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一章・無口な孤高の魔法使いの秘密④
逃げたのは、心の中にくすぶる感情から目をそらすことができなかったから。賑わいを見せる庭園内に戻ってきたルキノは、動揺のせいで乾いている喉を潤すために水の入ったグラスを手に取る。
一気に煽り、深く息を吐き出す。そうすることで、鼓動を震わせる葛藤を消し去ってしまいたかった。オライオンは完璧ではない。なんでも出来る孤高の天才などではなかった。無口なわけでも、コミニケーション能力がないわけでもない。学生の頃、誰もそれを知らなかったという事実がほんの少し恐ろしくも感じる。
創り上げられていく偶像にオライオンは悩まされることはなかったのだろうか?考え込んでしまうのは、心配という感情が少なからずルキノの中に芽生えてしまったからだった。
そしてルキノ自身にも、作り上げられていく『ルキノ像』に頭を抱えた経験があったからだった。
「ルキノこちらに来なさい」
歩み寄ってきたレオナルドに話しかけられてグラスをテーブルへと置く。身体ごと視線を向けると、レオナルドの隣に見知った人物が並んでいることに気がついた。
「エイリーク様、お久しぶりですね」
「久しぶりだな。今回のガーデンパーティーの主催を務めているとか。立派になったじゃないか」
慈愛に満ちた笑みを向けられて、胸の奥が温かくなる。エイリークはルキノが伯爵家の養子になってすぐの頃から、兄のように気に掛けてくれる頼れる人だ。公爵家の嫡男 。そして強い魔力を宿す象徴として崇められることもある深紫の瞳を持ち、魔法騎士団団長も務める有望株だ。
風に揺られながら輝く銀髪が眩しい。銀髪は王族の血筋が受け継ぐ金色に続いて高貴だとされる色でもある。
非の打ち所がないというのはエイリークのためにある言葉なのかもしれない。
けれどエイリークの瞳を見つめていると、オライオンも紫がかった瞳の色をしていることを思い出してしまう。頭の片隅に彼の存在が強くこびりついていあ。
先程の出来事があまりにも衝撃的だったからかもしれない。
触れたときの想像したよりも硬かった胸板や、筋肉のついた腕の感触を忘れられない。その感覚がルキノの鼓動を大きく揺らす。
「エイリーク様こそ、また強力な魔獣を打ち倒したと耳にしました。近頃は魔獣も活発化してきているため、活躍を耳にする機会も増えてきますね」
感覚から逃れるようにエイリークへと話題を振る。
「買い被り過ぎだ。俺一人では限界もある」
口ではどうとでも謙遜できる。苦笑いを向けると、エイリークも眉を垂れさせる。黙って会話を聞いていたレオナルドが話を変えるように咳払いをした。空気が一変したことに気が付き口を閉ざす。この瞬間はいつになっても慣れない。
緊張感が場を支配し始める。公爵子息であるエイリークですら言葉を止めた。
レオナルドは伯爵家の厳格な当主であり、尊敬する人。そしてルキノが唯一絶対に逆らえない人だ。
「私はお前たち二人の婚約を考えている。クイン公爵家からも了承は頂いている」
「ッ!お……お言葉ですが、僕は男です……。それに伯爵家は誰が継ぐのですか?」
レオナルドの言葉が信じられなかった。まさか空耳だろうか?
そう思わずにはいられないほどに衝撃的な話だった。
「優秀な養子ならいくらでも取ることができる。伯爵家のことは心配するな。それに同性同士の婚約は珍しくもない。今の魔法医術なら子を宿すことも可能だろう」
「しかしっ!」
兄のように思っているエイリークと婚約など考えられない。それに当然、セイン伯爵家を継ぐことになるのはルキノだと思っていた。そのために今まで辛くとも弱音を吐くことなく努力も続けてきた。それは今も変わらない。あまりにも唐突なことに思考が追いついていかない。
深い絶望感と落胆が綯交 ぜになったような重みが心を押しつぶす。まるでレオナルドに裏切られたような心情だった。現状を飲み込めたとしても受け入れることは難しい気がする。
「私に逆らうな。お前のためだ」
「……僕のため?」
ルキノとは少しも似ていないレオナルドの双眸がとてつもなく冷たく感じる。公爵家と懇意 になることで伯爵家には大きな恩恵がもたらされるだろう。そのくらい子供でもわかることだ。
あきらかに政略的な婚約だというのに、よくそんな嘘が口から出てくるものだと憎まれ口を叩きたくなる。けれど実際には、紐で口を縛られたように言葉は出てこない。
「今日はルキノも気を張っています。また日を改めて話し合いをするのはどうですか?」
エイリークが助け舟を出してくれる。ルキノから視線を逸 らしたレオナルドは、眉間にできた皺 を伸ばすように指で揉んでから了承してくれた。そのことに安堵する。
婚約などしたくない。まだ育ててもらった恩も返せていないのだ。レオナルドにはルキノ以外に子はいないため、このままでは本当に養子を取ることになってしまう。レオナルドが必死に守ってきた伯爵家だ。どこの誰とも知らない人間に奪わせていいようなものではない。
ルキノの中には不甲斐なさと、悔しさが渦巻いている。そしてこうも思った。
──僕は御義父様の期待に応えられなかったんだな……。
目尻が熱くなる感覚がしてくる。人前で泣いてしまうなどみっともないとわかっていても、滲んでくる涙を止められなかった。
エイリークがルキノの様子の変化に気が付いたのか、心配するような視線を向けてくれる。けれど感情を制御できていないことがレオナルドにバレてしまえば叱責されると理解してくれているのか、声をかけてくれることはなかった。
孤独感はいつでもルキノの胸中を覆っている。本当の息子であったなら、レオナルドとの距離をもっと縮めることができていたかもしれない。けれどそれは願望に過ぎなかった。
仄暗い想いが内側を埋め尽くそうとしたとき、顔のすぐ横をシャボン玉のような光の粒が、柔らかい軌道を描きながら飛んでいった。庭園内を彩るように複数の光が踊っている。それはまるで日本に居た頃に小川で見た蛍のようだった。
「随分派手な登場だね。オライオン君」
エイリークの言葉に誘われるように視界を彷徨わせる。中庭に繋がる小道からオライオンが歩いてくることに気がついて息をのむ。無数の光がオライオンの周りを浮遊している。その幻想的で美しい光景から目が離せなかった。
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