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第5話 見たい
数分前まで、自分の首を絞めていた男は、衣服を破って、木の板を拾い自分の足を固定させている。
アイクは浅い息をついて、それを眺めながらも呆れた。
「君だってわかってるだろ、こんなことをしても意味ない」
「ああ」
「どこまでも辱める気か」
「いや違う。辱められているのは俺の方だ」
「ついに酸素が回らなくなったか」
「違う、お前が、全部ひっくり返した」
意味のわからないことを口走りながら、ヴァルツは黙々とアイクを手当てし、そして露になった逞しい上半身を壁にもたせて息をついた。
「……弾がなくてよかった」
「女と男色は違うということを知らないのか」
「違う、銃の話だ」
「……..」
「ここで俺は死ぬことにした」
「?さっきまで猪のように壁に向かって行っていたじゃないか」
「アイク」
ヴァルツは、ふと隣のアイクを見つめた。その瞳は、相変わらずまっすぐでいて、奥の感情が読み取れない。
「他の話をしないか」
「…….世間話をしていい走馬灯を見ようと?」
「お前のことが知りたい」
ヴァルツの瞳に嘘も揶揄いもなく、ただ真剣であることに、アイクはますます困惑した。その瞳とこれ以上見つめあっていたら、何かが変わってしまう気がする—————そんな奇妙な感覚がして、アイクは目を逸らす。
「……語ることなんてない」
2人はそれから、何も言わなかった。沈黙と、微かに瓦礫の隙間を通る風だけが響く。動くものは、お互いの、微かに上下する胸だけ。
浅く、遠くなっていく呼吸。ヴァルツの手当てで、少し痛みは和らいだが、死の気配がなくなることはない。
瞼が重くなるのを感じながら、アイクはあの昔の恋人のことを思い出す。
なぜ—————
なぜ、この男は、恋人を思い出させるのか。なぜ、彼の心臓の振動は、まるで遠い日の、母の子守唄のように聞こえるのか。
しかしその規則的な音はいつしか、アイクを眠りに誘った。全ての感覚が空中に消え、隣から伝わる体温だけが、肌を包んだ。
「アイク」
耳元でそんな声が響き、アイクはハッとして目を覚ました。辺りは依然として薄暗いが、いつの間にか日が登ったようだった。
眠りに落ちる前より、身体が暖かくなっている気がした。気温が上がったからか、少し休んだからか。それとも—————
ヴァルツの大きな手が、肩に寄せられているのに気づく。いつのまにか、その精悍な顔つきがすぐ近くでこちらを見下ろしており、アイクは思わず身体を引き離す。
ヴァルツは、それを見てふっと笑った。
「お前、しきりに母さん、と呼んでいたな」
「っ…五月蝿い」
羞恥で顔が赤くなるのを隠しながら、低く怒鳴る。
「それから、多分恋人の名を」
ヴァルツの言葉に、アイクはカッとなってその胸ぐらに手を伸ばした。
「黙れ」
低い声で脅すように言ったが、しかしヴァルツは動じないどころか、軽くため息をついた。
「お前が羨ましい」
「……?」
「婚約者がいると言ったが、恋をしたわけではない」
彼の表情は相変わらず硬く、そして微かに虚な目をしていた。
「党首のため、父のため、家族と土地のため—————『ヘイル・ヒットラー』と叫び続けてきた。勝利しか持ち帰れない」
「…….」
ヴァルツの、岩のように動かない冷たい表情。無機質に鍛え上げられた筋肉、そして、空虚な使命感に突き動かされるように、ここから脱出しようと踠いていたことを思い出す。
「…….その屈強な兵士が、こんなところであっさり挫けるというのか?それこそ『腑抜け』と笑われるだろ」
「俺が帰らなければ、笑う奴もいないさ」
ヴァルツは遠い目をして、静かに言った。しかしその横顔は、何故か穏やかだ。アイクは冷笑した。
「戦争は惨いな、岩も砂に変えてしまう」
哀れな奴だ、と思ったが、ヴァルツの低い声がはっきりとそれを否定した。
「戦争じゃない、一輪の花の方が惨い」
「は?」と眉を寄せて問いかけようとした時だった。大きな手で首後ろを掴まれ、ぐっと引き寄せられる。
気づいた時には、ヴァルツの唇は、アイクの薄い唇を喰むように重ねられていた。
驚きに、アイクは思わず押し除けようとしたが、勿論相手のほうが強く、そして熱情的だった。
力強い鼓動、熱を持った舌。拒もうとしても、それは戦火のように彼を激しく巻き込む。冷え切っていた身体が、あろうことか、その炎の煌めきを、「生」を渇望し始める。
ヴァルツを押し返そうとしていた手は、いつしか、その逞しい筋肉をなぞるように、その熱を求めるように這っていた。
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