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第52話 初対面①

 ケーキの箱を落としそうになってしまったが、体ごと支えられた。懐かしい匂いと暖かさが蘇る。細いのに逞しく、そしてガラスを扱うような繊細さで陽菜を包み込んだ。 「陽菜、探したんだ。良かった、見つかって」  顔を覗き込んで微笑むその表情は、嬉しさの影に憂いを秘めていると感じる。  会えなくなって五年と少し経っていたが、記憶のままの姿だった。 「凌駕さん……」  なんだか不思議な感覚だ。いるはずもない人が、今、目の前にいる。 「良かった。忘れられたわけじゃないんだな」 「忘れるだんなんて、そんな」 「急に会いに来て、迷惑でもない?」 「迷惑なんて思いません。でも、どうしてここが?」 「陽菜が引っ越したと黒川が気付いて直ぐに連絡をくれていたんだ。俺が帰るまでにどうにか居場所を突き止めると言ってくれてたんだが、見つからなくて……。最初は実家に帰ったのかと思ったんだが、あまり良い思い出がないと言っていた場所に帰るとも思えなかった。別の会社で働いてもいないし、不動産を手当たり次第当たってみたが、東雲陽菜という名義で借りられている物件は一軒も見つからず……。まさか、母親の名前だとは発想に至らなかったよ」  困り果ててお手上げ状態だったと苦笑する。  誰にも何も言わずに引っ越しをした。二度と凌駕に会えなくても、別々の道を歩んでいても、元気でいてくれればそれでいい。突然姿をくらました人に、いつまでも気を取られているほど暇な人ではない。ましてや探して欲しいなんて思っていなかった。彼に迷惑をかけてばかりのオメガといるよりも、もっと選ぶべき相手がいるはずだ。  なのに凌駕は、陽菜をずっと探していたと言うのか。 「と、とにかく、狭いですけど中へ……」  言おうとした瞬間、いきなり凌駕がぐらりと体勢を崩した。何が起きたのか一瞬分からなかったが「ぅおりゃー!!」と叫ぶ声と、体当たりをする鈍い音が同時に聞こえた気がして、視線を下げた。 「ママをいじめるな!!」 「り、凌桜?」 「ママ、だいじょうぶ? 怖いこと、された?」 「あ、もしかして、ママが意地悪されてると思ったんだ」 「違う?」 「うん、大丈夫だよ。ごめんね、誤解させちゃって」  凌桜にケーキの箱を見せる。 「今朝の占い、当たったね。ケーキ食べられるよ」 「本当に!? やったー!!」 「その前に、ごめんなさいできるかな」  こくりと頷く。  その様子を見ていた凌駕が驚きのあまり固まっている。 「陽菜、待って、その子供は陽菜をママと呼んでいたが……」  凌駕には知られないはずの子供だった。  けれど、こうなってしまえば隠すこともできない。心を決めて立ち上がる。 「あの、この子は……凌駕さんとの子です」  凌駕との再会ですら予想していなかった。緊張して、声が上擦ってしまうのは仕方ない。 「俺との……」 「信じられません……よね」 「いや、むしろ俺以外の子であって欲しくない。それに、子供の頃の自分に似過ぎているのにも驚いているんだ」  今度は凌桜の方がまじまじと凌駕を見ている。  隠れて産んだ子供が、既に五歳だ。ふくふくとした赤ちゃんらしさはどこにも残っておらず、活気に満ち溢れた少年にまで成長を遂げている。  凌駕と凌桜は互いにどこか近しい何かを感じているのか、じっと見詰め合う。 「みんな、こんな所で立ち話しなくても。中に入ってお茶でも飲みましょう」  母が横から割り行って、ようやく三人とも我に返ったのだった。  リビングに移動し、母が全員分のお茶とケーキを準備してくれている間、凌駕に凌桜のことを説明する。 「妊娠が分かったのは凌駕さんが九州へ引っ越した後でした。ちょうどトラブルで連絡が取れなくなった頃で、言い出すタイミングを失ってしまいました。その後……これは黒川さんにも誰にも言っていなかったのですが、誠さんが会社まで来たんです。僕に会いに」 「誠が!?」 「はい。僕たちが買い物をしている姿を見たらしく、僕一人の時に凌駕さんと別れてくれと言いに来ました。白瀬さんが動いたのは誠さんの指示があったからなんです。その誠さんも同じ会社に内定をもらったと聞いて、怖くなりました。もしも妊娠していると知られたら、無傷で済まなくなる可能性だってある。だから僕は誰にも知られないまま身を隠す決断をしました」 「だからって、俺くらいには」 「もう、限界だったんです。周りに迷惑をかけている自覚はあるのに、何もできない自分が。凌駕さんは仕事が落ち着く目処が経っていないし、その前に誠さんは入社してくる。妊娠中も発情期は来るし、その度に他のアルファに襲われる心配をしなくてはならない。そんな環境にいて、とてもこの子を守れるとは思えなかった。例えこの先、凌駕さんと会えなくなったとしても、僕は子供を産んで育てるのを最優先させたいと思いました。凌駕さんと一度は番になれたっていう証は、この子だけだから」  隣に座っている凌桜の肩を抱く。陽菜たちの会話を聞いて、凌桜は目の前に座っている男性がどのような人物なのか、なんとなく察したような気がする。  会えなくなっても良いなんて言われて、凌駕は愛想を尽かせるのではないかと身構えた。陽菜がのうのうと暮らしてきた時間、凌駕はあらゆる手段で見つけ出そうとしてくれていた。その本人から会えなくなっても良かったなんて言葉を聞きたいわけではない。  凌駕は黙って話を聞いてくれた。そして、凌桜を見て「守ってくれていたんだな」と呟いた。

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