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第89話

「あの伝説のミラー湖の飛竜がまさか人に従うなんて。気まぐれで気難しい性格で人には絶対に懐かないって人伝に聞いたことがあるわ」 にわかには信じられないといった表情を浮かべるシャロンさま。 「ザンザーが狂喜乱舞していた。ただの聖女じゃないって」 「やはりセドリック殿下は見る目がありますね」 「あぁ。だからグラシオ卿に取られまいと、戦争をちらつかせて結婚を強行したんだ。でもグラシオ卿のほうが一枚上手だったみたいだ。十六歳と侮るなかれ。若いのになかなかの策士だ。将来が楽しみだ」 シャロンさんたち母子を建物に避難させてからジュリアンさんも剣を構えた。 「グレーンストーンの威信にかけてサクを守れ」 炎のなかから逃げ出した魔物に臆することなく剣を振り下ろすジュリアンさん。 「ぎゃぁぁーー!」 そのとき木陰から女性の悲鳴が聞こえてきた。 「魔物に襲われている市民がいます。助けないと」 助けに行こうとしたら、 「罠だ。行くな」 ジュリアンさんに腕を掴まれた。 「落ち着け。飛竜の炎は魔物と心に魔を宿した人を燃やす、さっき言ったことを忘れたのか?」 「忘れてはいません」 「ここ一帯はすべて当家の敷地内だ。関係者以外はたとえ皇族であっても父の許可なしには立ち入れない。ある例外を除いてな」 ジュリアンさんの説明ではある例外とは聖職者と聖女のことみたいだった。 「この国にも聖女さまがいるんですね」 「本物の聖女か怪しいがな」 「それはどういう意味ですか?」 「あとで説明する。セドリック殿下の妻は自分、他の女は認めない。違うと言っても一切耳を貸さない。だから関わらない方がいい」 「関わらないでいいとは酷い言いぐさですわね。聖女であるあたくしに向かって」 体を包む炎を手でしっしと払いながら女性が木の影から姿を現した。ふっくらとした体つきで金色の髪は腰まである。真っ赤な口紅を塗った口もとには黒子があった。人を馬鹿にしたように鼻でせせら笑う仕草、そして僕を蔑む冷たい目つき。どこかで会ったような。そんな既視感にふと襲われた。

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