5 / 56
一章・無口な孤高の魔法使いの秘密⑤
目の前まで来たオライオンは、ルキノに向かって洗練された動作で一礼をした。それからレオナルドとエイリークにも同様の挨拶を行う。
ルキノへ一番初めに礼をしてくれたことが嬉しい。主催として認めていると言ってくれている気がしたからだ。胸の内側が温かくなり、感じている劣等感や焦りが少しだけ薄れた気がした。オライオンの派手な登場のおかげか、こぼれかけていた涙も止まっている。
『お騒がせしてしまい申し訳ありません。どうやら庭園内には妖精が沢山いるようです。挨拶をしたところついてきてしまいました』
紙がエイリークの手元へと滑り込む。耳の聞こえないオライオンなりの会話方法なのだと今ならわかる。
「妖精に気にいられるだけの素質か……。勿体無いな。君がその障害を抱えていなければ今すぐに魔法騎士団へ推薦するというのに」
エイリークがオライオンの聴覚障害について知っていたことには驚かなかった。優秀な人材は常に不足している。アラリック杯を手にしたオライオンには一番に声がかかったはず。身体検査や身辺調査は行われているだろう。
だからこそ申し訳ない気持ちになる。たとえ聞こえていなかったとしても、羨ましいと言うべきではなかった。誰もが内に問題を抱えている。わかっていたはずなのに、ひどい嫉妬をぶつけてしまった。
彼に謝罪したい。それにもっと彼のことを知りたくなった。ずっと遠目で見つめていた、孤高の天才魔法使いの本当の姿をこの目で確かめたかった。
交流のためのダンスを始めるために、音楽隊が準備を始めている。その姿を横目に確認してから、意を決して声をかけた。
「もうすぐダンスの時間なんだ。僕と踊ってくれないかな」
「……ルキノ」
いままで黙っていたレオナルドが止めようとしてくる。婚約者候補であるエイリークの前で、ファーストダンスを他の男と踊るなど常識知らずだと思われたのだろう。けれどそう思われたとしてもオライオンに近づきたかった。
興味を惹かれると止まれない。オライオンのことをもっと知りたいと心が叫んでいた。
それにエイリークとファーストダンスを踊ってしまえば、婚約は確定するようなものだ。それは困る。
「……今回はまだ婚約の話も保留になっているからね。少しだけ焼けてしまうけど、ルキノがそうしたいなら行っておいで」
レオナルドの言葉を止めるようにエイリークが背を押してくれる。ルキノは、口を閉ざしたレオナルドへ様子をうかがうように一瞬視線を向けたあと、オライオンへと手を伸ばした。
エイリークの言葉は引っかかるものの、今はオライオンへと集中したいため気にしないことにする。
「踊っていただけますか?」
丁寧にはっきりと伝える。
ルキノの手を笑みを浮かべたオライオンが取ってくれた。
流れるようなダンスが始まる。ダンスには自信がある。魔法実技以外のすべてをルキノは完璧にこなすことができると自負していた。けれどやはり、オライオンも負けてはいない。演奏は聴こえていないはずだ。それなのに曲に乗りながら軽やかにステップを踏んでいる。まるで奇跡を目にしているかのようだった。
聴覚障害を患う人は他の感覚が一般的な人よりも優れていることが多い。オライオンも感覚がとても優れているのだろう。
微かな振動やルキノの動きを感じ取り、タイミングを合わせているのかもしれない。
けれど握っている手が強張っていることに気が付き、少しだけ緊張していることもわかった。
やはり彼も天才ではあるものの、同じ人間なのだと自覚させられる。
その二面性がルキノの心を大きく揺さぶった。
(っ、おばあちゃん……僕、彼を助けてあげたい)
そんな気持ちが自然と芽生えてくる。嫌いだった。自分の大切なものを奪っていく彼が憎らしくてたまらない。
けれど重ねている努力の形を目のあたりにすると、尊敬の二文字しか浮かんでこない。オライオンは天才だ。けれど努力の天才でもある。だから、手を貸してあげたくなってしまった。
──きっとオライオンはそんなこと望んでいない。これは僕のエゴだ。
ターンをすると、一瞬オライオンが笑みを深めたのが見えた。ルキノとのダンスを楽しんでくれているのだ。繋いだ手から伝わってくる熱が心へと染み込んでくる。身体を寄せると、緩やかな動きへと切り替わった。
鼻が付きそうな至近距離。心音が重なり合う。吸い込まれそうなほどに美しいブルーグレーの瞳を見返しながら、もっと近づけたらいいのにと無意識に感じた。
「……きみのことを前から知ってた……」
少し掠れたハスキーな低音が小さく鼓膜を揺らす。自信なさげで、本当に小さく、ともすれば聞き逃してしまうほどの声音だった。驚きに目を見開く。丸くなったルキノの瞳に、恥ずかしそうに目を細めるオライオンの顔が映り込んでいた。
じわりと感動が押し寄せてきて、鼻の奥が痛む。今まさにルキノはオライオンの勇気を目の当たりにしていた。
「……今、喋っ……」
驚きすぎて言葉が途切れてしまう。そんなルキノの様子を見つめながら、オライオンが目尻を垂れさせて笑う。
音の聴こえない世界で言葉を発することがどれほど恐ろしいことなのかは理解できる。けれどすべてをわかってあげることはできない。
四十代の頃、病気で聴覚を失い聴こえなくなってからは声を出すことが怖くなったのだと祖母から教えてもらったことがある。自分が思っている言葉を本当に伝えられているのか不安だった。聞こえないが故に声量調整も難しく、声が大きいと怒られたこともあるらしい。
そういった話を幼い頃熱心に聞かせてくれた。だから……
「僕は君のことを勘違いしていたみたいだ……すまなかった」
この言葉を今すぐ伝えなければならないと思った。
恥ずかしくて早口になってしまう。きっとオライオンは読み取れなかったはずだ。それが申し訳ない。けれどこうやって謝罪を口にするだけで精一杯だった。今まで勝手に対抗意識を燃やしていた相手なのだから。
けれど今はそんな意識は消え去っている。ますます彼に興味を引かれていた。鼓動がリズムを刻むように高鳴っている。それはとても心地のいい音だった。
曲が終盤へ差し掛かると、二人の動きもラストスパートへと向かい始める。会場内を伸び伸びと舞う。いつの間にか、二人以外の貴族達は捌けていた。観客に見られていることなど気にならない。オライオンも楽しんでくれている。感じ取れる熱や視線、息づかい。それらすべてを受け取りながら、もっと彼と話したいという思いが芽生え始めていた。
オライオンが穏やかながらも、少しだけ荒々しい息を吐き出した。
最後にルキノがオライオンのリードで大きく一回転する。
ステップが止まると、庭園内に拍手の音が鳴り響く。二人は礼をしてその場を後にした。高揚感が胸を満たしてくれている。どれだけの賞賛を浴びたとしても感じたことのなかった心地だ。オライオンが与えてくれたその気持ちは、ルキノの中に確かな変化を与えてくれている。
「二人とも素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
賞賛を贈ってくれるエイリークに微笑を向ける。内に燻る高揚感は収まらない。その感情を知られてしまうことが嫌だった。自分だけの大切な宝物にしておきたかったから。
「次は俺と踊ってくれるかい?」
手を差し出されて戸惑ってしまう。手を重ねた瞬間、オライオンの熱が逃げ消えてしまう気がした。けれど、断るわけにもいかない。
意を決して手を取る。一瞬オライオンへと視線を向けると、彼はもう笑みを浮かべてはいなかった。
ともだちにシェアしよう!

