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五章・無月に咲く花②

「こちらにおいで」  呼ばれて、素直にエイリークの元へと向かう。  反抗する気も起きない。それほどまでに心が疲れきっていた。  ルキノの顔をのぞきこんだエイリークが、微かに眉を寄せる。怒っているようにも見えるが、気のせいのような感じもする。 「寝ているかい?目元のくまがひどい」 「……少しだけ」 「いただけないな。仮眠室で眠ったほうがいい。起こしてあげるからおいで」 「大丈夫です。まだ……」  そう答えようとして、微かに視界が揺らぐ。ふらついた身体をエイリークが支えてくれた。細身に見えるのに、腕や胸板は太く厚い。鍛え抜かれているのが触れただけでわかる。 「すみません……平気です」 「倒れたら薬の開発が遅れてしまうよ。オライオン君をはやく治してあげたいんだろう」  拒否しようとしたものの、オライオンの名前を出されて動きを止める。力が抜けてエイリークの胸元に添えていた手を下ろした。  自分の扱い方を熟知されているようで悔しい。オライオンの名前を出されてしまうと、拒否できない。 「少し寝ます」 「自分で言ったのに少しだけ嫉妬してしまいそうだよ」  クスリと笑みをこぼしたエイリークが、手を取ってきた。拒否するのも疲れてしまい、手を繋がれたまま仮眠室へと向かう。  狭い部屋の中に備えられた小さなベッドに横たわると、シーツに流れた髪を撫でられる。瞳だけをエイリークに向けると、甘い笑みを向けられたあと大きな手のひらで目元を覆われる。 「おやすみルキノ」 「おやすみなさいエイリーク様」  露になった額に唇が触れたのを感じた。その感覚を消し去りたくて、身体を横向きにして前髪を落とす。  もしもエイリークのことを愛せたなら、きっと今が最上だと思えるほどに幸せだったのだろう。けれどルキノにとって、研究室やこの狭い仮眠室は小さな監獄のようにすら感じられた。

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