42 / 56
五章・無月に咲く花⑫
オライオンの手を借りてブルビエガレ森林から抜け出したルキノは、どこよりも先にヒリング魔法薬店へ向かうことにした。オライオンと共に店へ向かうと、いつものようにローディンが穏やかな表情で出迎えてくれた。
「帰ってきたんだね」
すべてを把握しているかのような、慈愛に満ちた声音だった。頷くと、座るように促される。ルキノは保存魔法のかけてあるハンカチーフを胸ポケットから取り出す。テーブルの中央に置くと、ルーナディアが見えるように捲る。
「……よく成し遂げたものだ」
ローディンの言葉には、滲むような喜びと悲しみが込められていた。もしもルーナディアがもっとはやく見つかっていれば、助けられた命は多かっただろう。ローディンのパートナーも救えたのかもしれない。
思うことはあるだろう。けれどローディンは気持ちを吐き出すことはせず、代わりに穏やかな微笑みを向けてくれた。
これからエリクサーの研究が本格的に始まる。ルーナディアは数が限られるため失敗は許されない。
「君が成し遂げた偉業は魔法医局どころか、世界を揺るがしてしまうだろう」
「僕一人では成し遂げられませんでした。それに、まだエリクサーは完成していません。ルーナディアの株もあえて入手してきませんでした」
今から自分が作ろうとしている薬が、どれだけ世界に影響を与えてしまうのかは理解しているつもりだ。たった一滴で万病を治しどんな傷をも癒す薬。それは王族でさえも喉から手が出るほどに手に入れたい代物だろう。
ルーナディアの群生地が知られてしまえば、絶滅の危機さえある。だからこそローディンと約束したように、群生地も薬の材料も口外するつもりはない。
「無事にエリクサーを作製し、オライオンの病が癒えた暁にはローディンさんに残りの薬はお渡ししようと思っています」
「私が持っていても宝の持ち腐れになってしまう」
「いいえ。元々ローディンさんのおかげでエリクサーに辿り着けましたから。それに、あなたに預けるのが一番安全だと、僕の勘が告げているんです」
ずっと引っかかっていることがある。彼はただの薬屋に収まる器ではないのではないかと。けれどローディンの本当の身分や、薬屋を経営している理由を詮索するつもりはない。だから結局はルキノの勘だ。
「オライオンくんは病を治したらやりたいことがあるのかい?」
尋ねられたオライオンは、思案するように顎へと手を当てる。ルキノもどんな答えが返ってくるのか興味があった。
オライオンならどんなことでも成し遂げられるだろう。だからこそ、彼の目指す先を応援してあげたい。
『俺は過分な力を持って生まれてきました。だからこそこの力を人々のために使いたい。どんな形であれ人々の役に立てるのであれば喜んでその道に進みます。けれど欲を言うなら、そのときにはルキノに隣に居てほしい』
頭から湯気が出てきそうなほどに全身が熱くなる。まさかローディンの前でそんな告白をされるとは予想もしていなかった。完全に油断していたともいえる。
「はははは。君達は本当に仲がいいね。君達が歩みを止めなければ、きっとその願いは叶うはずだよ」
『どんな苦難も超えてみせます』
ローディンの緑の瞳が弧を描く。慈愛に満ちたその笑みから目が反らせなかった。ローディンは出会った日から不思議な雰囲気を持つ人だった。誰よりも優れた薬草学者でありルキノの師匠。そしてこの世界で二人目の父のような存在。
「さて、ルーナディアをしまってルキノくんは一度家に帰りなさい。レオナルドが心配している」
レオナルドは義父の名だ。ローディンがレオナルドを呼び捨てしたことに疑問は感じたが、あえて聞くことはしなかった。
「……御義父様は僕の帰りを待ってくれているでしょうか?」
思わず弱音を吐いてしまう。もう一度話し合いたいと考えていた。けれど喧嘩した状態で屋敷を飛び出したため、見捨てられたのではないかと不安だ。
結局どれだけ抗っても認めてほしいという気持ちは変えられない。レオナルドのことを本当の父親のように思っているからこそ、その気持ちは永遠に残ったままだ。
「あれは案外繊細なんだ。ルキノくんと同じようにね」
そうだろうか?
ルキノにはよくわからない。けれどローディンの言葉を信じてみたい。とにかく無事だけは知らせておきたかった。
『送っていく』
「ありがとう。でも、僕一人で大丈夫だよ」
オライオンは歓迎されないだろう。彼を傷つけたくはない。
気持ちを察してくれたのか、オライオンは渋々ながら了承してくれた。ルキノは二人にお礼を伝えると、店を出る。
不思議と足取りは重くない。オライオンとローディンのおかげだ。
ともだちにシェアしよう!

