼まれたことを説明した。
二人を盛大にため息を吐き、「このことは忘れていい」と言った。
「もう、あいつは終わりだな」
「そうですね。そのほうが会社のためです」
二人揃って額を手で覆う。
陽菜の入院から急速に仲良くなった二人は仕草まで似てきた。
「陽菜ちゃん、落ち着いたらマンションまで送るよ。今日は会社にいない方がいい」
「陽菜、それがいい。あいつが反省するとは思えないし、安全第一だ」
「はい。お願いします」
四階で高槻が降りていった。
「後日、専務とも話し合うことになるかもしれないけど、専務だって営業部の時の陽菜ちゃんの成績や勤務態度を知ってる。だから今回の事件でも解雇しなかったんだ。専務は陽菜ちゃんの見方だから、安心していいからね」
「はい」
黒川は安心しろと言ったが、陽菜は自分がこの会社にいるのが本当に正解なのか、考え込んでしまった。
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