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四章・条件と決別②
エイリークが伯爵家へ訪ねてきたのは、レオナルドと話をした次の日のことだ。
「とても不機嫌そうな顔だね」
出迎えて早々に指摘されてしまい、ルキノは更に眉を寄せる。眉間に刻まれた皺を、指先でグリグリと突かれて更に腹が立った。
わかっていてやっているのだからタチが悪い。眉間にあった指が鼻先を突いてくる。
「やめてください!」
「やっぱりご立腹だね。でもルキノの望みを叶えてあげただろう」
「僕の望み?公爵家の権力を使って囲い込むことが望みだとでも!?」
屋敷の入り口の前で声を荒げてしまう。周りにいた使用人達が様子を窺うように視線を向けてきた。それでも煮えたぎる怒りは押さえることができない。
「魔力過剰障害の治療薬は魔法医師達が長年追い求めてきた幻の特効薬だ。君なら彼のために薬を作ろうとすると予想していた」
「宿に泊まったとき、僕の荷物を見たのでしょう?」
「確かに紳士にあるまじき行為だったことは認める。けれど軽蔑されたとしても俺は君を手に入れるためならなんでもする」
エイリークは本気だ。瞳の奥に感じる熱は確かにルキノへと向けられている。ルキノもまたオライオンを助けるために、大切ななにかを犠牲にしなければならないことはわかっていた。
「っ、薬の研究に関して僕のやることや、行く場所に干渉しないと約束してくれますか?」
「君が俺と婚約してくれるのなら約束しよう。ただしオライオン君と会うことは許さない」
「……最後に一度だけオライオンと二人きりで話がしたいです」
「俺が遠くで見守っておくことを許可してくれるのなら認める」
「っ……わかりました」
本当は嫌だけれど、頷くしかない。オライオンとまともに話すことのできる最後のチャンスだ。手話を教える代わりに、魔法を教えてもらう約束も結局中途半端になってしまった。伝えたい気持ちは沢山あるはずなのに、きっとそのときになったら言いたいことの半分も伝えられないのだろう。
「今日は喧嘩をしに来たわけじゃないんだ。これを渡したくてね」
エイリークが濃紺のジャケットの内ポケットから鍵を取り出して手渡してくれた。複製ができないように何重にも魔法がかけられている。落とした際に持ち主の下へ帰還する簡易転移魔法まで備えられていた。ここまで厳重に守られている鍵をルキノは初めて目にする。
「魔法医局の研究室の鍵だよ。ルキノは出入り自由だ。好きに使っていい」
「……ありがとうございます」
手に握りしめた鍵がやけに重く感じた。受け取った瞬間から後には引けない。伯爵家を継ぐ夢も消え去る。
その大きな対価を払ってでも、ルキノはオライオンの病を治してあげたかった。それほどまでに深い愛が心の奥に波打っている。
「半年後、婚約発表のためにパーティーを開く予定だ。覚悟をしておくんだ」
返事をすることができず唇を噛み締めた。歯が薄皮を突き破り、微かに血の味がする。
貴族としての役目を果たさなければならない。伯爵家を継ぐことはできなくとも、家のために役に立つ行いをしなければ……。
そうでなければ、ルキノが努力してきた意味がすべて無くなってしまう。
唇を噛んだまま動かないルキノのことを、エイリークが抱きしめてきた。使用人達が微かに歓声を上げたのが聞こえてくる。
抱きしめてほしい人は他に居るというのに、その人の手をルキノが取る日はもう一生来ないのだろう。
抱きしめられているというのに温もりを感じられない。オライオンに触れたときの熱と比べてしまうからだろうか。心に吹雪が降っているかのように寒かった。
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