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三章・勝敗の行方⑥

 エイリークと別れると、部屋に備え付けのカウチソファーに腰掛けて足を伸ばす。持ってきていた薬草学の本を鞄から取り出して読み始めた。 (……集中したいのにっ)  先程のエイリークの言葉が思い出されて気が散ってしまう。けれど自分に喝を入れて、本へと視線を落とした。  魔力過剰障害の治療薬は多くの魔法医師達が長年完成を目指してきたが、未だに完成に辿り着いたものはいない。魔力を一時的に抑える薬は存在するものの、それは根本的な解決にはならないからだ。  先代王妃様の病を治すために、当時の国王陛下が魔力過剰障害に打ち勝つための新薬開発を医師たちに任せたことで、今まで注目されることの少なかった魔力過剰障害という病名が広く知れ渡った。  抑制剤もその開発の一端として完成された副産物だ。  そんな国王陛下も今は代替わりされて、政治からは手を引いたそうだ。 (そういえばあの手記も持ってきていたな)  気になっていたボロボロの手記を鞄から取り出す。中程のページを開くと、びっしりと文字や薬草の絵が書かれていることがわかった。見覚えのある文字だ、 (これはローディンさんの字だ……)  長年旅に出て見聞きした知識が事細かに記されている。中にはルキノの知らない病や症状も書かれてあった。  夢中になって読んでしまう。他人の手記を読むなど良くはないとわかっていても止められなかった。最後のページに差し掛かったとき、魔力過剰障害の記述があることに気が付き手を止めた。 『長年魔力過剰障害の研究を続けてきたが結局エリクサーの作製までには至らなかった。魔法医学の底は深く開発にはまだかかるだろう。様々な病を目にしてきたが世界を飛び回るには時間が足りない。いつかこの手記が必要な人間のもとに辿り着いたときにはエリクサーの完成が成し遂げられることを祈っている』  文字の横に花の絵が描かれてある。おとぎ話だと思っていたエリクサーの名前が出てきたことで、緊張感が内から溢れ出してきた。紫色の四枚の花弁が特徴的な花にはルーナディアという名前があるようだ。エリクサーの原材料だが、群生地や開花期が限られておりローディンも発見することができなかったと書かれてある。存在自体が幻の花だ。 (ルーナディアは無月花と呼ぼれると目にしたことがある。ルーナディアは一夜で花を咲かせ、次の日に実をつけて枯れてしまうと聞いたが……)  ルーナディアの実は万病に効く薬となる。エリクサーの伝説と共に語り継がれている幻想花。それを発見した学者は随分昔に亡くなっており、花を守るためなのか群生地の情報を口外することはなかった。 ──もしも不老長寿の薬と呼ばれるエリクサーを作ることができれば、オライオンの魔力過剰障害を治すことができるかもしれない!  希望が湧いて出てくる。けれど偉大な薬草学者でも見つけることのできなかったルーナディアを、見つけることなどできるだろうか?不安は多く残っている。見つけるには多くの時間が必要なこともわかっていた。  それでもやり遂げたい。オライオンのためでもあり、自分のためにもエリクサーを作り上げてみせたかった。  手記を鞄にしまうとテラスになっている硝子窓へと向かう。開くとそよ風が頬を撫で、心地がいい。  ずっと気を張っていたせいか全身が怠い。空に向かって腕を上げて伸びをすると、開放感が全身を駆け抜けていく。 (オライオンはなにをしてるんだろう)  気まずいまま別れてしまったため心配だ。男爵家に帰るには道のりが遠すぎるため、彼も宿を取っているかもしれない。テラスから見える夜景に思いを馳せてしまう。あの光の中にオライオンが居るのだと思うと、街明かりが愛おしく思えてくる。  じっと夜景を眺めていたとき、遠くから自分の方に向かって紙でできた小鳥が飛んでくるのが見えた。思わず身を乗り出して手を伸ばすと、手のひらの上に小鳥が止まってくれる。期待に胸を踊らせながら手紙を開く。 『ルキノに会いたい。この小鳥は君を見つけられただろうか?』  ルキノの居る場所へ飛ぶように魔法がかけられていたようだ。こんな風に細かく魔法を操ることはルキノにはできない。やはり彼は天才だ。  オープニングセレモニーのときは心配していたけれど、きっと杞憂だったのだろう。  一度部屋に戻りメモ用紙に返事を綴る。宿の名だけを書いた簡素なものだ。けれどそれだけでオライオンには通じるだろう。  駄目なことだとはわかっている。それでも走り出した気持ちを止められない。エイリークがルキノのことを思ってくれていたとしても、ルキノがオライオンに惹かれている事実は変わらないから。 (届いてくれよ……)  紙へと必死に魔力を込める。ゆっくりと小鳥へ変化したメモ用紙は、まるで行き先を知っているかのように夜空へと飛び立っていった。  できるだけの魔力は込めた。オライオンへ届くように念じてはみたものの、魔法技術に自信はない。届かないこともありえる。  手すりへと頬杖をつくと、オライオンの顔を思い浮かべながら夜風を感じ続ける。朝まででも待とう。朝日が上り切るまでにオライオンが姿を現さなかったときには、この気持ちも諦めてしまおうか……。そんな物哀しい気分に浸ってしまう。

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