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二章・音のない声①
ガーデンパーティーは滞りなく進行し、大成功を収めた。しかしレオナルドはパーティーが終わってからもどこか不機嫌さを滲ませている。オライオンとファーストダンスを踊ったことへの怒りが冷めないようだ。
数日間ずっと空気の重い屋敷から逃げ出すように、使用人に声をかけてから街へ出かけた。時刻は昼を過ぎた頃。目的の場所は決まっている。
木製の少し重い扉を開けると、客が来たことを知らせるようにベルが鈍く二、三度鳴る。
薬剤棚が並ぶ店内へと足を踏み入れた。
この場所に来るといつも気分が晴れやかになり、心が踊りだす。
「いらっしゃい。また来たんだね」
薬剤棚が独りでに動き、階段が出現する。先程まで行くことのできなかった二階から、白髪混じりのブラウンの髪を後ろに撫でつけた初老の男性が降りてきた。思わず頬を緩めてしまう。
「ローディンさん、お邪魔しています」
「今日も薬草と睨み合いをする気かな?」
「あはは、正解です。でも少し調べものをしたくて」
気分が晴れないときは、いつもここでポーションなどの簡単な薬を調合して気を紛らせている。ローディンとは十三歳の頃に出会った。その日は、たった一度だけルキノが伯爵家から逃げ出した日。どれだけ努力しても成果が出ず、自分の才能に悩んでいたときだった。
レオナルドの今は亡き優秀な息子と比べられる日々は辛かった。それよりも許せなかったのは出来ないことがある自分自身。どれだけ頑張っても上手くいかない日々に、幼いながら傷つけられていた。
街をあてもなく歩いているときたまたま目についたこの店──ヒリング魔法薬店に足を踏み入れたルキノは、そこで薬草学に出会った。薬を調合していたローディンが迷い子であるルキノに、見てみるかい?と声をかけてくれたのだ。慈愛を含む薄緑の瞳が、ローディンの人柄の良さを現していて、警戒心など浮かばなかった。
「勉強熱心なのは変わらないね。君と初めて会った日も思い悩んで泣いていた。放っておけなかったのを覚えているよ」
「その節は本当にお世話になりました。ローディンさんが僕に薬草学を教えてくれたから、唯一の取り柄を見つけられました」
「ふむ、前々から君は努力家だからね。しかし、少し顔付きが変わったようだ。いいことでもあったかな?」
問われてすぐに浮かぶのはオライオンの顔。彼と共にした時間は短い。それでも鮮烈に思い出せてしまう。だからきっと、ローディンが言うように良い出会いだったのだろう。
祖母との思い出を振り返るいい機会にもなった。
「聴覚を治す薬を調べたいんです」
「聴覚を?原因はわかっているのかな?」
「……いえ、それはわからなくて」
確かに肝心の原因が分からなければ治すことなどできない。そんなことにすら気づけないほどに、ルキノの心は浮かれていた。夢中になると視野が狭くなってしまう癖が出てしまったようだ。しかし、オライオンに直接聞くことも難しい。
オライオンを尋ねるにしてもヴェイル男爵家は伯爵家から遠い位置にある。顔を合わせるには事前準備を行い三日ほど馬車で揺られなければならないだろう。
手紙を出すにも仲がいいわけではないため唐突すぎる気がした。
「ルキノ君にしては珍しいミスだね。まずは相手としっかり話をしてみなさい。それからでも遅くないのではないかな?」
「っ、はい……」
こんなにも気が焦るのは、祖母のことを思い出したからかもしれない。祖母は死角から出てきた車に気づかず事故に巻き込まれて亡くなってしまった。周りに人は多くいて、クラクションで知らせようとしてくれた車もいたそうだ。それでも祖母は止まらなかった。
いや、聴こえなかったが故に止まれなかった。
だから焦っている。いつかオライオンがなにか大きな事故に巻き込まれてしまわないかと心配だった。それは余計なお世話だろう。治してほしいと頼まれたわけでもない。けれど、なにかしてあげたかった。人のために動こうと思えたのは今回が初めてだったからだ。
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