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五章・無月に咲く花③
新月が近づく二週間程前までに必要は荷物はまとめ終えた。
しばらく実家や研究室を開けるためレオナルドの元へ家を開けることを報告しに向かう。言い合いをした日からずっと、ルキノとレオナルドの関係には微妙なヒビが生じていた。
「しばらく家を開けるためご挨拶に伺いました」
「そうか。魔法医局で学ぶことは多い。お前の将来も安定するだろう」
「……将来のことはまだ考えられません。今はただ目の前の患者を治したい」
「オライオン・ヴェイルか。あれのなにがお前をそんなにも駆り立てる?地位も低く、生きるためのハンデもある。取り柄である魔法も最大限生かせなければ宝の持ち腐れだ」
レオナルドの言いたいことは良くわかる。けれどそうではない。ルキノは相手に完璧など求めない。心を──苦しみや、感動を分かち合い、一人ではできないことを補い合う。そういう関係を望んでいるのだ。
レオナルドはいつだってルキノに完璧を求める。ルキノのためだと言いながら、一番欲しい言葉をくれたことなどない。
「僕と御義父様は違う人間です。価値観も、求めるものも違う。僕は今まで言われるままに生きてきました。あなたに恩返しをしたかった。あなたの期待に答えられるような人間になりたかった。あなたの本当の息子になりたかった。けれど、それはただの夢でした」
「お前は現実を知らないだろう。魔力の低いお前になにができる?どれだけ優秀だとしても、最後には搾取されて終わるだけだ。それがなぜわからない?公爵家に嫁げば不自由はしない。エイリークはお前に相応しい伴侶となる」
「っ、そんなもの僕は望んではいません!」
声を荒げてしまう。最近はすぐに感情が飛び出してしまう。今まで溜め込んできた思いが、話すたびに膨れ上がってくるからだろうか。
認めてほしい。褒めてほしい。けれど一番は流石は私の息子だと言ってほしかった。本当の息子になりたかった。
誰もができる簡単なことだとしても、出来たときには褒めてほしかった。亡くなってしまった息子と比べるのではなく、ルキノ自身を見てほしい。
見てくれなくてもかまわないから、大切なものだけは否定しないでほしかった。当然のようにレオナルドに甘えてみたい。
──本当の親子になりたかったんだ。
けれど公爵家に嫁いでしまえばレオナルドと離れ離れになり、その願いも叶わなくなるのだろう。そのほうが良いのかもしれない。レオナルドに親子の愛を求めたところで、きっと馬鹿らしいと一喝されて終わるだけだから。
それなら離れ離れになる方がましだ。
「いつから私に口答えをするようになったんだ」
冷たい双眸と、重々しく低い声音がルキノに襲いかかる。レオナルドがこんなにも怒る姿を見たのは、ルキノが養子として伯爵家に来て間もない頃以来だった。
使用人の一人が孤児だったルキノに尊大な態度を取ったことが原因で、レオナルドが烈火のごとく怒ったのだ。
優秀だった子息とは違い、ルキノはなにをするにも人一番時間のかかる子供だった。そんなルキノのことを使用人のほとんどが運のいい出来損ないだとみなしていた。
ある日、屋敷の間取りがわからず気づかずに執務室に立ち入ったことがあった。掃除に来ていた使用人が、ルキノを見つけてひどく叱責したのだ。体罰をされそうになったとき、領地視察から帰ってきたレオナルドがたまたま現場に出会して助けてくれた。抱きしめるように包み込まれ、使用人の拳を背で庇ってくれたことを覚えている。
あのときの温もりが忘れられない。
抱きしめられたあの日に、ルキノはレオナルドと本当の家族になれると思った。だから必死に頑張った。人一倍努力してできないことを失くしていった。
けれどレオナルドとの絆を感じられたのは、あの日の一度切り。
「……僕はもう、あなたの息子だと証明することに疲れてしまったんです」
「……なにを馬鹿なことを……」
吐き捨てるような言葉を浴びせられて、絶望感と諦めが浮かんでは消えた。うつむいていたルキノにはレオナルドがどんな表情をしていたのかは見当もつかない。うつむいたまま顔をそらし、レオナルドへと背を向ける。
「えぇ……、僕は大馬鹿者です。ですから、もしも僕が帰ってこなければ、次は優秀な養子を迎え入れてください」
振り返ることはせず執務室を後にした。
ブルビエガレ森林から無事に帰って来られる保証はない。迷いの森と呼ばれるだけはあり、ベテランの冒険者でも二割ほどは迷ったまま帰ってこられないという。
できるだけの準備は整えた。あとは新月になる前にルーナディアを見つけるだけだ。レオナルドと話したせいかどっと足に疲れが走っている。明日には伯爵家を発つため、ゆっくりと休んだほうがいいことはわかっている。けれど立ち止まっている暇がないことも知っていた。
通路に備え付けられた硝子窓から中庭を一望する。
ガーデンパーティーの主催を任された日は、自分もようやく伯爵家の一員になれたような気がした。
──結局僕は替え玉に過ぎない……。
部屋に戻ると深いため息を吐き出す。もう一度研究室に戻り最終確認をしなければならない。荷物が詰められている大きめの革鞄を手に取ると、中身を確認してから再び部屋を出た。
まだ外は明るい。昼の太陽が辺りをむしむしと焼いている。一人で危険を犯すことに恐れがないわけではない。ただ、オライオンを治すためなら荒れ狂う海も、火の上だって進んでいける。愛する心が恐怖を抑えてくれていた。
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