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正義の在処 -6-
翌日。
重苦しい沈黙が、豪華な役員応接室を支配していた。 ソファに深く腰掛けているのは、相葉隼人の養父であり、新星ジャーナルの現社長、城戸 彰文 。俺と圭吾は、その向かいに、まるで罪を裁かれる被告人のように座っていた。
圭吾が、震える声を必死に抑えつけながら、プロとして、そして一人の息子として、父親の罪を報告する。
「…昨日、我々の調査で、このようなメールが発見されました。これが法廷に提出されれば、今回の裁判だけでなく、5年前の件も掘り返され、会社の存続に関わる致命的なスキャンダルとなります」
城戸は、静かにメールのコピーに目を通すと、まるで価値のない紙切れのように、テーブルに置いた。その表情は、驚くほど穏やかだった。 そして彼は、かつて桐島壮介が俺に向けたのと、全く同じ、穏やかな、でも有無を言わせぬ声で言った。
「圭吾君。君の父親は、優秀な弁護士だった」
「……」
「彼は、何が『勝利』のために必要で、何が『不必要』か、よく理解していた。このメールは、今回の裁判の論点とは、全く別だ。関係がない。そうだね?」
ぞわり、と背筋に悪寒が走った。
5年前の、あの日の悪夢が、寸分違わず再現されていく。 城戸はテーブルの上のメールを指さす。
「改めて、問おう。君たちの仕事は、なんだね?」
圭吾が息を呑んで黙っていると、城戸は続ける。
「クライアントの利益を守ること。それが全てだろう。このメールは、我が社にとって不利益でしかない。これを法廷に出せば、我々は負ける。そして君たちは、クライアントを敗訴させ信頼を失墜させる弁護士として、顧問契約している他の企業の信用を失うことになるだろう」
「……」
「このメールは『なかった』。それで、我々は勝てる。君たちも、顧問弁護士としての役目を果たせる。どちらが、プロの仕事なのかね?」
城戸は、俺たちを静かに見つめ、そして、最終宣告を下した。
「この証拠は、存在しないものとして扱いなさい。いいね?」
――慣れろ、神崎君。
――そんなものにいちいち心を痛めていたら、この仕事、身が持たないぞ。
壮介氏の声が、頭の中で反響する。5年前の、あの日の悪夢が、寸分違わず再現されていく。圭吾が、唇を噛みしめ、苦悩に顔を歪ませているのが見えた。 でも、俺の心は、不思議なほど静かだった。 もう、迷わない。もう、間違えない。
俺は、静かに立ち上がった。
「――お断りします」
その声は、俺自身のものでありながら、まるで知らない誰かの声のように、クリアに響いた。
「俺は、あなたの駒にも、過去の亡霊にもなるつもりはない」
そして、俺は驚愕に目を見開く圭吾を一瞥し、彼に、そしてこの場の全員に宣言する。
「俺は、この案件の調査を担当する、外部の探偵です。俺が見つけた5年前のこの『事実』を、桐島弁護士事務所が『なかったこと』にするっていう方針ならば、俺はこの依頼から手を引かせてもらう。俺の腕は、不正の片棒を担ぐためにあるんじゃあない」
それは、この案件の心臓部を知る、唯一の調査員による、契約破棄の通告だった。
城戸社長が俺を指名した理由。
圭吾が俺をチームへ誘った理由。
俺だけが先代が関わった告訴のあの場にいた。俺がいなければ、この証拠の本当の価値も、その使い方さえも、彼らは十全には理解できないだろう。
俺は、最後に、たった一人の友人に視線を送った。
「――あとは、お前が決めろ、圭吾。お前が、どんな弁護士でいたいのかをな」
その言葉だけを残して、俺は絶句する城戸と、立ち尽くす圭吾に背を向け、一歩も振り返らずに応接室を後にした。 戦いの火蓋は、今、切られたのだ。
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