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騒音 -3-
その夜、俺と桐島 圭吾 は、六本木の路地裏にひっそりと佇む、隠れ家のような店「シエル・デル・ソル」のバーカウンターにいた。ジャズバンドが奏でる低い音色が心地よく流れる、大人のための空間。例の騒音訴訟の件で、圭吾に中間報告をするには、うってつけの場所だった。
「――というわけで、社会貢献 のクライアント相葉君は毎日、事務所に電話をかけてくる。正直、仕事にならない」
俺がうんざりした声で言うと、圭吾は口元に愉しげな笑みを浮かべたまま、手にしたお猪口を揺らした。
「はは、そりゃあ大変だな。よほど、徹のことが気に入ったらしい」
「面白がるな。どうにかしろよ、お前の事務所のクライアントだろ」
「まあまあ、飲めよ。眉間にシワが寄ってると、せっかくの男前が台無しだぞ」
圭吾が、俺の空になったグラスに、澄んだ日本酒を注ごうとした、まさにその時だった。 背後の引き戸が開く、からん、という軽やかな音。そして、この静かな空間には似つかわしくない、太陽みたいに明るい声が響き渡った。
「あれーっ!? 神崎さん! と、もしかして…桐島先生、ですよね!? いつもウェブサイトや雑誌で拝見してます!」
振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた相葉隼人が立っていた。彼は、まず圭吾の顔を見て目を輝かせ、それから俺の存在に気づいて、さらに表情を明るくさせた。
圭吾は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに状況を察し、にやりと口角を上げた。その視線が、「へえ、こいつがお前の言ってた…」と、雄弁に語っている。
「おお、君が噂の相葉君か。奇遇だな。まあ、立ち話もなんだ、こっちへ来て座ったらどうだ?」
「いいんですか!? それじゃあ、お言葉に甘えて!」
隼人は、待ってましたとばかりに、俺と圭吾との間に、まるでそこが自分の指定席だったかのように、当たり前にスツールをねじ込んで座った。俺は、盛大に舌打ちをする。なんで、俺の数少ない安息の時間まで、こいつに侵食されなきゃならないんだ。
「神崎さん、こんばんは! あの、お店の人に聞いたら、今日のおすすめに『のどぐろの塩焼き』があるって! 神崎さん、魚、好きかなって思って、頼んでおきました!」
「…俺がいつ、そんなことを言った」
「えっ!? なんとなく、です! 魚が似合うなって!」
「…意味がわからん」
「そ、そうですか! じゃあ、この『だし巻き卵』は!? ここのは、お出汁がじゅわ〜ってして、最高に美味いんですよ!」
隼人は、俺の氷点下の塩対応にも全くめげず、子犬みたいに甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。その全てを無視して、俺は圭吾に話を戻そうと試みる。でも、当の本人は、まるで極上のエンターテイメントでも観るように、楽しげに酒を飲むだけだ。完全に、俺をオモチャにしている。
この、プライベートな地獄と化した食事会は、俺が財布から一万円札を叩きつけるようにカウンターに置き、「帰る」と一方的に席を立つまで、延々と続いた。
店を出る俺の背中に、「あっ、神崎さん、待ってくださいよー!」という隼人の焦った声と、圭吾の楽しそうな笑い声が、いつまでも追いかけてくるような気がした。
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