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第55話 忘れない記憶

 凌駕が自分家のリビングでくつろいでいるのは違和感しかないと陽菜は感じているが、母と凌桜は瞬く間に凌駕に夢中になって質問責めにしたり、逆に自分たちの話を聞かせたりしている。時折、陽菜から「ちょっと、顔が近すぎるよ」と声掛けをしなければ、興奮した二人は凌駕の睫毛の一本一本まで確認できそうなほど距離を詰めている。  凌桜は既に幼稚園での出来事を言って聞かせているし、母に至っては凌駕の趣味や身長、スキンケア方法など、最早ただのミーハーとしか思えない発言ばかりだ。そして凌駕はその全てに楽しそうに返事をしている。陽菜と凌駕の二人きりでの再会だったなら、絶対にこんな雰囲気にはならなかっただろう。 「陽菜が一番苦しんでる時に傍にいてやれなかったのが悔しいです。妊娠してるとも知らず、本当に情けない恋人でお母様も落胆されたのではありませんか?」 「望月さんに対して呆れたり怒ったりなんて感情はなかったわ。むしろ、陽菜が恋愛した相手がいることに驚いたわね。この子は自分のバース性にコンプレックスを持っていたから、オメガだって打ち明けられる人と出会えたんだって。会社で起きてしまった事件は不運としか言いようがない。誰かが誰かを非難することもできない。それに対して陽菜がどう動くかは、私が命令するべきではないでしょ? 母として出来るのは困った時に力になることしかない。正直言うとね、無理して入った会社を辞めてまで子供を育てたいって言うのも意外だったのよ。お腹が大きくなればオメガだって知られるし、『普通に働きたい』って豪語していた陽菜が大手企業を蹴ってまでシングルママになる道を決意したのも、余程の相手なんだって思ってた。だってこの子ったら、本当に困った時にか親を頼ってもくれないんだから。地元を離れるのだって、相談もなしに決めちゃうし。妙に頑固なところがあるしねぇ」 「それは少し分かりますね」  母の言葉に、凌駕が共感する。 「僕、そんな頑固じゃないよ」と抵抗したが二人から否定された。  凌駕は自分から陽菜への気持ちを母に伝え、陽菜と番になることと、凌桜の父親として、これから一緒に居させてほしいと陽菜と母に頭を下げた。 「私は元から反対なんてする気はないわ。後は二人でじっくり話し合いなさい。さぁ、凌桜ちゃん夕飯の買い物に行きましょう。凌駕さん、食べて行くでしょ? 食べたいものある?」 「良いんですか? じゃあ、和食がいいです。魚料理や煮付けに飢えてて」 「得意料理ばかりだわ」母は凌桜を連れて出て行ってしまった。    急にリビングが静かになる。  さっきまで二人きりになりたいと思っていたのに、いざそうなると久しぶり過ぎて緊張感が増す。 「あ、あの……」何の話をすればいいかも分からず、ただ沈黙が気まずくて声をかけてしまった。  その声とほぼ同時に、凌駕が話し始める。 「俺はずっと陽菜を探していた。翔から陽菜が引っ越してるって連絡が来た時、頭が真っ白になった。陽菜が姿を消した理由も、行きそうな場所も、全く分からない。翔は手当たり次第探すと言って黒川のお父様の不動産仲間にまで声をかけてくれたし、調べられる範囲で陽菜が働く会社を見つけようとした。それでも何一つ情報は得られず、時間だけが過ぎていった。俺は予定より半年早く帰って来られて、その足で咲坂先生を訪ねたが、病院を移動しまってて会えずじまいだった。オメガ専用病棟に入れたら当時からいる看護婦にでも会えたかもしれないが、それも叶わない。俺と翔も会社設立に向けて動き始めたこともあって、動ける時間に限界があった」  話を聞くだけで、どれだけ必死で探してくれていたのかが伝わって来た。  探してくれていたのは凌駕と黒川だけではない。高槻や長谷川、啓介だって陽菜の居場所と安否を心配していたと聞き、心が痛んだ。  陽菜の捜索は難航を極めたが、とある日、ひょんなことから事態は一変する。キッカケは高槻だった。営業中に交通事故に巻き込まれ、搬送された先がK大病院だった。怪我は大したものではなく、ちょっとした治療で済んだのだが、過労の方が酷いと言われ数日の入院を余儀なくされた。そこで偶々話した看護師が元々咲坂の許で働いている人だったのだ。 「東雲陽菜について何か聞いていませんか? どうしても探したいんです」高槻の必死の様子に、本来他人のプライバシーは教えられないと断る看護師もできなかったようだ。陽菜が入院中に足繁く通っていたのも良く覚えていたのもある。「今は斎宮先生にお世話になっていますよ」病院の名前と共に教えて貰えたのだと言う。「詳しくは流石に……」とそれ以上は無理だったが充分な情報だった。高槻はそれを凌駕に伝え、運転免許も持っていない陽菜なら徒歩圏内から一駅以内の距離にいるはずだと絞った。しかしその辺りは既に黒川が調べた地域。そこに来てようやく「陽菜の名前ではないのでは」という発想に辿り着く。会社に戻り、人事データベースから陽菜の履歴書を閲覧。父と母の名前でもう一度探し、今の住所に辿り着いたのだと経緯を全て話してくれた。 「そこまでしてもらっていただなんて……」 「俺だけじゃない。みんな陽菜が好きだからこそ、諦められなかった。俺はこうして今日会えてとても良かった。自分の子供にまで会えたし、俺との子供守るためだったと知れた。しかも子供に俺の名前が入っている」 「どうしても、凌駕さんの一部を受け継がせたかったんです」 「陽菜らしいといえばそうだな。俺の喜ばせ方をよく知っている。凌桜とも仲良くなれて良かった。そういえば。翔と啓介が結婚したんだ。啓介が今妊娠中だ」 「そうなんですか!? おめでとうございます!! あれ、でもベータとオメガで妊娠ですか?」 「それなんだが、翔が性転換(スタディング)したんだ。それで啓介と番になれた」 「奇跡が起きたんですね」 「翔は啓介をずっと好きだったからな。念願叶って本当に良かった。二人とも、陽菜に会いたがってるぞ。スーツも、受け取ってないままだろう?」  そういえば、あの頃黒川が啓介のブティックでスーツを作ってくれていたのだ。自分のことに必死になり過ぎて、気が回らなかった。 「でももう会社勤めをする予定もありませんし。受け取っても……」 「それを口実にしてでも会いたいんだよ。それに、スーツを着る機会はこれから作ればいい。例えば……俺の秘書になるとか」 「凌駕さんの……?」  さっきちらりと言っていた企業を言っているのだろうか。首を傾げていると凌駕は話を続けた。 「前の会社は俺たちも辞めたんだ。一年と少し経つかな。あの会社は社会勉強が目的で働いていた。本当はもう少し会社に貢献しても良かったが、白瀬の一件と、陽菜が退職したのもあるし、白瀬専務も早期定年退職をされてね。もうこの流れで辞めてもいいんじゃないかと話しあったんだ。翔は前からお兄さんの飲食店の一部を任せられていたし。俺も父のマンション経営を任せたいと頼まれていたのもあって、大学生の頃から翔と会社をやろうと話していたから、このタイミングも何かの縁だなって話し合って起業した。で、高槻や長谷川も引き抜いて今は俺たちの許で働いてもらっている」 「高槻さんたちも」 「彼らも優秀だったから欲しいと思っていた。人柄も保証されているしね。他にも何人が引き抜かせてもらったよ。陽菜、みんなに会って元気な姿を見せてやってくれ。じゃないと奴らまでここに押しかけてくる勢いだ」  額に手を当てて苦笑いをする。今日も高槻と黒川は最後まで一緒に行くと言って抑えるのに苦労したそうだ。  なんだかその姿が浮かんでふっと笑ってしまった。 「僕も、会いたいです」 「そうと決まれば、早速連絡してやらないとな。でも、その前に」  凌駕は陽菜を自分の膝に座らせ、腰に腕を回す。

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