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一章・無口な孤高の魔法使いの秘密②
流石にこのままにしておくわけにもいかない。男爵位である彼が伯爵家のガーデンパーティーで眠っていたなどと知れ渡れば、困ることになるのは彼自身だ。
(見つけたのが僕で良かったね)
やはり捻くれたことを考えながら肩に手をおいた瞬間だった。突然覚醒した瞳がルキノの姿を捕らえる。伸ばした腕を節のある男らしくと繊細さの垣間見える長い指で包み込まれた。そのまま腕を引かれて、体勢を崩してしまう。驚きすぎて悲鳴すら出ない。
「えっ、ちょっ!?んブっ!」
思い切りオライオンの胸元に顔面からダイブしたルキノは、痛む鼻を抑えたい気持ちを押し殺し顔を上げた。冷めているようにも見えるブルーグレーの瞳が見下ろしてくる。
あまりにも近い距離に驚いて頬が蒸気してしまう。
「ご、ごめん。でも君がここで眠っていたから、主催としては放っておけなかったっていうか……」
後ろめたいことなどないというのに、言い訳のような言葉を並べてしまう。黙ったままルキノの顔を見つめてくるオライオンと目を合わせることが気まずくなり、結局ルキノから目をそらした。
「て、ていうか、なんでこんな所で寝てるの?」
「……」
「聞いてる……よね?あのさ僕のことわかる?ルキノ・セイン」
長いまつげに縁取られた瞳がゆっくりと瞬きを繰り返し、そのあと彼はなにかを飲み込むように頷く。
「混ざらないの?」
ここは会場から少しだけ離れた位置にある。彼が会場に行けば、もっと賑わうことは間違いない。
けれどオライオンは首を横に振るだけで、動こうとはしなかった。
不思議な人だ。噴水から生じる水飛沫に反射した太陽光が、オライオンの白い肌を艶めかせている。無口な孤高の魔法使いは、見ているだけでルキノの自尊心を刺激してくるから厄介だ。
「……君が羨ましい」
なんでも持っているオライオンに嫉妬していた。レオナルドはいつも『高みを目指せ』とルキノを叱責してくる。魔法学でどれだけ成績を納めようと、基礎魔法すら上手く扱うことのできないルキノを認めてはくれない。高みとは正にオライオンそのものだった。
話したこともない。遠目から見つめては、勝手に対抗意識を燃やし、結局は大敗してしまった。
ルキノのつぶやきは届かなかったのだろう。オライオンは無言のまま小さく首を傾げる。その素振りすら余裕な態度のように思えて腹が立ってきた。
オライオンから離れると、立ち上がり睨みつける。
「なんでも持っている君が羨ましい!どうせ悩みなんてないんだろう!」
初対面でこんなに突っかかるのは良くないとわかっている。それでも止まれなかったのは、先程客人が話していた言葉に、思いの外傷ついていたから。
叫んだせいで荒くなった息を肩で吐き出す。そうしていると、オライオンの指先がルキノの目元へと伸ばされた。その瞬間になって初めて自分が悔し泣きしていたことを知る。
「僕はアラリック杯に人生を賭けていたのにっ。アラリック杯を手に入れれば御義父様に認められると思っていたのに……」
けれど結果は惨敗だ。悔しさでは収まらない感情に襲われて、当時学園の裏庭でこっそりと涙を流したことを忘れたことはない。
自分の生まれをこれほどまでに憎んだことなどなかったかもしれない。
(僕が初めからこの世界の人間ならこんな気持ちにはならなかったのかもしれない)
ルキノは十歳になるまで現代日本に生きていた平凡な小学生だった。あまり良い家庭に産まれたとは思わない。両親はネグレクト気味で、代わりに育ててくれたのは唯一優しかった祖母。
けれど事故で祖母が亡くなると、両親は祖母の遺産で遊んで暮らすようになった。同時にネグレクトも酷くなり、結局見かねた親戚に引き取られることになった。そこでも上手く溶け込むことができず、肩身の狭い思いをしていたことを覚えている。
──できることなら別の人間として別の人生を歩んでみたい。
そう願ったのは十歳を迎える頃だった。小学校の帰り道、ふといつもは行かない小道へと差しかかった。引き寄せられるように踏み込んだ先になにがあったのかは記憶にない。ルキノの視界が吸い込まれるように暗転したからだ。
「魔力量は産まれてから十歳頃をピークに決まってしまう。僕は十歳を過ぎるまでまともな魔法教育を受けられなかった。だから魔力量の豊富な君が羨ましくてたまらないんだっ」
目を開けたとき全く違う世界にいることに気がついた。街をさまよい、ひとりぼっちで腹を減らし、助けてほしいと泣いていた。そんな幼かった自分を助けてくれたのがレオナルドだった。
丁度同時期に同じ歳ほどの子供を病で亡くしていたレオナルドは、幼かったルキノを息子と重ね合わせたのかもしれない。
ルキノという名もレオナルドからもらったものだ。本当の名前はもう忘れてしまった。
目尻を滑っていた手が、頭へと乗せられる。そのままくしゃくしゃと優しく撫でられて、更に悔しさが増した。一向に喋ろうとしないオライオンに焦れ始めて、苛立ちも増していく。
それなのに撫でられることを拒否することはできなかった。頭に置かれた手が、想像していたよりも温かくて心地よかったからだ。
「なにか喋ってくれよ。いっそのこと見下してくれ。お前は出来損ないだと罵ってくれ!」
その温度が今は逆に心を逆撫でしてくる。
レオナルドはアラリック杯を取れなかったルキノになにも言葉をかけてはくれなかった。ただ憐れむように向けられた視線が、優秀だった本当の息子と比べているように感じられて苦しくもあり、申し訳無さもあった。
ポケットから紙を一枚取り出したオライオンが、それに息を吹きかける。ふわりと舞い上がった一枚紙は宙を回転し、そのあとルキノの目の前で止まった。
『もっとゆっくり喋ってくれると助かる』
紙に浮かび上がった文字を見て、思わず顔を赤く染めてしまう。苛立ちで腸が煮えくりかえりそうだったからだ。必死に気持ちを伝えたはずなのに、返ってきたのはたったこれだけの一文。話すら聞いてくれていなかったのだと気が付き、奥歯を噛み締める。
自分はこんなにも必死だというのに、オライオンは気にも止めていない。それが悔しくて悔しくて、苛立ってしかたなかった。
「き・み・の・こ・と・が・き・ら・い!」
わざとらしくゆっくりと伝えてやる。目を見開いたオライオンは、そのすぐあと目尻をくしゃりと緩めて、笑みをこぼした。
『俺は学生の頃から、努力する君を好ましいと思っているよ』
思いがけない言葉に動揺してしまう。話を聞いていないと思っていたのに……。
それにアラリック魔法学園でオライオンと関わった記憶はない。だから、認知されていた事実にとても驚いた。
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