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三章・勝敗の行方⑦

 きらりと輝く光の玉が顔の横を通り過ぎたのは、ルキノが返事を送ってから三十分も経たない頃だった。その玉が妖精だと気がついたルキノは、月を背にこちらへと向かってくる人物に気がついて口元を緩めた。  銀色の翼が月明かりに照らされて輝いている。何度見ても目を奪われてしまうほどに美しい。 「オライオン!」  テラスに降り立ったオライオンが、喜びに震えるルキノを抱きしめてくれる。夜風と共に感じる、オライオンの爽やかですっきりとした柑橘系の香り。その匂いに癒やされて、ますます頬を緩めた。 「小鳥が届きたのか?」 『あぁ、届いたよ。あのまま別れるのは嫌だと思っていたから、返事をくれて嬉しかった』  妖精とメモ用紙がルキノとオライオンの周りを浮遊している。ゆっくりとした口調とテンポ。そして手話を交えた会話。これがオライオンとルキノのリズムだ。  この穏やかさが好ましい。誰にも邪魔されず、二人だけで過ごす静かな夜が尊い。オライオンと過ごす時間が増えるたびに、隠そうと足掻いている思いが溢れそうになる。 「僕もオライオンと話をしたかった。オライオンの手を取ることができなくてごめん……」  婚約を拒否することが難しいことはルキノも理解している。だからこそオライオンから手を離した。公爵家の嫡男の婚約者に手を出したとなれば、男爵位であるオライオンはただでは済まない。  身分も立場も、なにもかもが邪魔をする。自由な選択肢が存在しない中で、この気持ちの欠片でも伝えることはできるのだろうか? 『ルキノ』  オライオンが手話で名前を呼んでくれる。嬉しくなって、ルキノもオライオンの名を手話で呼び返した。  二人だけが知っている特別な声。その声で名前を呼び合うたびに、心が溶けて一つになっていくような気持ちになる。本当に溶け合えたならどれだけ幸せだろう。 「愛してる」  声は出なかった。胸元に握りしめた左手を当てて、左手の甲を右の手のひらで撫でる動作をする。言葉にしてしまったら、きっとなにもかもを捨ててしまいたくなってしまう。けれどそんな無責任なことはしたくないし、する勇気もない。だから手話で思いを伝えることにした。 『なんて言ったの?』 「……秘密」 『秘密か……。それならいつか教えてくれる?』  そう書かれた紙を指先で撫でた。  いつか伝えられる日は来るだろうか……。  お互いが本当の声で、気持ちを分かち会える日がきたらいい。ルキノもそう願っている。けれどそれが願望に過ぎないことも知っている。夢を見ていたい。現実から目を背けたかった。それが出来ないから、こんなにも胸が灼熱に覆われたようにヒリヒリと痛むのだろうか。 「今夜だけでいいから、僕を攫ってくれないかな」  真っ直ぐにブルーグレーの瞳を見つめる。少し早口に発した言葉は、賭けのようなものだった。

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