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五章・無月に咲く花⑤

◇◇◇  ブルビエガレ森林へは比較的簡単に辿り着くことが出来た。定期的に街に止まる馬車を捕まえて連れて行ってもらうのだ。そこそこの金額はするものの、歩いて向かうよりはましだ。  伯爵家の管理する領地から馬車に乗り一度王都まで向かう。そこから再び馬車を捕まえてブルビエガレ森林まで辿り着いた。  エイリークが出発前に馬車を手配すると申し出てくれたが、自力で向かいたいと断ったのだ。結果的にその選択は間違いではなかった。一時的ではあるものの束の間の自由を得たような心地を味わえたからだ。 「あんた本当に森へ入るのかい?」 「はい。連れてきていただきありがとうございました」  御者のお爺さんが心配そうな表情を向けてくれる。ルキノはもう一度だけお礼を伝えてから、森へと足を踏み入れた。  馬車が遠ざかっていく音が聴こえる。帰りは街まで歩きになるだろう。それも悪くない 。 (絶対にルーナディアを手に入れて帰ろう)  背負っていた革鞄から用意していた薬を取り出す。幻覚作用のある木で構成されたこの森林を進むには、それに対抗するための策が必要になる。ルキノは今日のために幻覚作用を抑制する薬を用意していた。  薬を飲むと、森の奥へと進み始める。人通りはないため、足場はひどく悪い。獣道すらないのは、魔獣ですらこの森が危険だと察しているからかもしれない。 (よかった。薬が効いてるみたいだ)  ひとまず安堵する。森林の詳細な地図は手に入らなかったが、中部まで向かう道が記された記録は残っていた。それを参考に歩みを進めていく。 (これはリンリン花だ。あそこにはテテ草もある!)  人の手があまり加えられていないためか、珍しい薬草が点在していて心が踊る。薬草に触れていると心が浄化されていくようだった。中には猛毒にもなり得るものもある。使い方によって毒にも薬にもなるものも。個性の強い薬草達を扱い、人々の役に立つ薬を生み出すことは楽しい。 (……そうか……。僕は薬草学に携わっていたかったんだ) セイン伯爵家を継ぐことばかり考えていた。けれどこうして自然と触れ合ってみると、自分の好きなことがはっきりとわかる。伯爵家を継ぐことが認められる手段だとばかり考えていた。 けれどそうではないのだと気付かされた。レオナルドの守ってきた伯爵家を守りたい。その気持ちは変わらない。けれど、継ぐことだけが守ることなのだろうか。 考えが変わりつつある。 思えば一人でゆっくりと将来のことを考える時間を設けたことがなかった。認められたいという漠然とした目標の中に、自分のやりたいことは含まれていなかった気もする。  草木のさざめく音が鼓膜を揺らす。胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込むと、霧がかっていた心に木漏れ日が差す。 (……僕のため……だったのかもしれない)  レオナルドがしきりにルキノのためだと言っていた理由。  伯爵家しか知らないルキノに、広い世界を見せようとしたのではないだろうか。現に、エイリークはルキノのやりたいことを後押ししてくれている。条件付きではあるものの、ルキノは今自由を得て、やりたいことを見つけることができた。  ゆっくりと歩みは進んでいく。無事に帰ることができたら、もう一度レオナルドと話をしたい。  迷わないように枝に赤い布を巻いて印を着けておく。こうしておけば帰るときも安全に進めるはずだ。  そうやって数十分ほど進んでいった。 (……あれ?これは……)  赤い布が枝に巻きつけられていることに気が付き歩み止める。そろそろ中部を抜けて深部へと辿り着くはずだ。 「どうして……」  確かに道を真っ直ぐに進んできた。薬の効果もまだ残っている。考えられる理由はいくつもあるが、森全体に方向感覚を狂わせる魔法が施されているという結論が一番しっくりとくる。 (僕の手には負えないかもしれない……)  誰も深部へ到達できなかった理由がわかった。迷いの森と呼ばれる理由も。  この森は三層に分かれて構成されている。初めは幻覚作用を施す魔木。一時間ほどで抜けることができる。中部は比較的穏やかに進むことができるが、深部との境界線が曖昧で、誤って深部へと踏み入れるとルキノのように迷ってしまう。  けれど歩みを止めるわけにもいかない。今回を逃せば新月が来るのは一ヶ月後。まだ引き返すことは可能かもしれない。けれどエイリークが二度目の遠征を認めてくれるとは限らない。 (進むしかない)  意を決して前へと進む。  通った場所にナイフなどで印をつけて、何度も同じ場所を行き来しながら徐々に奥へと進んでいく。

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